今年の梅雨入りは早かった。何を基準に早いとか遅いとか決まっているかはよく知らないし、去年の梅雨入りだって覚えていないけれど、関東の今年の梅雨入りは月曜だったからよく覚えている。朝の情報番組で「今年は早いですねぇ」と気象予報士が話すのを耳にした。外でトレーニングできなくなるから雨は好きじゃない、と話していた恋人を思い出した。
それが昨日のことで、今日も、予報によると明日も明後日も雨らしい。仕事を終えて帰寮すると、風呂上がりらしいヴァンとシオンに出くわした。
「お、えーじちゃん、お疲れさん」
「お疲れ様。二人ともお風呂早いね」
共有スペースの壁掛け時計を眺めると、まだ十六時だ。
「あぁ、さっき一瞬晴れとったから電車乗って帰ってんけど、駅着いたらざぁざぁ降りやって。やまちゃんが走るぞっちゅうからダッシュで帰ってんけど、びしょ濡れなってもぉたんや。しかもそのやまちゃんはさっさと風呂済ませてどっか行くし」
「まさに烏の行水……」
「へぇ……そうなんだ。何かあったのかな」
「寒かったんちゃう? 途中からジャケット脱いで、シーちゃんに被せて走っとったし」
部屋におると思うけど、というヴァンの予想は的中した。ノックして声をかけると、扉が開いていつもと違う装いの大和が顔を出す。
「まだこれから仕事?」
「いや」
結婚式、と大和はネクタイを結びながら答える。
「の、三次会。四次会だったかもしんねぇ」
紺色のスーツに身を包んだ大和は、いつもの倍、いや三倍くらい凛々しく見えて目を奪われる。これじゃ新郎がかすんじゃう、と思ったのは瑛二の贔屓目ではないだろう。スーツを着ると足の長さが強調される。ちゃんとしてるけれどフォーマルすぎない装いが大和らしい。
「高校んときの――知り合いの結婚式が今日で、式とかにはよばれてねぇけど、そのあとの飲み会だけさそわれてんだ。地元でネイリストだか美容師だかなんだかやってるやつで」
芸能関係者ではない、ということらしかった。
「で、どうした? 瑛二」
靴下を履きながら大和が問う。
「あ、ううん。下でヴァンとシオンに会って……大和も帰ってるんだって思っただけだから」
「そうか」
部屋を入って一歩のところで立ち往生していた瑛二に近付き、大和がそっと頭を撫でる。身長差を埋めるように屈んで耳元にささやかれた。
「明日、朝はやいか?」
「えっ、ううん」
「酒のまねぇし、早く帰ってくるから……ここで待っててくんねぇか?」
「うん」
「よし、じゃあ行ってくるな」
「うん、行ってらっしゃい」
ほんの触れるだけのキスをして、大和が部屋を出て行く。もし自分が犬だったらぶんぶん振りすぎて尻尾をちぎっていたかもしれない。人間で良かった。
大和の部屋を出て風呂場に向かった。もちろん兄さんのシャンプーは使わない。自分で選んだ無香料のボディソープを泡立て塗り込め、シャンプーもトリートメントも香らないものを選んで使う。
大和の「待ってて」がどんな意味なのか、想像すると身体が疼いた。だってあれから一度もしていないのだ。タイミングが良くないのか、それとも大和の気分の問題なのか。知ってしまうのが怖くて聞けない。それに、どうしてセックスしてくれないの、なんて、恥ずかしい。
あの夜は夢じゃなかった。
けれど、夢だったみたいにもう記憶が薄い。
心も身体も、大和との情事を忘れてしまいそうだった。忘れた方がいいのかもしれない、とも思う。何か粗相をしたのかもとか、男とじゃやっぱり気が進まないのかもとか、考えるだけで胸の奥がきゅっと痛くなるから。
髪を乾かし共有スペースを覗くと、ヴァンが一人でテレビを見ているところだった。晩飯行かへん、と誘われ、隣接する事務所の社食で夕飯にする。
「あ、いたいた、桐生院さん」
がらがらの食堂の四人掛けテーブルに腰を落ち着かせると、忙しなく駆け寄ってきたのはマネージャーだった。
「お疲れ~、どないしたん? そんなに焦って」
「今日のラジオ収録、日向さんと一緒でしたよね。ちゃんと一緒に帰りました?」
「うん、帰ったけど」
「それからどうしてるかとか、知ってます?」
「あぁ、それなら――」
「お友達の結婚式の三次会? 四次会? とかで、出かけて行きましたよ」
ヴァンの目配せで言葉を引き取る。
「あぁ、それなら良かった。スマホ鳴らしたけど繋がらなくて」
「え、なになに、プライベートの管理までさせられとるんか?」
「いや、日向さんその辺忘れっぽいから、念のため電話入れますねって僕から言ったんですよ」
「あぁそうなんや。ていうかあいつ、地元にええ思い出ない的なこと言うてたけど、そんなん誘ってくれる友達ちゃんとおるんやん」
「友達っていうか――元カノって話でしたけどね」
「え」
「へー……そうなんや。ほな、お疲れさん」
ひらひらっとヴァンが手を振り、マネージャーは忙しそうにその場を去った。
白菜のクリーム煮に箸をつけながら、申し訳なさそうな顔でヴァンが言う。
「ごめんな。聞かせたくない話、聞かせてしもたみたいになったやんな」
「ううん、気にしてないよ」
「うそが下手やな、えーじちゃんは」
「そうかな」
「なんかあった?」
「……何もないよ。今日も大和が帰ってくるの、待っててって言われてるし……」
「そっか。まぁやまちゃんも、えーじちゃんにわざわざ言わんでええって思ったから、元カノやって言わんかったんやろうしな」
「大和、俺には……知り合いって言ってた」
そういえばその前、一瞬だけ口ごもっていたような気もする。
味噌汁の椀を箸で軽くかき混ぜる。本日は豆腐とわかめの味噌汁と書かれていたけれど、どうやら具のないハズレを引いてしまったらしい。普段なら絶対に気にならないのに、残念な気持ちになるのはどうしてだろう。
「なんかあったらいつでも相談していいんやからな」
ヴァンに肩を叩かれ、大和の部屋に戻った。
ベッドに腰掛けてシーツをたぐり寄せる。好きな匂い。大和の匂いがする。鼻をこすりつけていると危ない人みたいだと我ながら思う。でもやめられない。誰が見ているわけでもないのだから。
しんと静かな部屋に一人になると、突然不安になる。ヴァンと一緒にいてもらえば良かった。話をするしないは別として。
シーツを抱えるように抱きしめたまま横になる。「元カノ」という単語が耳にこびりついて離れてくれなかった。
わかってる。大和がアイドルになる前、付き合っていた女の子がいることも、手を繋ぐのもキスもセックスも瑛二が初めてじゃないことも。どうしようもないことだし、今は俺のことだけ好きって言ってくれるし――割り切っていた、本当に。だからこそ今になって、昔の恋人に会いに行くなんて想像していなかったのだ。それが他の人との結婚式とか、そういうかたちであっても。
まだ浅い瑛二の人間関係には元カノという言葉もなければ友達の結婚式なんて想像したことすらない。大和の世界には当たり前にそれがあって、二人の間の溝がくっきり見えたのがいやなのかもしれない。はっきりとわからなくて、もやもやする。
俺が嫌だって言ったら行かなかった? それとも俺には嫌って言う権利はないのかな。
ぐるぐる、ぐるぐるまわる。だって大和は「行かねぇよ」って言ってくれなかった。言ってほしかったわけじゃない。でも心のどこかで、自分を優先させてくれるんじゃないかと思っていたのは本心だった。
(俺……だめな子になってるのかな…………)
幼い頃からよく、兄は瑛二を聞き分けの良い子だと褒めてくれた。だからそうあり続けたいと思っているし、それを苦だとも思わなかった。抗わないことが円滑な人間関係を生むというのは、父が(間接的に)教えてくれたことだ。
ふと目を開けると、ローテーブルにさっきまでなかったはずの封筒が置かれていることに気付く。がばっと起き上がりきょろきょろ周りを見渡す。もちろん誰もいない。音だってしなかったし、瑛二が風呂か食事に出た間に置かれたのだろう。
茶封筒には、日向大和、とマネージャーの文字で書き付けてあった。その下に、『写真集見本。必ずチェックすること!』とも。
そうだ、大和は今月末、新しい写真集を出すことになっている。封筒に糊がついていないことを確認し、ためらいなく中身と対面する。もししっかり糊付けされていたところで、大和が帰るまで待てができたかは定かじゃない。
「はー…………」
まず表紙を拝み倒す。もし自分が芸能界に入っていなかったら、きっと大和の顔ファンだったんだろうと思う。それと身体。あんなに悩んでいた数秒前のことはどこへやら、新しい大和を与えられて瑛二はすっかり上機嫌だった。だからガキだなんて言われてしまうんだろう。
表紙の大和は白いタキシードに身を包み、穏やかに笑っていた。タイトルは『Engage』。そういえば、どうしても六月中に出すのだと、大和もマネージャーもスケジュール調整に追われていたっけ。これじゃ何万人ものエンジェルが大和と永遠を誓いたくなっちゃうよ。だってこんなにかっこいいんだから――とページをめくり、また良からぬ声が出た。
ピンク色の花束を作るために大和が花を選ぶ写真。花屋じゃない。楽園みたく花が咲き乱れる温室で、大和がバラの花に手を伸ばす。オレンジ色の瞳に映った花の色が幻想的で美しい。そしてその光景を引きで撮影した一枚に、また胸を射貫かれた。普段のがさつな(でもそこが好き)立ち振る舞いからは生まれない、ダンスをしているような立ち方。すらりと長い脚が強調され、けれどたくましい肩甲骨のラインが、背を曲げることでよくわかる。
夢中でページを繰っていくと、三分の一くらいが終わったところで雰囲気ががらりと変わる。大和の写真集の定番、『リアコ量産』と呼ばれているらしいカットだった。つまり、大和の彼女気分が味わえる写真ということだ。
これはだめだ、と思わず閉じて、もう一度そろっと開く。今までならよくわからなかったかもしれない、ベッドシーンを模した一枚だった。思わずベッドに転がり両手を伸ばして写真集を広げる。覆い被さった上裸の大和が見下ろしてくるようなアングルに、「わぁ……」と思わず声が漏れた。しかも、舌なめずりのオプション付き。
ページをめくると腕枕を想定した一枚だったので、ごろりと寝返りを打って紙の中にいる大和を見つめる。俺はこの大和に抱いてもらった、と思ったあとで、エンジェルたちに心の中でごめんなさいと謝った。申し訳ないと思う気持ちは同時に優越感にも変わり、己の浅ましさに恥じらいさえ生まれる。
でも。
でもね。
同じ目の高さで微笑む大和を見て思う。大和に抱かれて、わがままになった。もっとほしいと願うようになってしまった。今日だって本当はしたくて、下心を抱えてここにいる。だってどうしようもなく好きだから。大和にも好きでいてほしいから。
セックスしたい。そう思うと身体がそのことにしか使えなくなったみたいに脱力した。
したいしたいめちゃくちゃしたい。そしてめちゃくちゃにしてほしい。パジャマと下着の中に手を差し込むと、性器はもうゆるく膨張しかかっていた。単純な身体。幼稚な瑛二にぴったりだ。こうして自分を慰めるのはあまり好きではないけれど、こちらを見つめていたずらっぽく笑う大和の顔を見ながら手を動かすと身体は気持ち良いことに正直だった。
「……やまと」
大和のよりも小さな手のひらで扱き上げる。大和にしてほしいと乞いながら。目を開けると大和はきれいな笑顔を浮かべて瑛二を見つめている。いやらしい感じなのに汚くない。なのに俺は。ぎゅっと目をつむってシーツの山に鼻を擦り付ける。身悶えるように全身を揺らし、呼吸は勝手に荒くなった。心臓が耳に近付いてせり上がってきたと思うくらい、鼓動がうるさい。
「ん……っ」
スタンダードな自慰で達し、ティッシュを探して左手をさまよわせて我に返る。大和の部屋で、してしまった。大和が毎晩寝転がるベッド、匂いがしみ込んだシーツ、大和も一人でシたあとに使っているかもしれないティッシュ。大和が見上げる天井。大和が頭を預ける枕。大和が、大和が、大和が、大和が。
こんなのもうおかしくなってしまう。ベッドサイドの引き出しを開けると、あの夜二人で使ったローションとゴムが並んでいる。もう一度したい。どうしてもしたい。頭の中がいっぱいになってシーツにもう一度突っ伏した。すべての器官で大和を感じると身体が熱くなる。
「大和……」
素足をシーツに這わせてぎゅっと枕を抱きしめた。衣擦れの音って、少し雨の音に似ている。止みそうにない雨音を聴きながら、眠りに落ちるまではきっと一分もかからなかった。
カーテン越しに窓を打ち付ける銃声のような雨音に気付かずどれだけ経った頃だろう。部屋に飛び込んできた大和は獣のようにぶるぶると頭を振って雨粒を散らした。荒々しい手つきでチェストからタオルを探す音に、だんだん眠りから解放される。
大和だ。重いまぶたを持ち上げ見つめると、頭にタオルを乗っけながらネクタイを解くところだった。振り返る。目が合う――気がした。大和は寝転がった瑛二と目線を合わすようにしゃがみこむ。雨の匂いがする。
「えーじ、起きてんのか?」
「……ん」
「なぁに人の部屋でサカってんだよ」
白い歯が覗き見える。両手を伸ばすと「ねぼけてんのか?」と困ったように笑った。
「スーツぬれてるから、ちょっとだけ待てよ」
立ち上がりジャケットとシャツを脱ぐ。下はラフな寝間着のハーフパンツに履き替え、上半身には何も身に着けていない状態で水をごくごく飲む。上だけ裸なのがあの写真集の一枚みたいで――あぁ、そういえばあの写真集どうしたっけ。シーツの上を泳ぐように探して目線を上げる。と、くしゃくしゃに丸まったティッシュが視界に飛び込んできた。
「わっ!」
そうだ、そうだった。跳ね起きると大和が振り返って「起きたか」と口角を上げた。サカる、という言葉の意味がやっと理解できた。大和の写真集(半裸のページに折り目付き)に使用済みティッシュ、そして脱げかけた衣服。大和じゃなくても、瑛二が何を使って何をしていたかわかるだろう。
「おまえ、おれで抜いてたのか?」
そして、ずばりと確信を突かれる。
「……うん」
「これ、そんなによかったか」
「すっごく、すっごくすっごく、好き……」
「ならよかった。マネージャーにオッケーって言っとかねぇとな」
抱えていた写真集をひったくられて手を伸ばしそうになる。けれど違う。そうじゃない。瑛二が欲しいのはみんなが見ることができる大和じゃない。
大和は中身に一瞥もくれず封筒に本を戻し、ベッドに腰掛けた。
「抜いてるとこ、見たかった」
「えっ……」
「なんでおどろいてんだよ。ふつう見たくねぇか?」
「そうなの……?」
だって瑛二は大和の自慰を見るより大和に触れてほしい。見てるだけだと悶々として、触れないんだと思うときっと悲しくなってしまう。手を伸ばせば届く距離にある今だって、こんなに寂しいのに。シーツの波をかき分けて、大和がそっと唇を寄せてくる。
「瑛二がそんな風に思ってんの、知らなかったな」
「そんな風、って……?」
「セックスしてぇんだろ」
「……うん」
「いつから思ってた?」
「前、した……次の日くらい」
「うそだろ、腰いたそうにしてたじゃねぇか」
「身体は痛かったけど、でも本当にしたかったんだもん」
「じゃあ言えよ」
「言えないよ! そんなの恥ずかしい……」
「……でも言えって」
声が少し掠れて低くなる。ずるい。反論を塞ぐように唇を閉ざされて、そのまま押し倒された。覆い被さる大和が舌なめずりをする。写真集の一ページのようで心臓が口から飛び出るんじゃないかと思った。
セックスしたい。呟いて、濡れた頭を掻き抱くように両手を絡ませる。
「セックスしたい、大和……。セックスしたい」
「おれも、セックスしたい。……わるかったな、ほんとはおれが気づけばよかったんだよな」
唇と唇で、というよりは、舌と舌でキスをする。降り続く雨の音をかき消すようにぴちゃぴちゃと音をたてて、口と耳から大和に犯されていく。冷たい手がするすると身体のラインを示すようになぞってパジャマのパンツと下着をいっしょにずり下ろした。思わずびくりと震える瑛二の反応に、もう手を止めたりしない。
このままどうにでもなってしまいたい。相手は女の子じゃないのにしきりに胸に触れる大和に、あ、と声が出た。
「今日の……」
「ん?」
「マネージャーさんから、聞いた……今日、昔付き合ってたひとから、呼ばれたって……」
「あぁ……」
そうだ、と頷いた。それから、乱暴に頭を掻きむしる。困ったような面倒くさいような、そんな表情で。
「わざわざ言わなくていいと思ってた、っつーか……」
ちがうな、と大和が言う。
「あんま瑛二に言いたくなかった、ってのがほんとだな。付き合ってたっつっても一瞬で、てかほんとに付き合ってたのかっつーともう自信ねぇし」
「でも、好きだった人なんでしょ?」
「まぁ……ふつうに」
「ふつうに……?」
逆に、普通じゃない好きってなんなんだろう。
「大和、何人彼女いたの……?」
「おぼえてねぇ……」
「……遊んでたんだ」
「そういう言い方すんなよ」
「ちゃらちゃらしてたんだ……軽かったんだ、何股もかけてたんだ」
「何股もかけてねぇよ、めんどくせぇことにはなりたくねぇからな」
「じゃああとは合ってるんだ」
ちゃらちゃらして軽くて遊んでた。なるほど、と頷くと「なるほどじゃねぇよ」と苦笑する。会話が途切れて、誤魔化すように大和が唇を近付けてくるのを、指先で制した。
「今は……もう違う?」
「ちがう」
「うん」
「ちがうにきまってんだろ……」
きまってる、根拠は瑛二にはよくわからない。目を閉じて、降ってくるキスを受け止めた。不思議だ。大和の言葉ひとつで舞い上がって、全身を幸せに包まれるような心地になれる。恋愛って、ものすごくいい。世界中の歌手たちがひっきりなしに愛の歌をうたいたがる理由が、最近瑛二にはよくわかるようになった。だって恋愛で凹んだって、それはやっぱり恋愛が――大和が気持ちを元通りに戻してくれるから。二人きりのときに、大好きの気持ちを隠すつもりはない。首に腕を絡めてもっとキスしてとねだると大和も応じてたくさんくれる。
「ほんと、こいぬみてぇだな瑛二」
笑う。そしてやっと室温に馴染んでぬるくなった手がパジャマと肌着をたくしあげて、うっすらとついた腹筋に触れた。
「ひゃっ……」
「まださわってねぇだろ」
「でもお腹、触った……」
「なんだよ、腹も感じんのか?」
さわさわと犬を撫でるみたいに往復される。感じる、とまではいかなくても愛撫は単純に嬉しい。けれど大和の目的はそこではなく、もっと上まで布を押し上げて膨らみのない胸をくすぐった。指を土に埋めるみたいに、乳首の上でくりくりこねくり回される。
「へ、ぁっ……くすぐったいよ……」
非難めいた声はすぐにキスで塞がれる。その間にも執拗に胸の突起を弄られ、思わず両膝を立てた。気持ちいいというよりは、やっぱり単純にくすぐったい。
「開発、っつーのを、したくなった」
上唇を食みながら大和が呟く。
「男でも開発すりゃここで感じるらしいぜ」
うそみてぇだよな、と半信半疑ながらも人差し指を擦り付けるのをやめない。
「どうだ?」
「くすぐったい」
「やっぱそうだよな」
話によると瑛二はこれから大和に「開発」されてしまうという。言葉の意味も深く考えずぼーっと顔を見上げていると、空いた片手で性器を握られ腰が浮かんだ。
乳首を弄るのと同じテンポでやわやわ扱かれ、本能的に身体が悦んでしまうのがどちらのせいか一瞬わからなくなる。
「んっ……も、やまとっ」
「なんだよ……さわられんのいやか?」
「やじゃないけど、くすぐったいのときもちいの、一緒にされたら変……っ」
「そのうちどっちもきもちよくなんだから大丈夫だろ」
「そう、かなー……?」
くすぐったい方の自信はあまりないけれど。
「そうだろ、ちゃんとかたくなってきてる」
と、握り込んでいる方の状態を報告してくる。そんなの当たり前だ。つい先月までこんなところを自分以外の誰かに触られたことなんてなかったのだから。二回目にして大和にこうされるのがもう好きになってしまった。覚えと飲み込みがいい身体を、大和は若さゆえだと解釈しているらしい。よかった、いやらしいやつだと思われてなくて。
「……ん」
身体を倒してキスしてくる。唇と胸と性器と。それぞれ蕩かされて、いよいよ脳が溶けるのではと思った。今どこが気持ちいいのかわからなくなる。舌を絡ませたくちづけのあとに大和はそのまま首を、鎖骨を舐めて下降していく。生温い温度が気持ち良くて、そしてくすぐったい。パジャマの布を越えて、ずっとむき出しのまま放置されていた左胸を舌先に突かれる。
「あっ……」
「くちの方が興奮すんのか?」
ぺろぺろと舌で行ったり来たりを繰り返され、ぴくぴく身体がしなる。口の方が興奮する、かもしれない。というか、大和に身体を舐められていることが脳をぴりぴり痺れさせる。前歯が当たる。やわやわ甘噛みされて、そして突然性器を激しく扱かれた。
「ぁ、あっ!」
甘い電流が駆け上がるような。達するところまではいかなくて、それが切なかった。もう出したい。指でぎゅっと摘ままれて、それはちゃんと突起と呼べるくらい成長してしまったのだと気付く。射精の期待は確かにあるけれど、わかっていて大和がいかせてくれない、そんな気がした。唇と指が、胸元から離れて引き出しを漁り始める。
「いれる準備していいか、えーじ」
「うんっ……」
「あれから後ろ、いじってねーの?」
「自分で、ってこと?」
「他に誰がいんだよ」
部屋の電気を消して戻ってくる。ベッドサイドの明かりだけを灯して薄暗くなると、窓の外の雨音が濃く聴こえる気分になる。
「してないよ」
「つーか瑛二」
「え?」
「前やったとき、もう自分じゃイけねぇみたいなこと言ってただろ」
きゅ、とローションのボトルを開ける音がする。それだけで身体が早く早くとねだってしまいそうになる。
「でも今日もやってたじゃねぇか」
「だって、したかったから……」
「そのうちほんとに自分じゃいけねぇようにしてやるからな」
うん、と頷くと「よろこぶなよ」と大和も笑った。
軽々と両脚を持ち上げられ、身体の中心をさらすように割り開かれる。腰の下に枕を仕込まれるとそこを大和に見せつける体勢になってやっぱり恥ずかしい。とぷ、と大和の手のひらにローションがこぼされる。性器を握られた、と思った瞬間、中指がじりじりと挿ってきた。
「……あっ」
「一回じゃ、あんまかわんねぇか」
ゆるりと引き抜いてもう一度奥へと進める。身体はもう大和の質量をすっかり思い出せずにいて、くちはしっかり閉ざされたままだった。それが悲しい。本当は手練れた女の子みたいに、すぐに大和を受け入れられる身体でいたいのに。
大和の視線は二人が繋がる部分にじっと注がれていた。慎重にしてくれているのが嬉しい。でももっとこっちを見てほしい。手を伸ばして大和の手のひらに重ね、性器を一緒に扱くと舐めるような目線が上ってくる。
「どした?」
「あの……してるとこ、見たいって言ってたから……」
「もっとえろいのが見てぇんだよ」
聞き分けのない子どもにするように笑って、手を離す。直接性器に触れた瑛二の手のひらに、大和の大きな手のひらが重なった。
「いっしょにやろうぜ」
「うん……あっ、ぁ……」
二人分の指が絡み付く。ぬちぬち音をたてて擦って、後ろでは大和の指が確かに中を侵食してくる。
「あっ、だめ…………いきそ……っ」
指先が奥を引っかくと、空いた手でシーツをつかんで思わず上体をねじった。布に頬をこすりつけながらいやいやと首を振る。でももう何をしても遅かった。すっかり張り詰めた性器は放出の瞬間を悦び、勢いよく吐き出された白濁が二人の指の間からこぼれてしまう。
「あぁぁぁぁっ……!」
「まだ一本しかいれてねーのに……」
「だって……ぇっ……」
吐精の余韻はひどく長い。無重力の世界で呼吸するみたく胸を上下させて、力を抜くと吐き出したものが腹に向かって垂れてくる。
「奥、きもちよかったのか?」
いじわるに笑って言いながら、慣らすための指が一本増やされる。ローションでたっぷり濡らされると二本目からは易々と大和の指を受け入れた。けれどまだ性器はひくひくと一度目の射精を引きずって、着いて来られそうにない。大和もそれをわかっていて、あえていじめているようだった。
「待って大和……まだ、だめ……」
「まてねぇよ」
「ぁ、あぅ……んっ」
「早くいれたい」
「んっ……あぁっ……」
「ここにいれてぇよ、えーじ」
三本目はなんの前触れもなく進んでくる。最奥をこすっては抜け出して浅いところを弄る指が恨めしかった。
「……れて、ほしいっ…………」
言葉にすると、熱が逆流したみたいに顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「待ってほしいのかすぐしたほうがいいのか、どっちだよ」
「いれて、ほしい……っ」
「でも、これじゃまだだめだろ」
ローションを足されさらにやわらかく身体をひらかれる。
「ゃあぁっ……」
初めての日より抵抗なく大和の指を受け入れているのは気のせいじゃない。きつい、苦しい。そうは思っているのに視界の先で性器はちゃんと勃ち上がったままふるふると悦んで揺れているし、後孔は餌を求める魚のくちをしてぱくぱくとねだっている。こんなの知らなかった。今はもう、ほしくてほしくてたまらない。
「っぁ、あぁ……っ」
「あー……いれてぇ……」
「んっ、もう、いいよ……」
「んなえろい顔すんなよ。どっかで浮気してきたんじゃねぇかうたがうぞ?」
ぶんぶん頭を横に振って否定する。わかってる、と低く笑う声にまたどきりとさせられる。
「あ――……」
どこも傷付けないようにゆっくり指を引き抜かれると挿っていないことに違和感を覚えてしまう。大和が性器にコンドーム被せる姿をただじっと見つめていた。つながるための準備は全部嬉しいし、大和が片手をベッドについて軋ませる音だっていやらしく聴こえてしまう。
「いれるな」
初めての夜と同じ体勢で大和が両脚を持ち上げ大きく開かせる。全部見えてる、と思うだけで肌が粟立ってぞくぞくくる。恥ずかしさよりももう、全部見せていいんだという安堵に駆られて。
「…………んっ……」
ぴとりと押し当てられた瞬間、逃げそうになった腰を大和が押さえた。硬いものが入り口を愛でるように円を描く。器用に腰を動かす大和を見上げるとそれだけでどうにかなってしまいそうだ。
「いれて……」
「はっ……すげぇエロ……」
指に孔を広げられて性器の先端が挿ってくる。まるで知らない生き物みたいで少し怖い。そして熱くてむずむずと暴発しそうな大きさに、内臓を押し上げられているみたいに苦しくなる。それなのに我慢できないほどしてほしかった。もう一度二人でこうなりたかった。
「んっ…………あんん……」
「前より……すっとはいりそうだな」
「ほんと……?」
「あぁ。力ぬいて、じっとしてろよ」
「うんっ……」
脱力した方がするりと受け入れられる、ということは、初めての夜に痛いほど思い知った。ぐっと腰を突き出して大和が奥の方まで挿ってくるのがわかる。刺激を求めるようにわずかに引き抜き、もう一度奥へ。丁寧に身体をひらかれると泣きそうになる。涙をこらえ、繋がるところに力が入りそうになるのも我慢したら、なかを貫くものの熱さをものすごく感じてたまらなかった。
「すげー……今、めちゃくちゃ締まった……わざとか?」
ふるふると首を横に振る。瞬間、たまった涙が頬をすべり落ちて大和がぎょっと目を見開いた。
「どうした? 痛かったか……?」
「ううん」
「でも泣いてんじゃねぇか」
「ん……」
中指が拭ってくれる。ずっとこうしていてほしい。
「苦しそうな顔してるぞ」
「違うの……嬉しくて」
手を伸ばして広い背中に抱き縋る。すると、なかで大和の性器がぐっと大きくなった。
「あっ、ぁあ……」
「うれしいのか、えーじ」
言葉の端々から笑みがこぼれている。うん、と頷くと唇に触れるだけのキスが降ってくる。どしゃぶりみたい。そういえば窓の外の雨の音を、大和も瑛二ももう忘れていた。
嬉しいに決まってる。好きに決まってる。だって大和もセックスしたいって言ってくれた。求めてくれた。応えてくれた。
歯が溶けるんじゃないかと思うほどのくちづけが解かれた頃、とん、と大和の性器が最奥に当たる。こんな、めいっぱい脚を開いて性器も後孔も見せつけて、いれてほしいとねだるなんて。ほんの一ヶ月前の自分からは考えられなかったのに、今はこれが当たり前みたいに気持ちいい。好き、と呟くと大和も大事そうに好きだと返してくれる。軽く触れるだけのキスの後に、「うごいていいか」と獣の目をするところが好きだ。頷くと、両脚を抱え直すために上体を起こして、それから、今度は乳首に音を立てて吸い付いた。
「あっ……! ん……っ!」
「ここ、いいんじゃねぇのか? ぷくっとしてきてる」
「やっ、やだ、よくない……」
「なんでこういうときだけ素直じゃねぇんだよ」
「あ、あぁっ……ちがう……っ!」
「かわいーな、おまえ」
ぺろりと舐める舌の感触にはさらに弱かった。いやらしい水音を立てて大和が腰を振る。硬い性器に奥を抉られ、必死で背中にしがみつく。短く切り揃えた爪を肌に食い込ませた。痕にしちゃだめだと思うのに我慢できない。
「ぁあ、ぁっ、ぁあん……っ」
「そろそろいきてぇだろ」
「あ、ああっ、あ、あ……」
「もうどこがきもちいいかわかんねぇだろ、えーじ……」
「へ、ぁ、あっ!」
空いた手に性器を扱かれる。なにこのフルコース、と戸惑う暇もなく気持ち良くてわけのわからない底に突き落とされたみたいに呼吸が乱れた。
「えーじ……すきだ」
「あっ、ぁ……俺も、おれもすき……っ」
「おまえといるとおかしくなっちまう……」
「あ、ああっ、ああっ……!」
どうして、と、放出のさなかに頭をよぎる。
大和に押し当てられているところが気持ちいいから? 乳首で感じるようになってしまいそうだから? 男の一番弱いところをめいっぱい感じさせてくれているから? どれも当たりで、でも百パーセントの正解じゃない。
「すきだ、えーじ……」
びくびく痙攣する瑛二のなかに大和が熱を注ぐ。薄いゴム越しでもそれを感じてまた喘いだ。
大好きだから。
大好きだからこんなに気持ちいい。
大好きだからびしょぬれでも構わない。
大好きだから、もっとしたくなる。
大好きだから、浴びるほどの愛がほしい、もっともっと。
すっかり行為が終わってからも雨は降り続いていた。
意識ははっきりしていたけれど「じっとしてろ」と大和の言葉に甘えてベッドに横になる。好きなように揺さぶられていた腰が今になって痛い。
ティッシュとやわらかいタオルで体液の処理をする大和を見上げる。目が合って、やらしいなと笑われた。確かに視姦じみていたのは認める。だって今しかチャンスがない。無駄なくしなやかに身体を支える筋肉が好きなのに、行為中はそれどころじゃなくなってしまうから。
寝間着を身に着けると今度は瑛二の身体を拭いてくれる。大和の唾液がこぼれた首筋も胸元も、大和が大切にしてくれた証みたいな下肢に滴ったローションももったいない気がするけれど、大和が処理してくれるなら相殺されてフラットになる。そんなばかみたいなことを瑛二が考えているとは知らず、身体の心配をしてくれる大和に、漫画の世界だったらきっと瞳のなかにハートマークが散っていただろう。
大和は優しい。すごく優しい。俺だけが知っていればいいと思う反面、みんなに優しくて世話焼きなのに時々瑛一や綺羅に世話を焼かれているのがかわいくて。それに大和とセックスできるのは瑛二だけで、がつがつと夢中で求めてくれる姿を知っているのも俺だけだと思うと嬉しかった。
タオルがそっと下腹を撫でて、べっとりと濡れた脚の付け根を拭う。つながるために両脚を開かれたのを思い出すと再び興奮で性器がゆるく勃起しかけた。
「なんかえろいことかんがえてたな?」
この状況で考えるなって方が無理だと思う。
「思いだし勃起かよ、ガキだな」
笑った顔にばかにするような色はなくて、すぐに大和の手に扱かれる。声にできる言葉は「好き」ただそれだけで、まだ薄暗くしたままの部屋でも大和が照れるのを誤魔化すように唇を曲げたのが見えた。
「えーじ、次いつする?」
「えっ……ぁ、ぁあっ」
「おれは毎日でもいいぜ」
「だめ、仕事、できなくなっちゃう……」
「そしたら、瑛一におこられちまうな」
兄の名前に身体がびくりとしなる。いけないことをしている、背徳感が身に染みて。
「じゃあ、週一か?」
「んん――っ……」
射精の心地よさに頷くと、大和はそれを肯定と受け取ったらしい。どさりと横に寝転がって、唇を合わせて囁いた。
「前も、火曜だったな」
「よく覚えてるね……」
「えーじの動画があがる、次の日だ」
「そういう覚え方なんだ」
火曜はセックスの日。大和が呟くと、全然ムードがなくてちょっと笑えた。決まり事にすると当たり前みたいな顔をして部屋を訪ねられるから嬉しい。けど。
「ふつう、そうやって決めるものなのかな」
月曜レギュラー鳳瑛二、みたいに。
大和は「ねぇだろ」と軽く笑ってみせる。
「でもおれはそれでいいぜ。実際、えーじは火曜が一番仕事少ないだろ」
「うん、月曜の仕事との兼ね合いでそうしてもらってる、けど」
「火曜じゃねぇとできねぇわけでもないだろ。したけりゃ何曜でもすればいい」
「うん……そうだね」
じゃあ決まり、と唇を奪われて言葉を失ってしまう。
少し怖い、そんな気はしている。だって月曜日はきっとどきどきして眠れない。水曜日は一週間が縮む方法を一生懸命調べるかもしれないし、例えば金曜日にしたくなっても、今夜みたいな行動力がわき上がってくれるかどうか。
「安心しろって、おれが週一じゃたえらんねぇから」
「……うん」
広い胸板に抱き縋る。背中を撫でる手のひらはあたたかくてほっとした。首筋に降ってくるキスに、されるがままに打たれる。眠りに誘われると抗う気は起こらない。
唇にびしょぬれにされて、この雨が朝までやみませんように。愛おしい温度を感じながら、ただ祈る。
