いやな夢を見ている途中だった。
小さく三回、部屋の扉をノックする音で現実に引き戻された。
音の主は申し訳なさそうにこちらを見上げ、持っていた枕を強く握りしめた。
一緒に寝てもいい?
共に歌う仲間であり、恋人でもある彼の頼みを断るわけもなく、部屋に通した。明日の起床時間を確認してから同じベッドに入る。ありがとう、と瑛二が言った。おう、とそっけない返事をして、大和はベッドの端でこちらに背を向け小さく丸まった身体を、目を細めて見つめた。
何しに来たんだよ、と聞くのは野暮だろう。瑛二が自分のことをとても好きでいてくれると知っている大和にとっては、愚問でもある。
「こっち来いよ、瑛二」
シーツの中で、瑛二が身に着けたパジャマの裾をくいと引っ張る。小さく肯定の返事をして、瑛二は寝返りを打ってから距離を詰めた。広いわけではないベッドの上なのに、自然に触れられない微妙な距離がもどかしい。乱暴に肩を抱き寄せると、形の良い瑛二の頭が大和の胸元にすっぽりと収まった。
甘い茶色の髪に顔をうずめ、首筋に流れる短い襟足を指で梳く。
「なんかうまそうなにおいするな」
ひくひくと鼻を動かすと瑛二はくすぐったそうに身をよじる。魚の出汁みたいな、『和』を感じさせる匂い。夜も深いというのに食欲を引きずり出される。
「朝ご飯の下準備してたから」
「明日の当番シオンだろ」
「下ごしらえしておくと、火を使うのは最後にあたためる時だけでいいし、包丁も使わなくていいんだ」
「世話やきすぎなんじゃねーの?」
「大和だってシオンのこと心配そうに見てるでしょ。だからだよ」
諭すように言われ、次の言葉に詰まる。瑛二の言うことも一理ある、というか事実だ。朝に弱いらしいシオンが朝食の準備にかかるとどこか危なっかしく見えて、少しひやっとする。わざわざ日課のランニングを早めに切り上げて見に行くと、心配しなくて良いとたしなめられてしまうのだけど。
「明日はいつも通り走って大丈夫だよ」
「なんだ、おれのためみてぇな言い方だな」
「違うよ」
瑛二は首を横に振って否定した。あまり伸縮性のないタンクトップをぐっと掴まれる。そっと撫でてやったからか、耳がほんのり赤く染まった。
「その、大和がシオンの様子を見に行くと、ちょっとだけ……シオンのことが羨ましくなっちゃうから。だから、多分これは俺のためなんだ」
語尾がやけに早口になって、笑ってしまいそうなくらいたどたどしい。しばらく返事をせずにいると、焦ったような口調で「大和はしょうもないって思うかもしれないけど」と瑛二が言った。
「おもってねぇよ」
「……うん」
「シオンはたしかにかわいい弟分みてえなモンだけどよ、おまえはそれだけじゃねえだろ」
ぎゅっと強く抱きしめる。髪に軽くキスをしてこの関係を知らしめてみたけれど瑛二にはきっと伝わらない。
瑛二もゆっくりと腕を大和の身体にまわす。たくましい体躯は抱いていて気持ちの良いものではないはずだが、愛おしそうに胸元にくちづけられるのがたまらない。
瑛二の指先がいたずらみたくタンクトップの裾をまくり上げて、汗ばんだ素肌に触れた。つうっと撫でられて、すぐ動きが止まる。
「大和、暑いの?」
「いや」
今にも離れていきそうな瑛二の頭を抱き直す。
「さむい、はなれんな」
その声に、瑛二が小さく頷いた。
「こわい夢でも見た?」
「……そんなとこだ」
「そっか」
「もう大丈夫だ」
強がっているわけじゃない。瑛二にもそれが伝わっていればいいと思う。思い切り抱きしめてみれば壊れそうな細い身体なのに、こうしていると安心できるのが不思議だ。
背中を上下にさすられる。子どもにするようなやさしさが、妙に心地いい。
「ばかみてぇだけど……あいつが崖の上にいてよ」
思った以上に自嘲めいた声が出た。あいつ――日向龍也は夢の中で、崖の上から大和のことを見下ろしていた。
瑛二は黙って、首を縦に振る。
「のぼってものぼっても……たどりつけねぇんだ。そのうちあいつはそこからいなくなって……そしたらおまえが部屋にきた」
ノックの音に目を覚ましたら、ひどく汗をかいていて驚いた。瑛二の頼みを無碍にもできず入れてやったが、本当にこうしたかったのは大和の方かもしれない。
「今日はおれの夢にでてこいよ、瑛二」
「……うん、頑張るね」
「はは、ほんとに出てきたらすげぇな」
頑張るよともう一度言い直し、大和を見上げた紫の瞳は眠たげに落ちていく。ぽすりと胸に落ちた頭を撫で、子どもみたいに安らかな寝息を静かに聴いた。
くだらない、幸福な夢が見たい。だってそれは夢でしかないのだから。
ひとつになるみたいにしっかりと瑛二の身体を抱きしめて、柄にもなく、夢の中でもこうしていられるよう強く願いを込めた。
