見上げた空に一筋星が流れた。光の軌道は願い事を唱える間もなく宵の闇に溶けて消えてしまう。瞬きする前になくなって、手を伸ばしても掴めない。そんな一瞬のきらめきを追う脆さを、なぜか自分の姿に重ねてしまう。理由も理屈もわからない。ただこの手が届けばいいのに、とふと思った。
「お、そこのおにーさーん」
気安く肩を抱かれ、視線をやらなくても相手が誰だかわかった。
「……おまえ風呂は」
「ん? 今から行こう思っとったんやけど、大和がおるの見つけてなんかおもろいもんでも見えるんかなって」
からからと笑いながら、ヴァンはバルコニーの欄干にもたれかかる。見上げると広がる星々には目もくれようとしなかった。建物の灯りが少ないから空の方が明るく感じられる。都会と離れたこういった場所ならではか、と大和は星を数えるように空を眺め続ける。
「大和こそ風呂入らへんの? 貸し切り二時間だけやろ」
「二十分もありゃ入れんだろ。あとでいい」
「ふーん……」
意味ありげに呟いたあと「じゃあワイもそうしよ」と笑う。別にどうでもよかった。おまえは二十分じゃ間に合わないんじゃ、と口出しをしてやるつもりもない。
「皆と風呂入られへん理由、当てたろか」
「いらねえよ」
「えーじちゃん」
「やめろっつってんだろ」
図星なのを表情から、声色から隠せない。普段から、わかりやすいなぁとからかってくるのはヴァンだけではなかった。隠し事はできないたちだ。
「けんかでもしたん?」
「……そうじゃねーよ」
「え? んー、ラブラブ過ぎて困っちゃう?」
なんでこいつの表現はいつも少しだけ古くさいんだろう。
「わかる、わかるで。今日もアンコールで仲良さそうに肩組んどったもんな。付き合ってますオーラびんびんやったもんな」
「見てんじゃねえよ」
「いや普通に見えただけやし。あと、あのままチューでもしたらどうしよって見てた」
「するわけねえだろ」
「わからんやん。ツアー最終日やし、えーじちゃんだって故郷でのライブでテンション上がっとうかもしれんし。えーじちゃんから迫ってきたら大和だって断らんやろ?」
思わず想像してしまって、長いため息でごまかす。ライブ中に気持ちが昂っていつもとは違う行動に出てしまうアーティストは少なくないと聞くし、あいつから仕掛けてくるならまぁいいか……いや、他のことを考えよう。富士山ってあのでけえ山かな。目を凝らした。たぶん違う山をじっと見つめる。
いっしょに風呂に入るのは、ちょっとまずい。端的に言うと欲求不満なのだ。いや、別にあいつの裸を見たら襲ってしまいそうとかそういう話ではないけれど。瑛二に好きだと言われた冬の日から三ヵ月、初めての夜から一度もしていないのだとヴァンに知られたら何と言われるだろう。妙に同情されそうでそれも癪だった。
さむ、と肩を震わせるヴァンに続いて室内に戻る。差し出された缶ビールを迷わず受け取りプルタブを押し上げた。好きじゃない、でも嫌いなわけでもない苦みが喉に流れていく。
「バレたらえーいっちゃん怒るかな」
「瑛一も打ち上げでけっこう飲んでただろ。大丈夫じゃね」
「せやな。お、噂をすれば」
と大和の肩越しにひらひら手を振る。ヴァンの視線の先には瑛一と、綺羅と瑛二が続いていた。予想通り飲酒を咎めることなく、「二人は入らないのか?」と鮮やかな紫の瞳をきょとんと丸くする。
「あー……うんちょっと、明日の仕事の打ち合わせしとってん。もうすぐ入るわ」
「そうか。風呂を貸し切りにしてもらっているのは零時までだからな。まぁ他にも大浴場はあるし、時間を越えても一般客が来ることはないだろうと聞いているが……遅くならないうちに入るといい」
「はーい、そうしまーす」
子どもみたいにヴァンが手を挙げる。エレベーターに乗り込む直前、瑛二が振り返って小さく微笑んだ、気がした。そんな些細なことに舞い上がってしまう。扉が閉まるのをぼーっと眺めているととんとん肩を叩かれた。
「そんな熱心に見つめんでも~」
おまえの見間違えだと言わんばかりに盛大に無視して大浴場へ向かう。自分のビール缶は道中のごみ箱に捨てた。脱衣所で服を脱いでいるとナギとシオンが出て行き、入れ違いにヴァンが入ってくる。一つ空けて隣のロッカーを使い、「えーじちゃんの浴衣姿よかったなぁ」とにやにやしてくるので軽く肩パンを食らわせた。
いいに決まってんだろ、そんなの。強すぎるシャワーを浴びながら当然のように思う。色白の肌がやや赤らんでいて、布を巻き付けて帯で結ぶだけの浴衣は無防備すぎる。言葉を選ばず言うならば、むらっときた。欲情した。周りにいる全員が透明人間になってくれるなら部屋に戻る暇も惜しいのでロビーのソファにそのまま押し倒したかった。浴衣ってやりやすいから最高だ。……こんな妄想をしてしまうのだから、やっぱり時間をずらして正解だった。
髪と体を洗い終えて浅めの浴槽に浸かっていると、隣にヴァンが腰を下ろした。
「今日ワイがえーじちゃんと同室やったら良かったなぁ。代わったるのに」
「変な気つかうなって……」
「大和がめっちゃ物欲しそうな顔でえーじちゃん見てるからやん」
「おれ、そんな顔してんのか?」
「めっちゃしとうやん。で、えーじちゃんもそうや」
「あいつも?」
それならヴァンの目がおかしいだけじゃないのか? 大和にはそんな風に見えなかったけれど。
「大和もえーじちゃんもなんちゅうか、鈍いもんなぁ」
「よくわかんねえ」
「うんうん、わからんやろなぁ」
「やめろその顔、むかつく」
わざと穏やかな表情で頷くヴァンを軽く睨むとへらへらとかわされる。
「ま、時間あるときにたっぷりイチャついときや」
とウィンクして言い残し、珍しくヴァンの方が先に風呂を出た。
そりゃあできるもんならそうしたい。けれど時間がない……というのはしょうもない言い訳なのかもしれない。チャンスはあった。先月、二人で千葉の実家に帰った時とか。何をためらったわけでもなく、ただ二人きりで出かけたり、部屋で抱き合っているだけで幸せだった。それに瑛二は今でも大和と瑛一、二人のことが好きなのだ。大和を好きな気持ちは実って、瑛一とは気持ちが通じ合わなかった。理由はただそれだけで。
今晩の部屋割りを思い出してみる。瑛一は一人部屋だった。瑛二と相部屋じゃない。そんなことに安心してしまう自分の器の小ささに辟易する。瑛二はきっとその心の狭さを咎めたりしない。それをわかっていても落ち込んでしまうのだった。
浴室を出て浴衣を羽織るとヴァンは髪を乾かしていて、無言でそれに並ぶ。半乾きの状態でこれくらいでいいかとドライヤーを切り、ヴァンと連れ立って風呂を出た。
旅館のご厚意で(鳳家と古くから付き合いがあるのだと聞いた)時間制で貸し切りにしてもらった大浴場からまっすぐ行くとフロントで、日付を跨ごうという時間にスタッフ以外の人影はなかった。ただ一人、瑛二がロビーのソファに腰掛け大きな窓ガラスの向こうの庭を眺めていた。
「瑛二」
「あ、大和、ヴァン。今日はお疲れ様」
「おう」
「お疲れえーじちゃん。ほな、ワイ先に部屋戻るから。また明日~」
「うん、おやすみなさい」
「……えーじちゃんの方がずっと積極的やな」
ヴァンは耳打ちすると、エレベーターに姿を消した。二人きりになると静寂がよりいっそう深く感じられる。自販機で紙パックの牛乳を買って、ローテーブルを挟んだ向かいではなく瑛二の隣に腰を下ろす。お互いフロントに背を向けたかたちになった。窓の向こうから滝の流れる音がかすかに聴こえてくる。
「待ってたのか?」
「うん。だめだった?」
「だめなわけねえだろ。おどろいただけだ」
ほら、と牛乳を勧めるとありがとうと微笑む。本当に、これだけのことがごく普通に嬉しい。ストローが一発で刺さらず一瞬困惑した表情になるのがかわいい。メンバー七人で過ごす時間がもちろん楽しいけれど、こうしてたまに二人きりになれるのは幸せだった。
「そういえば瑛二、おまえほんとに身長とまったのか?」
「うん、ちゃんと測ってないから多分だけど……どうして?」
「や、正直もうちょっとのびんじゃねえかと思ってた」
「それは俺もだよ。兄さんも父さんも高いのになぁ……このままじゃいつかナギにも抜かされちゃいそう」
「おれは瑛二が今のままでよかったけどな」
「え、なんで?」
唇をストローに触れ合わせたまま見上げられ、すみれ色の瞳が不思議そうに揺れる。
「サイズ感がちょうどいい」
「ちょうど?」
「おれもおまえもばかでかかったらいろいろ大変だろ」
「……いろいろ?」
「くりかえすなよ」
「ご、ごめんなさい」
「――で」
すっかり空になったパックを取り上げ、顔を近付けるとそわそわと視線を泳がせる。幼稚な優越感がふつふつと込み上げてくるのが止められない。だってこんな顔が見られるの、おれだけだろ。
「なんで待ってたんだよ。瑛一たちとエレベーター乗ってただろ」
「じゃあ大和はなんでお風呂ずらしたの?」
「……んなのわかってんだろ」
「うん、わかってる」
でも言ってほしい、と言いたそうに大和の浴衣の袖をぎゅっと掴んで見上げてくる。大和、と名前を呼ぶ。こんなの卑怯だ。思わず目線をそらしてしまうのが、同じ気持ちだと瑛二に伝えているようだった。
「……大和、キス、したい……」
「ばか、おれだってしてぇよ」
こんなところで言うな、という含みを持たせて呟く。期待してしまうから。こんなところでしたくなってしまうから。
時間がある時にたっぷりイチャつけ、と言ったヴァンの言葉を思い出す。時間ある時って、今じゃないのか? これは据え膳じゃないのか? だってもうキスすらずっとしていない。
「よし、わかった」
半分くらい自分に念を押すように口に出して立ち上がる。フロントに話を通すのは簡単だった。なにも言い訳しない。空きと代金さえあれば理由なんてなくてもすっと部屋を用意してもらえた。エレベーターを呼んで手招くと、瑛二はそれでもよくわかっていない顔をして大和を見上げる。
「どこ行くの?」
「部屋とった」
「えっ?」
「おどろいてんじゃねぇよ。瑛二が言ったんだろ」
「そういうつもりじゃなかったんだけどな」
「そういうつもりだろ」
狭い箱の中ではどきどきとうるさく高鳴る心臓の音が聴こえてしまいそうだ。本当に泊まるはずだった四階を越えた階数表示に、悪いことをしているみたいでぞくりとくる。ルームキーで乱暴に部屋を解錠し、重たいドアが閉まるのも待ちきれずに抱きしめる。
「おれは、がまんしようと思ってたんだからな」
「うん……。だからお風呂も別々にしてくれたんだよね」
「わかってんじゃねえか」
「わかってるって言ったよ、さっき」
「もうおぼえてねえよ。なんもおぼえてねえ。なんも考えらんねえ……瑛二、すげえ触りたかった。おまえのことめちゃくちゃに抱きたかった」
「俺もだよ。俺も……したかったし、してほしかった」
ぎゅっと抱き返され、腕の力をゆるめた。細い身体を子どもみたいに抱きかかえ、軽くゆするとスリッパが脱げる。そのまま部屋の電気をつけてベッドに瑛二を仰向けに寝かせる。やっぱりちょうどいいサイズ感、と思ったのは秘密にしておこう。待ちきれないと言わんばかりに両腕に求められ、覆い被さってキスをした。情緒も雰囲気も計算していない、本能的なくちづけ。髪の毛に手を差し入れた瑛二が「濡れてる」と息継ぎの合間に笑った。
生き物みたいにうごめく舌で求めると、従順に唇を開く。してほしいことをちゃんと伝えてくれて、大和にも応えてくれる。そんなところが好きだと思うと胸が甘くつかえる。湿った部分同士で絡み合う。交わし合う息がねっとりと甘ったるく、自然と求める呼吸さえ色めき立つ。手のひらで腿を撫で、すぐに浴衣の布を割って肌に触れた。親指を下着に引っ掛けると、瑛二は腰を上げて脱がすのを手伝った。それに妙に興奮して、褒めるように咥内を舐め回す。
やがて銀の糸を結んだまま唇を離し、ベッドに放り投げた財布やタオルを見て「やべ」と思い出す。瑛二の上に乗り上げたままスマホを手繰り寄せ、右耳に押し当てる。静かな密室なのでコール音が瑛二にも聴こえているだろう。
「ちょっと頼みてえことがあんだけど」
オッケー、と電話の相手はあっけらかんとした口調で引き受ける。
瑛二はぽかんとしてこちらを見ていた。空いた左手で腰に絡み付いた帯を解いていく。袖を通して帯で締めてあっただけの浴衣はすぐに瑛二を丸裸に剥いてしまう。唇を寄せ、乳首を舐め上げる。
「……んんっ」
「たぶん寝てんだろうけど、シオンにおれ今日かえらねえからって伝えてくんね? あと――」
音を立てずに咥えたり離れたりを繰り返したあと、そこに顔をうずめたまま「なあ」と囁いた。言葉を続けるより先に下腹部でひくひくと息を潜めた瑛二の性器を握り込む。声の代わりに、シーツを握った指がひくひく震える。ちょっといじめてみたい、相手はヴァンだしいいだろうとただのいたずら心だったのが、嗜虐心に変わってくる。
「えーじ、綺羅とおなじ部屋であってるか?」
「……うん、あっ、てるよ……」
「じゃ、悪いけど綺羅にも……あ? べつに理由とかいらねえだろ」
「あ! ……っ、は……」
性器を擦り上げるとふやけそうな唇から声がこぼれた。手首を口元にあて、声が出せない代わりに身体を震わせる。本当はもっとゆっくり、優しく甘やかしたいとも思うのに。瑛二が自分のせいで困った顔をするのを愛おしく感じてしまう。好きな子をいじめたくなるってこういうことだ。まさかこの歳で小学生男子の心理に逆戻りするなんて思わなかった。
舌で弄ぶ乳首がぷくりと硬くなってくる。思わずその尖りを甘噛みした。
「ん……んんっ~~!」
そして吸引するみたいに性器をうんと扱き上げる。瑛二は声を我慢できなかった。
『いじわるすんのやめたりぃや。ガキかいな』
「わるかったな」
『えーじちゃんに、なんも聴こえとらんからって言うといてな』
「おとなだな、おまえ」
『え?』
「なんでもねえ」
電話口から、ナギが「うるさい~!」と起きてくるむにゃむにゃした声が聴こえた。たのむな、と短く言って電話を切る。ひどいことをした、というのは、ヴァンの気遣いからもそっぽを向いて袖で顔を隠す瑛二の態度からも明らかだった。
「……えーじ」
青色の柄が入った白の布をはらはらめくると、部屋の明るさに瑛二は目を細める。じっと見下ろしても目を合わせてくれない。
「なに怒ってんだよ」
「怒るに決まってるよ」
「……まじで怒ってんのか」
「まじで怒ってる!」
「怒んなよ」
はぐらかすつもりで唇を合わせる。許してくれないかと期待して。瑛二は困ったような顔をして、大和の頬を手のひらで包んだ。したいのはけんかじゃない。もっと他の愛おしいことを二人でしたい。それはきっと瑛二も同じだった。
「頼むから怒んなよ」
「もう、怒ってないよ……」
「悪かった。おれ、おまえのこういうとこ、誰にも見せたくねえのに、おまえがおれとだからこういうことするんだって見せつけてえみたいな……ガキなんだよな、あいつの言うとおり」
「俺……大和のそういうとこ、ちゃんと知ってるし、好きだよ。でも恥ずかしいんだ。それだけ。嫌じゃないから……大和にだけ、恥ずかしいところ、見せてもいいって思ってるから……だから」
「やさしいな、瑛二は……知ってたけど」
なにか言いたがった瑛二の唇をキスで塞ぐ。中途半端に勃ち上がったままだった性器をそっと撫で、高めていく。自分じゃない誰かのためにこんなにしたくて、自分のすることに気持ち良くなってほしい。この気持ち全部、瑛二に教えてもらった。だから大和にだけ見せてほしい。いっしょに、感じていてほしい。
「んんっ、ぁ……」
「あー……やっぱえろいな。えーじ、胸は?」
「っん、して、ほしい……っ」
「手でもいいか? くちでしたら顔みれねえから」
「ん、んっ……」
そのへんはお好きに、という感じで首を縦に振る。小さな実を摘むように二本の指できゅっと捕らえ、擦り合わせるように捏ねるとたまらなさそうに眉間にしわが寄る。身体の中に張り詰めた一本の糸が仕掛けられたみたいに、足の指がぴんと尖るのがえろい。顎を反らして喘ぐのをじっと見つめる。おれだけに見せてくれている。許してくれていると思うと瑛二のことがどうしよもなく愛おしい。長い睫毛に雨を降らせるように、瑛二の頬へ涙が伝った。めちゃくちゃ感じているんだとわかる。
「あ、んっ……やまと……」
「すげえ感じてんな」
「だって……っあ、ぁあ……」
「そうだよな、セックスしたくて待ってたんだもんな、瑛二」
「ぁ、あっ……!」
顔が見たいと囁いた唇でキスをする。そうだ、瑛二はおれとしたくて待っていてくれた。兄さんとエレベーターに乗ったのに。何も知らない、同室の綺羅と一緒に部屋に戻ったのに。触りたい。キスしたい。抱きしめたい。瑛二もきっと同じ気持ちだと思うと、このままどろどろ溶けてしまいそうなくらい、嬉しい。
「やまと……っ」
「ん?」
「も、いい、から……、いれて……」
「んなこと自分で言うなよ。がまんできなくなるだろ」
「しないで、がまん、しないで……っ」
「……しねえけど」
健気なおねだりに、意識が飛ぶかと思った。もし思っていることを全部隠さず口に出す薬(あるのかは知らない)なんかを盛られたら、ばかみたいに「かわいい」と「うれしい」しか言えなくなってしまうだろう。そして、可愛くてたまらない瑛二に、ちゃんと優しくしたい。
瑛二に伸し掛かっていた身体を起こし、大和も浴衣の帯を解く。浴衣をベッドの下に追いやって、もう一度瑛二を囲うようにベッドに手をついた。
「一回抜いてもいいか? 瑛二も久しぶりで、これ、いれんのきついと思うんだよな」
これ、と示したわけでもないものに視線をスライドさせて、下着の上からでもわかる大和の熱を瑛二はじっと見つめた。見られるのなんて触られることに比べるとなんでもないはずなのに、羞恥に火をつけられたみたいに顔が赤くなる。だって瑛二とキスして、触れ合って、こんなになってしまったのだ。瑛二に入りたくて、こんなになってしまっている。
「……俺、できること、ないかな」
「え」
「だってせっかく、二人でいられるのに」
「えーじがしてくれんのか?」
「え……あの、大和がよければ……。俺、自分のも多分上手くできないし、自信、ないけど……」
「自信あるほうがいやだろ」
「そっか」
へへ、と笑ったのがあまりに愛おしくて頭をくしゃくしゃ撫でる。大和がしたのを真似して、下着に親指を引っかけてくる。今から脱がせる、と示すようなやり方。すでに張り詰めて反り返った性器に引っかからないように丁寧に脱がされると、それは飛び出す、という表現がぴったりだった。この恵まれた体格の分、人より大きい、自覚はある。
伸ばしかけた瑛二の手を、言葉で遮った。
「なぁ。口で……してくんねえか」
「口……?」
「AVとかで見たことねえか?」
「知っては、いるけど……」
「あー……わり、絶対そうしてくれっていうんじゃねえから……」
「……いいよ。でも俺、したことないから……どうしてほしいって大和がちゃんと伝えてくれる?」
「あぁ、わかった」
「痛くしちゃったらごめんね」
気持ちばかり浴衣の合わせを正して、瑛二はベッドから下りる。大和の両脚の間に跪くかたちになって見上げられ、「本当にいいんだよな?」と思わずお伺いを立ててしまう。してもらう側のはずなのに、だからこそびびってしまう。本当にこんなことをさせてしまっていいのか。瑛二がやりたくてやっているのか、どうしても不安になって。小さく頷いた瑛二は、両手で根元を握ってたどたどしく口に含む。咥内のぬるい温度に声が出そうになった。
「えーじ、いっかい、はなせ……」
「ん……どうしたの?」
「や、これでいやなら、無理しねえでいいから」
「いやじゃないよ。おいしくないけど」
「そういう感想はいらねえって……」
「大丈夫だから、どうすればいいか、言ってね」
全くおいしくないその部分に舌を這わせてから口に含む。どくどくと脈打つことで分かりやすすぎる興奮を知られているのだと思うと緊張した。
「えーじ、もっとふかく……いけるか」
「ん……ぬるぬるしてきた……」
深く突っ込んでしゃぶったあと、歯が当たるくらいまで浅く含んだまま上向く。おれのをくわえたまま、おれを見てる。それを思い知らされると性器がまた硬く膨らむのがわかる。興奮してしまう。瑛二のことを見つめて。
「大和、俺のことえろいって言うけど、大和だってそうだね」
「あたりまえだろうが……。つか口にいれながらしゃべんな」
「大和が俺の中でどくどくしてるの、かわいいなって思って」
「かわいくねーから」
「次、どうする?」
「……えーじは自分で出すとき、どうすんだよ?」
言いながら腰を軽く揺さぶり、瑛二の咥内で刺激を求める。そういえば瑛二ってオナニーとかすんのかな。そりゃ、もちろんするんだろうけど、ちょっと想像できない。瑛二はしばらく本気で考える素振りを見せてから奥の方まで咥え込んだ。吸引をきつくされる。手で強くこすり上げるときみたいに、ずるずると出し挿れを繰り返す。
「……は、すげえ……いいぞ、えーじ」
「ん……んっ」
目の前の光景に釘付けにされながら、瑛二の口では咥えきれない根元を瑛二のリズムに合わせて手で扱く。たっぷりと頑張ってくれる幼気な姿に、さらに求めたくなった。
「なぁ瑛二、やり方変えようぜ」
「へ?」
いいけど、とよくわからなさそうに応じた瑛二の脇に手を差し込み身体を持ち上げる。抱きかかえ、大和がベッドに仰向けに寝転がるとそれを瑛二が見下ろすかたちになった。手を伸ばし、耳の裏をそっと撫でると下から上に電流が流れたようにぴくぴく震える。
「反対向けよ、瑛二」
「反対って……こっち?」
大和の身体を跨ぎ直して半回転する。浴衣を羽織っただけの瑛二が振り返って「こう?」と首を傾げた。
「そのまま、してくれよ」
意図はちゃんと伝わっただろうか。つまり、大和だって触りたいということ。こちらを向いた脚の裏を撫でると、瑛二がゆっくり前に倒れる。勃ち上がった性器を手で支え、ぬるりと口に含まれたのが感覚でわかった。上体を覆うようにして突き出された双丘のラインをなぞり、浴衣の裾をしっかりめくり上げて肌を曝す。むき出しにされた尻を割り開くと、大和に見えているものが瑛二にもわかったようだった。
「んっ……あ……」
「今日はぬらすモン持ってねえからな……」
「ひぇ、あっ!」
両手で腰を支えて瑛二の身体を引き寄せる。シーツにつけた膝を支点に、華奢な身体は滑るようにスライドして大和の目の前に繋がる部分がさらされた。
「あっ、や! うそ……っ」
後孔にじっとりと舌で触れると、両脚がぱたぱたと跳ねる。
「あ、あぁああっ……だめ、だめだよ、やまと……!」
「だめなことあるかよ……こっちもすげえひくひくしてんのに」
「ぁん、あっ! そこだめ……っ!」
後ろを音をたてて舐め上げながら、腰を掴む手を前に回して性器を擦り上げる。生殖器でもないのに、たった一度の大和とのセックスで感じることを全て教え込まれた孔はひくひくと明らかにそこでの交合を求めていた。とろとろと先走りをこぼして、規則的なリズムで可愛がった性器から勢いよく白濁が吐き出される。
「イった瞬間、こっちもすげえびくびくしたぞ、えーじ」
「あ、ぁ、だめ、もう、おかしくなっちゃうからだめぇ……」
「でもしたかったんだろ?」
「んっ、ぁ、けど……っ、ひぁあっ」
唾液と先走りとで潤ませた口に、指の腹を押し付ける。今から挿る、と身体に、瑛二の脳に神経に、すみずみにまで教え込むように。反射的に喘いだ瑛二の唇からたらりと蜜がこぼれた。割れた腹筋に溜まるそれは欲望のかたまりで、どうか満たしてほしいと媚びるみたく舌を這わせてくる。
「えーじ……おまえはもうしてくれねえのか?」
「だって、届かなく、なっちゃったから……」
「え……あぁ、そうか。そうだよな」
身体を引き寄せすぎていたことに気付かなかった。両手で腰を掴み直し、ゆっくり前に押し出していく。再び目の前に突き出された大和の昂ぶりに、瑛二は悦ぶようにむしゃぶりついてくれた。見られるのがやっぱり恥ずかしいのか、閉じようとした両脚をしっかりと割り開かせる。四つん這いのまま腰を高々と持ち上げる格好は交尾をねだる猫みたく大和を惑わせる。上体だけを軽々と起こし、きれいな背中のラインを撫でながらまた後ろの孔を舌で弄る。
「ふ、ぁ、あっ……もう……っ」
「瑛二、おれもう、がまんできねえよ」
「あっ……!」
一本、指をそこに嵌める。ほんの少しでも内側を許してもらえれば、全て明け渡して、許してもらえたようで安心する。内壁は今まで知らなかった何かを求めて自ら吸い付いて受け入れる。抜き挿しの僅かな往復の末に指一本飲み込むまでに時間はかからなかった。
「すげー……おれの指、うまそうに食ってる」
「あ、ぁぁあ……っ」
入り口ではないどころか、ひとに見せる場所でないところを、腰を高く持ち上げて曝し異物を啜っている。いや、瑛二は啜らされている。大和とひとつになるための戯れ。女の子みたいに。本能のまま生きる動物みたいに。
「はやくはいりてえ……えーじ……」
くちゅくちゅと指をかき回しながら、目の前の肌にくちづける。大和の性器を咥えながら喉の奥で喘ぐ瑛二をもっと、もっとそばに感じたいと思った。
おれだけだ。こうして瑛二と裸で抱き合えるのは。恥ずかしいところを見せ合えるのは。こんなことをしたいと思ってもらえるのは。ひとつになれるのは、おれだけ。そうだよな、と、口にはしない。違う。できないのだ。
咥え込んだ性器に歯を立てられ、言葉の代わりみたいだと思った。俺が好きなのは、と。わかってる。そんなのわかってる。大和だけじゃない。瑛二が好きなのは。
裏側を舐められ、じゅっと吸引される。濡れた先端へ、硬くなった根元へ、血の漲る裏側へ、施しのようなくちづけを重ねられる。結局達するために、そして頭の中に流れ込んでくる言葉たちを遮るために、大和は片手を伸ばした。どうして瑛二の言葉を、行為を、好きだと言ってくれる気持ちを、素直に受け止めることができないんだろう。どうして本当は二番じゃ嫌なんだろう。それだって一つの愛のかたちなのに。瑛二の手のひらが重なってくる。ぎゅうっと強く握り込んで扱き上げる。白濁を垂れ流す性器にくちづけられ、好きだ、と刻み込むように二本目を後孔へ突き入れる。
「……あっ!」
「あんまびびんなよ。いたくしねえから、たぶん」
「たぶん、なの?」
「ぜったいって、言いてえけど」
「ふ、ゃ、あぁっ」
「えーじ、力ぬけって」
長い指で瑛二の一番好きなところを探る。そこを擦られると火を点けられるようにおかしくなってしまうのを知っていて。だってそれがかわいい。いつも穏やかで、真面目で、真っ白な瑛二をベッドの上でおれだけが知っている瑛二に変えたい。それだけだ。
「瑛二、たえらんねえって」
「ふぇっ、あっ!」
「な、いれてもいいか?」
「んっ、あぁあぁ――っん、いい、よっ」
「サンキュ。すげえやわらかくなってるし……いけそうだな」
「あ、ぁ、もう……っ」
指でそこを拡げたあと、揃って引き抜くと声が漏れる。身体を抱え上げて瑛二を仰向けに寝かせて浴衣を脱がせた。
好きだ、おれは一番に。伝えるようにまっすぐ見つめる。満開の花みたいにきらきらした瞳に見上げられ、諦めよりももう少し、前向きな気持ちになれるような気がした。
少しでも好きだと思ってくれているならそれでいい。ただ、おれの気持ちを知っておいてほしい。そしてとびきり優しくしたい。手を伸ばし、部屋の照明を落とすとベッドサイドの小さな灯りだけがぼんやりと浮かび上がる。膝裏を手のひらで掬って左右に割り開く。それを折り畳んで膝が胸につきそうなほど曲げさせる。その姿を、もっとよく見たかった。
「大和」
「ん?」
「やさしくしてね」
「……努力は、する」
「うん…………やっ……ん」
たっぷり広げた脚の間に発情を押し当てる。入り口でぬるぬると円を描くともどかしいのか、細い腰が揺れるのが動きでわかった。まだ慣れていないこの行為が多少の痛みを伴うものだと大和も知っている。それでも求めてくれのが嬉しくて、だからこそ焦らした。
「はやく……っ」
「やさしくしてんだろうが」
「でも、ほしい……」
「あーもうおまえほんとえろい」
「……ぁ、あ――」
指で開いて、内側を硬いもので犯していく。両手はシーツを掴んでいるから声を殺せず、先端を飲み込ませていく間、堪えきれずにこぼす唸り声のような喘ぎが愛おしかった。
「はー……瑛二、平気か……?」
「ん……うん……」
「うごいて、いいか?」
「いいよ」
「ゆっくりするからな」
頭を撫でて、膝を抱え直す。ぬる、ぬる、と落ち着いたリズムで小刻みに抽挿を繰り返し、宣言通りゆっくりと押し入っていく。瑛二が伸ばした手が大和の背中を抱き、肩甲骨の凹凸に散った汗の粒を撫でた。
「あ、ぁ、あぅっ……ぁあ、あ……」
「えーじ、いたくねーか……?」
「ぁん、へいき、だから、もっと……っ」
「もっと、してもいいのか?」
「ん、して……」
「瑛二、おまえさ」
「ぁ、あぁっ!」
ゆす、と腰を揺さぶると声がこぼれる。折り畳んだ身体の一番敏感な部分に差し入れた性器がぐっと質量を増したのが自分でもわかった。
「あんまあおんなよ……ひどくしたくねえのに」
「ひゃ、ぁ、んっ」
律動のスピードを上げると背中に爪を立てられる。これくらいの痛みなら甘んじて受け入れる。瑛二が楽な姿勢でいられるよう両脚を抱え直して腰を振ると瑛二の腹にぱたぱたと汗が落ちた。
「あ、ぁ、ぁ、あ、ああっ、ぁんっ」
「えーじ、自分で足、持てるか」
「あ、ぁ、ぁああっ」
こくこくと頷いて自ら両脚を開いて見せつける格好になる。薄暗い部屋でも大和を受け入れてくれる姿をまざまざと示されるとたまらなくて、目に焼き付けてからゆっくりと前に倒れる。キスしながら腰を撫で上げた両手で胸元をまさぐった。胸の先端を撫でながら律動を激しくすると嬌声がいっそう旺盛になった。
「ぁ、ぁん! やっ、だめ、さわっちゃだめ!」
「それ、さわってくれってことだろ」
「やぁぁぁん! あ、ぁ、だめ、変になっちゃうからっ」
乳首をぎゅっとつまんでねじると腰がびくびく震える。孔に差し込んだ性器が浮かび上がりそうな瑛二の身体を許さない。もう足を支えている場合じゃなくなった瑛二が、手を離して大和にしがみついた。
「やっ! あぁ! だめだってばぁ……!」
「えーじ、おまえの中、すげえきもちいい……」
「あぁぁぁ、ぁ! やまと、やまとっ」
「瑛二……いきたいだろ」
「んっ、や、ぁあんっ、いきたい、いきたいぃ……」
大和の激しい律動に合わせて腰が揺れていることに、自分では気付いていないようだった。乳首を弄っていた両手で性器を扱くとあっという間に手のひらの中に射精する。
「ぁ、あ――ッ」
力任せに抱き縋られる。頬に、首筋にキスをして耳元で囁く。好きだ、好きだ、と。
「えーじ、おれもいきてえから……もっかいするな」
こつりと額を合わせる。射精の余韻から抜け出し肩で荒い息をしていた瑛二が頷いた。それだけで十分だ。受け止めてくれる。受け入れてくれる。抱きしめてくれる。求めてくれる。好きだと言ってくれる。
だから、一番じゃなくても。
シーツを被って抱き合って、おやすみのキスをしてからどれだけ経っただろう。ずいぶん浅い眠りだったような気がする。行く手を阻む大きな壁を見上げて唇を噛む、そんな夢を見た。
「……大和?」
「わり、起こしたか」
顔を上げてスマホを探る。それだけの動作で目を覚ましたらしい瑛二はううんとかぶりを振った。
「寝ちゃうのもったいない気がして」
「ねてねぇのか」
「三十分も経ってないよ、多分。歌詞考えてたんだ」
「あぁ……」
メンバー全員のソロシングルのリリースは、今日のライブでも発表があった。作詞以外を外注するのはいつものことだったが、歌詞を考えるのが苦手な大和には正直荷が重い。
「おれまだなんも考えてねぇ……瑛二は?」
会話するには近すぎるかと思い腕を解く。シーツの冷たいところに足を擦り付けていると、瑛二が手を繋いできた。仔猫がじゃれるみたいに自然に甘えてくるのが愛おしい。
「俺もまだ全然。兄さんなんか、するっと書けてそうなのに」
「だな。そういえば――」
「ん?」
「瑛一とラジオやるんだってな。おまえらばっかいいよなー」
「大和も新しいCM決まってたよね。ナギとシオンと」
「まぁな」
でもそれは瑛二と一緒じゃない。瑛一が羨ましい――とは子どものわがままのようで言えなかった。握り合った手と手を引いて、浴衣を羽織った瑛二の身体を抱き寄せる。自分より一回り、いやそれ以上細い愛おしい肉体。
瑛二が兄に想いを告げた夜、一緒のベッドで眠ったと言っていた。きっと瑛一は、自分たちは兄弟以外の何者でもないのだと教えるために、傷付けるとわかっていても、そうした。
けれどこの小さな身体に触れると思い知らされるのだ。二人には同じ血が通っていると。血を分けたもう一人を、瑛二はまだ好きなんだと。兄さん、と、瑛二が発するその言葉に胸がざわつく。そんな繊細な心、持ち合わせていなかったはずなのに。
二番目で良いのかと、時々考える。
本当はいいわけがない。
二番目なんて大嫌いだ。もちろん三番も四番も。一番じゃないと意味がない。
そんな偏った考えも最近はやや軟化してきた自覚があるが、それでも譲れないものはたくさんあった。兄がまずその一つ。そしてやはり瑛二の存在が大きい。
「そういえば――」
もったいないって何がだよ。訊こうとしたけれど、腕の中の瑛二はすやすやと寝息をたてていた。
瑛二が好きだと強く思う。瑛二が好きなもの全てを肯定できる自分でありたい。瑛二が纏うもの全てを受け入れていたい。そばにいていつも強く感じる兄の存在は、時に日向龍也のことを思い出させる。瑛二とおれとじゃ違う、と大和に訴えかけるみたいに。
一番好きでいてほしい。そんなの、女々しくて笑ってしまうけれど。
背中のフラットなラインをなぞりながら、ここにいる、と思う。瑛二は腕の中にいる。今だけじゃない。大和が願えば瑛二は隣にいてくれる。瑛二もそれを求めてくれる。わかってる。
おれはこんなに弱いのか。時々、泣きたいくらい身に染みる。
瑛二を好きになって弱くなった。想いを通わせて、脆くなった。
あれからどうやったん、とにやにや笑うヴァンにかいつまんで「最高だったけど自己嫌悪がすごい」と伝えると、不思議そうな顔をされた。
「なんやそれ。勃たへんかったとか?」
「直前におまえの裸見たからだろうな」
「ホンマに?」
「んなわけねぇだろ」
「大和がノリツッコミ……」
寿弁当の唐揚げを頬張ったヴァンは、名前のわからない昆虫でも見つけたような顔をする。
「自己嫌悪ってなんやねん」
「自己嫌悪って言葉で合ってんのかわかんねえんだけどよ。おまえも知ってんだろ。瑛一のこと」
「あぁー……」
なるほどという顔で頷く。おそらく防音にはなっていないただのスタジオの控室なのでボリュームをやや絞った。
「あいつら兄弟が仲良いのも、事務所がコンビで売りたがってんのもわかってる。しかたねぇと思う。文句はいえねえ。わかってんのに、また瑛二と瑛一おなじ現場かとか、二人でレッスン行ってんなとか、いちいち気になるおれがすげぇいやっつーか……女子かよ、って思うっつーか」
最後に口に含んだオレンジは酸っぱかった。ヴァンは頷きながら「わかってるんや」と笑った。
「しゃーないってわかってるけど気になるんや。大和にも可愛いとこあるやん」
「かわいくはねぇだろ」
「えーじちゃんなぁ……ワイに相談しにきた時も、大和のこともえーいっちゃんのことも、ホンマに好きやって悩んどったわ」
他人の口から、瑛二は瑛一のことが好きなのだと聞かされると結構くるものがある。瑛二から直接聞くより攻撃力が高いかもしれない。瑛一にふられたから大和を選んでくれたのだとは思いたくない。でも、とヴァンはいたずらっぽく微笑んだ。
「やることやってるんやろ? 好きやからするんやし、したからもっと好きになるもんちゃうの?」
「そうかもな。食わねぇならその肉くれ」
ぽつんと残った唐揚げを示すと、ええでと快く差し出される。
「ワイは男兄弟おらんからよぉわからんけど……大和んとこは、弟とはどうなん?」
「弟? 別にふつう、無関心」
「無関心て」
「おふくろが時々電話してくるくらいで、実家とはあんま連絡とってねぇからな。だから余計、仕事までいっしょにやってるあいつらのことはちっともわかんねぇ」
それに、と言いかけてやめた。
模範的な兄弟を見せられているような気分になるのは卑屈すぎるだろうか。初めて会ったとき、どうして事務所に入りたいのかと訊いた瑛一に、兄を超えたいからだとはっきり言い切った。瑛一はその感情を否定しなかった。瑛二も、他の誰も。
桐生院さん、と外からスタッフが呼ぶ声にヴァンが立ち上がる。
「ごめんな大和、あんまり力になれんで」
「んなことねぇよ」
「ほなちょっと行ってくるわ」
一人になった控室はひどく静かに感じられた。四六時中話声の絶えないヴァンといたからだろう。弁当の容器をまとめて袋に詰め立ち上がる。食事をした直後なのでトレーニングは少し時間を置いてからにしたいし、いつ自分も呼ばれるかわからないのでふらりと出かけるわけにもいかない。座ってじっとしているのは性に合わない。うろうろと狭い控室を歩き回り、今日これから行われるインタビューの資料を手に取った。長机の周りをまわりながら睨むように用紙を見つめる。誰かに見られたらやばい光景だろうな、これ。
趣味――ロッククライミング。物心ついたときから実家の裏山を無心で登るのが好きで、趣味といえるものはこれくらいだ。好きな食べ物、なんでも。目玉焼きにかけるものは、醤油。尊敬する人物、の項目で思わず足が止まった。兄さん、と気持ちの良い笑顔で回答する瑛二の姿が目に浮かぶ。見計らったように机に置きっぱなしのスマホが鳴って、思わず名前も見ずに電話に出た。
「おう大和! 出るとは思わなかったぜ」
「……ならかけてくんなよ。なんの用だ、来栖」
明るい声と、にぎやかな雑踏。この男と番号交換をした記憶はなかったが、耳から離して確認すると「来栖翔」とはっきりフルネームで登録されていた。
「ちょっと前にデュエットプロジェクトの対談で会っただろ? あの時大和が私服で着てたTシャツ、どこの? グレーにロゴ入ったやつ」
「は? んなのおぼえてねぇよ」
「覚えてねーの?」
「テキトーに買ってるから店なんておぼえてねぇんだよ」
「そっか。絶対チェックしたかったのになー。ま、思い出したら教えてくれよな。じゃーなー」
一方的に切ろうとするのを、「なぁ」と思わず引き止めた。
「ん?」
「おまえの『尊敬する人物』って、だれだ?」
「え」
声がぎこちなく強張る。言いにくいというよりは、めんどくさそうといった感じで。来栖の答えをわかっていて訊いた。そんな自分は確かに面倒くさい。その答えを聞いて、気分が良くならないこともわかっていた。
「言いたくねえよ。お前怒るじゃん」
「日向龍也だろ」
「あ、自分で言った」
「名前を言ってはいけないあの人かよ」
「ヴォルデモート? なに、お前もハリーポッター読んだの?」
「映画だけ」
「うわーすげー大和っぽい。今度全巻貸してやろうか?」
「いらねぇよ」
「あー、そういえばさ」
来栖ってハリーポッターと同じ寮にいそう、などと考えていた意識を、その言葉が引き止めた。
「またやるらしいな、マッスルファイト」
「……そうなのか」
確か年に一回か二回だかの番組だったはずだ。前回来栖と戦ってからを考えるとおかしくない。
「おまえ、出るのか?」
「シャイニング事務所からは今度は本当に日向先生が出るから。大和は?」
「いや、きいてねぇな」
「ふーん。まだ聞かされてねーだけかな」
日向龍也が、今度こそ出る。おれも出たい、とあまりに直情的に思った。外からスタッフの呼ぶ声がして、察した来栖の方が気を利かせて電話を切った。返事をちゃんとしたか定かじゃない。マッスルファイトに出たい。あいつと正面から戦いたい。気持ちばかりが先走る。
インタビュー記事に載せる撮影からまず始まった。どないしたん、と顔を覗き込むヴァンにどれだけ気取られているのだろう。
おれは、十中八九出られる。確信に近かった。前回の放送だって、番組の制作局は日向龍也と日向大和の兄弟対決で数字を取ろうという魂胆で動いていたはずだった。そのはずが代わりに来栖が出ることになり(デュエットプロジェクトという話題があったのでこれも悪くなかっただろうが)、今度こそ日向龍也が出るならば弟も出したいという意向は大和にだってわかる。
それもこれも、兄弟だからだ。
兄弟だから、あいつに負けたくない。兄弟だから、アイドルになった。同じリングに立つために。兄弟だから、戦う場所を用意してもらえる。こういうのを皮肉というのだろうか。それでもいい。ケリをつけたかった。この拗れた関係と、ひねた心に。
その翌日、予想通りマッスルファイトへの出演決定が知らされた。これまで色々取り計らってくれたであろうマネージャーに頭を下げ、昼からの現場には走って行こうと決めた。
軽いトレーニングをしながら予定表を眺めると、今日も瑛二は朝から瑛一と二人で仕事のようだ。明日は二人でラジオの初回収録、その翌日は事務所が立ち上げたyoutubeチャンネルの撮影、これも二人きりで。でもその方針を大和には否定できない。何より、自分だって日向龍也の弟だからマッスルファイトの仕事を貰ってしまった。それだけが理由ではないにせよ、兄の存在が大和を売り込むポイントの一つになっていることは否定できない。
少し早いがもう向かってしまおうかと立ち上がる。身体を動かして、何も考えない。それが一番だ。履き慣れたスニーカーの紐が勢いよく切れて、すぐ付け替えるのも面倒で新しい靴を履いた。
最近、走るときに耳の横に感じる風の温度や音が好きだ。今まで感じなかったのが不思議なくらい。少し走っただけで汗ばむ陽気に、もう春が来たのだと気付かされる。忙しくしている間に誕生日も過ぎてしまったし、瞬きするくらいの速さで桜も散った。信号待ちしながら見上げた空は眩しくて直視できない。
クールダウンしようと近所の公園に立ち寄った。うっそうと木々が生い茂った小道をゆっくりと歩く。都会のど真ん中なのに案外人が少ない、と思った矢先、反対方向から歩いてくる人影があらわれた。二人、微妙な距離感で。どちらにも見覚えがある。離れていても確実にわかる相手。けれどそれは取り違えてしまったような組み合わせで、視力には自信があるのに思わず目を細めた。
「大和」
近付いて、先に声を掛けたのは大きな方の影だった。
「……出るんだってな、マッスルファイト」
「来栖にでも聞いたか。あれから仲良くやってるみたいだな」
「おれも出るぜ。今度こそてめぇを倒す」
来栖の部分を無視して言ってのけると、シャープな顎が僅かに持ち上がる。は、と呼吸をするようなため息。アイスブルーの瞳がその色に相応しい冷たい視線を大和に寄越す。思わず拳を握りしめると、隣の小さい人影――瑛二が「大和」といさめるように声をかけた。
「グループじゃ上手くやってるようで安心したよ」
「瑛二からなに聞きだしたんだ」
「聞き出したなんて言い方はよせよ。弟の近況を気にして何が悪い?」
弟、というフレーズに舌打ちが漏れた。したくてしたわけでもない行為に瑛二がびくりと肩を揺らす。日向龍也はその姿に視線を落とし、そして大和の右の手首を掴んだ。
「こんなところで暴力はやめとけよ。どこで撮られてるかわからねぇ。お前の、アイドルとしてのイメージに関わる」
一瞬、ふっと視線が緩くなる。兄としての表情。それが演技か自然に出たものなのか、この男に限ってはわからない。
意識せずに作った拳が震える。殴るつもりは一切なかった。日向龍也のどんな言動が起爆剤になるのか本当は大和自身にも掴めていないが、少なくとも瑛二が見ている前で堪えるだけの理性はたぶん残っている。
「お前自身は変なイメージ持たれちゃいないだろうが、俺は事務所やめるとかやめないとかで割と撮られがちなんだよ。よその事務所のえらいさんと会ったとかな。前の……あれもマッスルファイトの前か、河川敷でお前と偶然会った時も、ばっちり撮られてんぞ。兄弟喧嘩なんか、世間的には大した価値もねぇだろうがな」
言い返すことはできなかった。ゆるりと手を解かれたかと思うと、「じゃ、マッスルファイトでな」と気安く肩を叩かれる。
「鳳、現場が被ったらまたメシでも行こう。お疲れ」
「はい、お疲れ様でした」
瑛二が曖昧に微笑む。そよそよと吹く風が汗を冷やした。鮮やかな新緑は目に痛い。その真下に佇む瑛二が、矢継ぎ早に言葉を放った。
「さっきまでの収録が、日向さんと一緒で……兄さんもいたんだけど、兄さん、移動だからって先に出て行って、そしたら日向さんがお昼に誘ってくれて……」
「……悪い、瑛二」
「なんで大和が謝るの?」
見上げてくる瑛二の瞳は自然の色じゃない。霞みがかった紫。怖い、と思った。なんで日向龍也と一緒にいるんだ、と腹を立ててしまいそうだった自分が。瑛二が大和に気を遣う理由も、大和が瑛二の行動に口を挟む理由もない。それなのに。
むかついた、と素直に口にすれば瑛二は日向龍也と二人になることを避けるだろう。そんなことを大和が望んでいないと知っていても。だから言えない。
くっきり緑に色付いた葉がひらひら落ちて、瑛二の髪に絡む。自然と手を伸ばすと、瑛二が小さく後ずさって、あ、という顔をした。
「……ごめん」
「いや……葉っぱついてんぞ」
ひょいと摘まんで、瑛二には触れない。困り顔で礼を言われたのがなんだか居た堪れない。
「またあるんだね、マッスルファイト」
と、瑛二が話題を変えたところでスマホのアラームの電子音が小さく聴こえた。そろそろ現場に向かわないと間に合わない。一言断りを入れて瑛二と別れた。
怖がられてしまった、ということなのだろうか。身体が大きい分、特にメンバーといるときは気を付けていたのに。
「……しかたねぇよな」
実際、来栖を殴ったし。止められなければ前回のマッスルファイト前に兄と会った時だって殴りかかっていただろうし。それが大和で、やってしまったことを曲げることは誰にもできない。別に隠しているつもりじゃなかった。ただ話す機会がなかっただけで。でもそれはつまり、訊かれなければ一生言うつもりはなかったということだから――隠し事になるのだろうか。
小学校に入った頃から身長順ではいつも後ろ、体育の授業で友達たちに負けたこともなかったから、ああいう、無条件に怯えるような視線を向けられることは珍しくなかった。中学校にあがった頃からは特に、地元で兄が名を馳せ始めたからそれも顕著だった。決してそれは己の強さの証ではない。だからあの目が怖い。大切にしたいはずのものさえ壊してしまう気がして。
それから数日が経っても、必要以上に瑛二に近付けずにいた。普通に話はする。ソロ曲のこと、メンバーのこと、三週間後のロケのこと。全部仕事のことばかりだ。
おれたちって付き合ってるんだよな? そんな疑問が頭をよぎるようになった。女子高生の悩みみたいで認めたくないけれど。
付き合うってなんなんだろう。デートする? キスする? セックスする? どれも大和がなんとなく重ねてきた恋愛経験上、付き合ったらすることだけれど、それに照らせばもう瑛二とは付き合ってないことになるんじゃないだろうか。
ばかみたいに開き直って、おまえおれのこと好きかと訊く――という手段も考えたけれど、まず二人になる時間が持てず実行には移せずいた。二人きりになることを避けている、というべきか。
その晩、過度なトレーニングは行わず、いつも通りのメニューをこなした。マッスルファイトの収録を明日に控えている。シャワーを浴びて共有スペースのソファで進行表を眺めているとまぶたが下がってきた。点けっぱなしのテレビが明日の天気を読み上げているのが、耳の右から入って左に抜けていく。半分夢の中にいたから、隣に腰を下ろした男の「見てないなら変えるでー」という声に意識を急に引き戻された。
「起きとったんかい。変えていい?」
「あぁ」
「あ、もう始まっとるやん。これこれ、えーいっちゃんとえーじちゃん出とるで」
薄目を開けると、確かにゲストの中に二人の姿がある。二十二時からのトークバラエティ番組だ。アシスタントを務める女子アナからゲストの紹介が順になされ、二人の番になるとこの間のライブの映像が小さく映った。つい最近のことなのに、あの頃は良かったなと感傷的な気分になる自分に驚いた。ライブはもう、空でも飛んで帰れるんじゃないかと思うくらい気持ちが良くて、その晩だって最高だった。あれからまたしてねぇなと大きな液晶に映る瑛二の、今は容易く触れられない姿を眺めて思う。あの夜の自分にもっとめちゃくちゃにしておけと伝えたい。
短いゲスト紹介はすぐに次へと進んでいく。土曜のドラマの主題歌アーティストとしてデビューしたばかりの女性アーティストにカメラが切り替わった頃、ばたばたと瑛二とナギがやって来た。
「ほらほら瑛二、もう始まってるよ~! ヴァンと大和が見てる!」
「ナギったら……俺はいいよ、恥ずかしいし……」
「お、二人も見にきたんか? 座り座り~」
よいしょとヴァンが詰めてきて、右斜め前に瑛二が座るかたちになった。慣れてきたとはいえ、テレビに映っている人物が突然目の前に現れるのはいつも不思議な感覚になる。生放送じゃないとはわかっていても、こいつ偽物の瑛二だったりして、とありもしないことを考えてみたり。
番組はトークテーマに沿って司会がゲストに話を振っていく、ありがちな様式だった。兄さんのコメントばっかり使われてると思うよ、と肩をすくめた瑛二の言葉は当たっていて、カメラに抜かれる瑛二は大体兄の言葉に相槌を打っている。もともと、こういう仕事はナギやヴァンの方が向いているのだ。ちなみにおれも無理、と思いながら、明日の進行表と液晶との間で視線を行ったり来たりさせ続ける。
――ちなみに、
瑛一のコメントを引き取った女子アナが、突然目線を少し左にスライドさせた。
――鳳瑛二さんは、どうしてアイドルになったんですか?
わ、と瑛二(同じ部屋にいる方)が小さく呟く。その受け答えはごく普通だった。
――俺は、兄の影響がやっぱり大きいです。
――どんだけ仲良いの、二人は。
司会の男が囃し立てるように笑う。
――俺にとってはこれが普通なんですよ。だからびっくりされると、逆に俺の方がびっくりしちゃって。
肩をすくめ隣の瑛一に笑いかける。瑛一が瑛二にふっと落としたまなざしの柔らかさが心の表面をそっと抉ってくる。
話は他のゲストの兄弟話へと移った。喧嘩して殴り合った話や幼少期の失敗談等々。なのに目蓋の裏に、二人の姿が焼き付いて離れてくれない。眩しすぎる。健やかな兄弟愛の象徴のようで。
右手を大きく開いて、閉じる。作った拳で、きっと明日兄を殴る。殴るったって喧嘩じゃないし、防具もつけたれっきとした戦いで、スポーツみたいなもんだから……と胸の内で唱えるのは自分に言い聞かせるために過ぎなかった。
ナギに寄り添って腰掛ける瑛二を見つめる。目は合わない。瑛二は今、楽しそうに何を見ているのだろう。それが瑛一の姿だったら嫌で、視線の先を追えず立ち上がる。
「どないしたん」
「寝る」
「え~、まだ途中だよ?」
「いいからおまえも終わったらはやく寝ろよ」
唇を尖らせ見上げてくるナギの頭をくしゃくしゃ撫でて部屋を出た。おやすみ、と三人分の声を扉の隙間から連れて。
早く眠りたい。ベッドに寝転がり、壁に向き合うと投げ出していた新曲の譜面と目が合う。作詞の進捗はイマイチだった。ベッドで楽譜と睨み合い、デモを聴きながら寝落ちする夜を一週間ほど過ごしている。今日も何も浮かびそうにない。せめてマッスルファイトの収録に臨むまでは難しそうだ。もし負ければさらに行き詰ってしまうことは想像に難くない。じゃあ、もし勝てれば――? その時自分が書く歌詞を、想像できなかった。
――おれは勝って、なにがしたいんだ?
自問する、その三秒後には考えることをやめている。
答えは導き出せない。わからないことが怖くて逃げた。
目を閉じて視界を塞ぐ。戦ってみれば答えは見つかるはずだと信じるしかなかった。互いに逃げられないリングの上で向かい合い、拳を振るう。勝てるだろうか。瑛二はどんな顔でおれたちを見つめるんだろうか――。勝ち負けよりそれがずっと気にかかっていることに、気付かないふりをしていたかった。
それから数時間後、目を覚ますとつけっぱなしの部屋の電気に目が眩んだ。窓の外から雨が打ち付ける音が聴こえる。深夜から雨が降り出すと天気予報で言っていたっけ。午後には止むと気象予報士が話していて、収録までにはあがっているなと安心した記憶がある。掛け布団を剥いでのろのろとベッドから抜け出すと喉の渇きを自覚した。
キッチンに下りると少し開いた扉の隙間から明かりが漏れていた。
「あ、大和」
「……えーじ」
「どうしたの?」
「どうしたって……おまえは?」
「さっきまでシオンの部屋で色々話し込んじゃってて、寝る前にちょっと寄ったんだ」
ミネラルウォーターのペットボトルとグラスを手渡しながら首を傾げる。サンキュ、と受け取りなみなみ注ぐ。大和が飲み干すまで瑛二は手元の紙になにかを走り書きしていた。先の細いペンがさらさらと紙に沿う音と、激しさを増す雨音がほどけて混じる。
空のグラスを水に浸し、振り返ると目が合った。いつもと同じ穏やかな微笑みを湛えて大和を見つめている。ぼんやりとした灯りの下でも色鮮やかな瞳に全てを見透かされている気がした。
「……初めて」
伸ばしかけた手を、瑛二の声がそっと遮る。
「初めてキスしたのも、ここだったね」
「あぁ」
忘れるわけがない。瑛一だけを好きでいた瑛二に、ここでキスした。
行き場をなくして動けなくなった右手を瑛二が掴む。
「部屋、行く?」
指を絡め、空いた手で大和の手の甲を撫でる。何を思って瑛二がそんなことをするのかわからなくて首を横に振った。単純な誘い文句だとしても、今瑛二に触れるのは怖い。もう一度拒まれてしまえば二度と触れられなくなるんじゃないかと思った。
そっか、と呟いて腕を引く瑛二に連れられてソファに腰を下ろす。大きな窓を叩く雨の音がなにかを大和に急いているようだ。喉の奥がきゅっとつかえて、声を絞り出すのがやっとだった。
「瑛二」
「うん」
「さわっていいか?」
「もう触ってるよ」
繋いだ手を強く握られ、そうじゃないとかぶりを振る。左手で頬に触れると思ったより熱かった。指を肌に這わせ、鼻筋や耳のラインをなぞる。くすぐったそうに目を細めるのが愛おしい。もっと触れたい。でも傷付けたくない。傷付きたくない。
瑛二、と名前を呼ぶと、色付きすぎた桜みたいな唇が、なに?と返事をする。
「おれ、瑛二になにか言いてぇのに、話したいこと、山ほどあんのに、言葉にできねぇ」
「うん」
「こう言ったら瑛二がどう思うかとか考えると、なにも言えなくなる」
「皆同じだよ。俺はなんでも話してくれる大和も好きだけど、俺がどう思うかって考えてくれるのは、大和が優しい証拠だと思う。臆病だとか逃げてるとか、そんな風には思わないよ」
臆病、逃げてる。そうだ。大和が無意識に撒いて育てかけてしまっている不安の種は、そういう類のものなのだ。それを一言で汲み取って、拭い去って、きっぱり否定してくれる瑛二は強い。おれはそんな瑛二の隣に並んでいいのだろうか、と、自己嫌悪の呼び水には幸いならなかった。
華奢な両腕が背中に巻き付いた。そして優しく抱きしめられる。この体格差だから、瑛二が大和の胸に顔を埋め縋っている恰好になった。
「ごめんね。やっぱり俺、大和のことが好きだから、大和のこと、知りたいって思ってるから、大和が考えてること、聞かせてほしい。俺の気持ち、考えてくれるのはもちろん嬉しいけど……」
だんだんひそやかになる声は大和の服の繊維に吸い込まれていくようだった。こうして抱きしめられていると、自分の身勝手を思い出す。瑛二のことが好きで、触れたくて、ここでひとりよがりなキスをした。困った顔さえ愛おしいと思った。ぜんぶ、瑛二は受け止めてくれた。大和の弱さを許してくれた。
こわい、と呟いた声は、雨の音にくっきりと浮かび上がった。
「……おれはあいつに勝ちたくて、この事務所に入ったんだ」
「うん」
「でも、わかんねぇけど……瑛二と、瑛一をちかくで見てるからかもしんねぇけど……一応、おれとあいつは血がつながってる兄弟で、おかしいんじゃないのかって思った」
「そんなこと……」
「おまえを見てると、なんでおまえみたいになれなかったんだって思うようになった。あいつを、日向龍也を見るだけで、劣等感、みたいなモンがわき上がってきて、あいつがおれを見下ろす高いとこから、引きずりおろしてやりたくなる。それがどうしてかわからねぇ。おれはガキのころからずっとおかしいんだ」
胸に擦り付けた頭を、瑛二がぶんぶん横に振る。
「大和はおかしくない。なら俺の方が、血の繋がってる兄さんを好きだった俺の方が、ずっとおかしいよ……」
「おまえがおかしいわけねぇだろ」
「でも」
「でもじゃねぇんだ」
細く落ちる雷みたいに声色を尖らせてしまった。わるい、と謝るとううんと首を振る。瑛二はつよい、おれは弱い。そう突き付けられているみたいに思うのは、やはり歪んだ劣等感のせいなのか。
「……明日、あいつと戦う」
「収録日だったっけ」
「あぁ。たぶん、おれもあいつも最後まで残る。やっと戦える。でも」
でも。
瑛二の後頭部に頬を寄せたまま言い淀む。言葉って、伝えたいことがちゃんとある時ほど上手く出てこない。
思い出す。もうこの世にいない祖父の顔。男は強くあれと、何度も繰り返し唱えられた呪文のような口癖。それを信じた自分と、兄。強くなりたかった。幼い頃から勝てなかった兄を倒すため。いつの間にか大和なんて眼中にないような顔をして、他の誰かに拳を振るわせないよう、ひとりで戦うことを選んだ兄に勝ちたくて。そんな大和を、瑛二はきっと笑わない。
「あいつに勝ちたい気持ちは、変わってねえ。でももしあいつに勝ったらおれはどうなるんだ。あいつに勝つためにアイドルになった。じゃあアイドルやめんのかって言われたら、それはちがう。もしあいつに負けたらって、かんがえても、それもよくわからねえ」
放った言葉に温度があるなら、触れたらすぐに手を引っ込めてしまうくらい、冷めきっているだろうと思った。返事に困ることを言ってしまった。めんどくさいやつ、とおれなら思うだろうな。瑛二はやさしいから、そんな風に思わないのかもしれないけれど。
しばらくぎこちない間があって、瑛二が顔を上げる。瑛一に少しだけ似た凛とした表情に、あぁ兄弟だと思い知らされる。
「俺もよく分からなかった」
「え」
「俺も、大和が勝ったらどんな風になって、負けたらどうなるか想像してみたけど、なんていうか、思い付かなかったんだ」
「想像してたのかよ……」
「うん。でも、勝った大和も、負けた大和も、きっと、動いてお腹が減るからご飯はいっぱい食べるんだろうなとか、次の日はオフだからたくさん寝て体力回復できるなとか……だから、勝ったからとか負けたからとか、そういうので大和が変わっちゃうとは、俺には思えない」
両方の手のひらで頬を挟まれ、言葉を塞がれる。変な顔になったのを瑛二は少しだけ笑って「他には?」と手を解いた。
「まだ俺に言いたいことあるって顔してる」
「エスパーかよ」
「だったら良かったのにとは思うよ」
「……瑛一のこと」
瑛二はあぁ……と困ったように笑って、頷いた。
「瑛二、おれ、前に二番目でいいって言ったよな。おぼえてるか? あん時は……瑛二がおれのこと好きだって知って、それなら何番目でもいいって思った。本気で思った。――でももう無理だ。こうやって話しながら、おまえはそれでも兄さんが好きなんだろって思うと、いやだし、おれの、卑屈みてえな部分が自分でもわかって……おれ自身に腹がたつ」
「俺は……一番とか二番とか、順番をつけたことないけど、大和のことが好きだよ。キスしたいのも、こうやってくっついてて嬉しいって思うのも、大和だけ。でも、俺本当に兄さんのことが好きだったし、今も、意味は多分違うけど、兄さんのこと、好きだから……気持ちに、行動が伴ってないっていうか、大和がそう思ったっておかしくないよね」
瑛二が嘘をついていないことはわかっていた。例えば大和に抱かれながら、瑛二が瑛一のことを考えているなんて思っていないし、今だってそうだ。疑っているわけじゃなくて、そんなことをいつも心の隅で考えてしまう自分が嫌なのだ。だから瑛二にぶつけていい感情ではなかった。なのにするすると瑛二が編み目をほどくから、その隙間から流し込みたくなる。伝えたくなる。わかってくれと、おれだって報われたいと願ってしまう。
待ってて、と腕を解いて立ち上がると、瑛二はキッチンスペースに置きっぱなしの紙を持って戻ってきた。ソファに、今度はただ並んで腰掛ける。手渡された紙には五線譜が並んでいて、流しから漏れる明かりでうっすら書かれた文字が読めた。タイトルは、『dreamer』。
「大和が俺を好きになってくれて、俺も大和のことを好きになったから、できた曲」
「読んでいいのか」
「うん。まだ歌詞できてないところもあって恥ずかしいけど……俺の気持ちだから」
瑛二の字ってこんなだったか、とまず思った。そうでも思わないと落ち着かなかった。初めてのソロ曲だから率直な想いを表せばいいと瑛一は言っていたが、瑛二が大和に読ませるようなものを書いていたなんて思っていなかったから。
あなたと会い気付けた
俺が此処で生まれた
真の意味を find out
やわらかい紙の二枚目に差し掛かると、瑛二が寝間着のTシャツの裾を掴んだ。恥ずかしいのだろうと捉えることにした。実際、大和だってソロ曲の歌詞をまじまじ眺められたら耐えられないと思う――まだ書けてないけど。
あなたが教えたのは
向き合う勇気の力
強い意志を hold on
完璧じゃなくていい
それより目の前の
あなたのこと幸せにしたい( )
がらんと空いた括弧の中はきっとこれから埋めるのだろう。どういうメロディがついているかもわからないその曲を、もう好きだと思った。紙をめくって、最初のページに戻ると息を吐いて項垂れる。
背中を撫でるのは瑛二の手のひらだとすぐわかった。
「俺、大和とお兄さんの話聞いた時、正直ね、俺にはわからないなって思ったんだ。絶対一生わからないって。……でも、兄さんじゃない、兄さんとは違う何かになりたいって気持ちや、俺だってもっといろんなことができるようになりたいって気持ちは、俺の中にも絶対にあるよ。そのために強くなりたいって、俺も思う」
頭の中に歌詞がリフレインする。耳から入る情報じゃないのに、もう覚えてしまっている。
――もうこのままで良いと思ってた
これも瑛二の素直な気持ちだった。
「大和は強いよ。でも弱いとこもあるってわかった。大和はこんなこと言ったら怒るかもしれないけど、俺は大和の弱いところも好き。大和が俺を好きだって初めて伝えてくれたとき、隣で寝ないって言ったとき、日本に帰って、キスして、諦めないって言ってくれたとき、俺は本当は嬉しかった。今は俺が、大和がいないとだめだって思ってる。大和が好きだよ。一番好き」
――手にしたいと心がさけぶ あなただけ
修正テープを何度か貼ったらしい、その部分の歌詞の強さ。瑛二のいう『あなた』はおれなのか。本当に? どうして? こうして歌詞を読んで、瑛二の気持ちの強さに圧倒されて、まだ少しも歌詞を書けていない自分を恥じる気持ちも少々ある、そんなおれを。
すごく自然に、涙腺がゆるんだ。けれどこぼれてきそうな水滴を堪えるだけのプライドが残っていて邪魔をする。薄い膜になった涙がたまって、こぼれない。どうして、という気持ちは、雨が地に落ちるようにすうっと吸い込まれていく。どうして好きかじゃない。好きでいてもらえる自分でありたい。それは自分を変えるだけじゃなくて、気持ちを分け合って共感することだ。
「瑛二」
顔を上げ、片手で楽譜を握ったまま抱きしめた。
「好きだ」
「うん――俺も」
絡まっていた糸がするするほどけていく。一本、引っ張ってしまえば何事もなかったかのように簡単に。雨の降りつける音に負けないよう言葉を紡ぐ。
「うまく言えねえけど、おまえと、瑛一がいっしょに仕事しまくってるとふつうに嫉妬するし、瑛二が兄さん兄さん言うたび、おれは日向龍也のこと思い出してなんかこう……わけわかんねえ気持ちになる。焦り、っつーか、同じ兄弟なのになんでだよって……おれにもわかんねえけど。それはおれの勝手な気持ちで、瑛二にあたっていい話じゃねえって、わかってんだけど……」
くっついた体を離しても、小さく相槌を打つ瑛二の顔は逆光でよく見えない。笑っている、気がした。
「俺は、あたってほしいよ」
「それはねぇだろ」
「あたるっていうか……教えてほしいし、話してほしい」
「わかった。今度から、そうする」
「うん」
「すごいな、おまえは」
六つも年下なのに、ちゃんとできた人間で。頭をくしゃくしゃ撫でて抱きしめ直すと、愛おしくて愛おしくて仕方がない。服の上から大和の胸元にくちづけると、瑛二は「俺も思ってること言うね」と言うから不安になった。
「……なんだよ」
「俺は、大和が勝っても負けても、どっちでもいいんだ」
「そりゃ瑛二は勝ち負けにあんまりこだわりねーから……」
「そうじゃなくて。怪我せずにいてくれたらいいし、大和が一番強くなくたって、俺は一番大和が好きだから……俺にとっては大和の勝ちだもん」
無邪気に胸元に飛びついてくるのが、素直にかわいいと思った。大和がこだわる『勝ち』という言葉を使うのが気遣いだとしても、それは心から嬉しいと思う。勝っても負けても変わらずあるものがちゃんと存在する。そう知らしめてくれることが、なによりも大和を落ち着かせてくれる。
温度をなくした心にあたたかいものが流れてくる。瑛二の想いを受け止めた上で、それでも、と唇を噛みしめた。
「瑛二、悪い。おれは……それでもやっぱり勝ちたい」
「うん」
「でももう怖くねぇよ。瑛二のおかげだ」
兄に勝ちたくて、それしか考えられなかった頃の自分が今の自分を見たらなんと言うだろう。
「……部屋、もどるか」
「大和の部屋行ってもいい?」
「ん――あぁ」
「一緒に寝よう」
「あぁ」
手を繋いで部屋に戻った。誰とも鉢合わせるなよと願いながら。
ベッドに転がした楽譜を片して、明日の収録が終わったらおれも書こうと誓う。明日が終わればちゃんと、言葉にできなかった感情を書き記せる気がして。
抱き合うと瑛二はすぐに眠りに落ちた。近距離で見つめてもきめの細かい肌はすべらかで、唇を寄せると心地が良い。安心の中に包まれているような感覚。ふと、あいつも――日向龍也にもそんな相手がいるんだろうかと考えて、すぐやめた。甘い茶色の髪をかき抱く。
全然違う存在なのに、瑛二のそんなところが好きなのに、時々鏡に映った自分を見ているようではっとする。兄と違う何かになりたい瑛二の気持ちは自分のそれとよく似ている気がして。
強くなりたい。
その強さはずっと、大和にとって日向龍也その存在そのものだった。
でもそうじゃない。
おれにとっての、ほんものの「強さ」は――。
次の朝、瑛二はもう部屋にはいなかった。予定表を見ると朝からナギとシオンと仕事のようで、たまたま居合わせた綺羅と朝食を摂る。激励を受け(今度は顔に傷を作らないようにとの忠告付きで)、現場へは事務所の車で向かった。
『昼からオフだから観に行くね』
とLINEが来たと思ったら、その瑛二が控室で日向龍也と親しげに話していて思わず苦笑してしまった。決して気を遣ってほしいわけじゃないが、あいつとの会話には割り込んでいけない。またくだらない嫉妬をしていることに気付き、自分に呆れつつウェアに着替えて戻ると瑛二より先に、日向龍也が歩み寄ってきた。
「調子よさそうだな」
「……まぁな」
「今日はちゃんと俺が来たぞ」
他の出演者の視線が一斉に注がれる。一人一人見なくてもわかる。どうせこいつらには勝てないと諦めきった目。マッスルファイト初回放送の日向龍也もそうだった。勝ち残ったにも関わらず、他の出演者が全員決勝を辞退して不戦勝。テレビ的には日向龍也の強さを猛アピールして高視聴率を叩き出したらしいが、決勝の舞台、誰とも拳を交えず勝者となった気持ちを考えるとうっすらとした同情すら浮かんでくる。
今日はおれが戦う。おれが倒してやる。自然と浮かんでくる笑みを隠さず睨み付けると、アクアブルーの瞳はその色に相応しく冷たかった。
「ケリつけようぜ、大和」
「おう」
「じゃあな」
手も挙げずに更衣室へ消えていく。瑛二とは二言三言挨拶を交わし、関係者の観覧席に向かうと言うのでそれだけで別れた。
前半は順調だった。きっと誰もが予想した通り、三位を大きく引き離すかたちで日向龍也、日向大和と名前が並んだ。前回の収録と同じく、決勝に進む二名にだけ専用のウェアが渡され、更衣と休憩のため二十分ほど時間が空くことになった。手短に着替えを済ませ、むだに履きづらいブーツの紐を縛る。出演者の大半がすでに撤収したあとの控室はがらんと静かで、その静寂から抜け出すように部屋を出る。と、マネージャーらしき人物と話していた日向龍也と目が合った。
あれ、と思う。居心地の悪いような、それが正しいような感覚。すでに着替えを済ませた日向龍也の、余裕を湛えた姿を見ても不思議と苛立たなかった。以前は視線を向けられるだけで、自尊心を抉られているような激しい被害妄想に近い焦燥感に襲われて腹立たしくなったのに。
あ、いるな。それだけだった。
兄の姿と自分とを重ね、同じよう強くなれと言われているような強迫観念に襲われている気がしたのは、きっと弱さが原因だった。肉体面以外の。でももう気にしない。
おれの強さはおれが決める。誰にも縛られない世界で。
頂点に君臨しているのは兄ではなく、自分の弱い心だと気付けたから。
「なあ」
日向龍也とは、別々の入り口からリングに入場する流れになっていた。ちょうど対峙するかたちで。予選二位の大和の方が控室から遠い口で、移動をしようと立ち上がったところを呼び留められる。
「じいさんがよく言ってたろ。覚えてるか?」
「あ?」
「男は強くあれ」
祖父の口癖で、教訓だった。大和にも龍也に対してもその教育方針は変わらず、ケンカのやり方は全て祖父に習った。三男の冬馬はあまり祖父に懐かず、そのせいか末っ子の誠人に手荒な教育を施すことはしなかったから、同じように育ったのは長男と次男である自分たちだけだった。
おぼえてる、とつぶやくのが精一杯だった。声にした瞬間、すごい勢いで口の中の水分が蒸発していくのを感じる。
「強くなることがゴールじゃねえ。もうわかってるだろうがな」
「……知るか」
わかった風な口を利かれるのは、やはり普通にむかつくのだ。互いにわかり合うための対話をする時間なんて作ってこなかった。瑛一と瑛二みたいに、溝のない兄弟になる努力をしてこなかった。だから日向龍也に大和のことは理解できないし、逆も然りだ。わかろうと、わかりたいと思ったこともない。
おれの方がまだマシだろ、と思った。
いつだって向かって行くのは大和だ。それを上手くかわすのが日向龍也だった。正面からぶつかり合うことを避けていたのはおまえのほうだろ、なぁ。
「俺は勝つぜ」
芯の強い闘志にみなぎる兄の声を聴くのは久しぶりだった。
決勝戦は予選と同じ野外スタジオで、セットを組み替えたリングの上で行われる。入場前にも拘わらず客席から聴こえる声援が煩わしいとは今度こそ思わなかった。思わず目を細めたくなるほどのスポットライトを浴びてリングへ向かう。
『初代チャンピオン、日向龍也が、この決戦の地へと初めて足を踏み入れます!』
実況のアナウンサーのすでに興奮に満ちた声に、場内も自然と湧き始める。不戦勝の初代チャンピオンが、もう何度目になるかわからないこの大会でようやくリングに立つ。そしてその相手はあの日、居間のテレビで番組を見ていた、大和だ。
ライトとスモークをくぐるように日向龍也が姿を現した瞬間、場内は大きく湧いた。誰もがこの男の登場を待ち侘びていたのだ。客層があの時と――来栖と戦った時と全く異なっていることに、今さら気付いた。弟も負けるな、と太い激励が飛んできて、客席に向けて名乗ってやろうかと思ったけれど大人げないのでやめておく。
観客のエールに応えるように軽く手を振って、そして大和を見据えた日向龍也はまるで別人のように見えた。大和を映すときは決まって怜悧な色に染まっている瞳が、一瞬で火を点けられたように激しく燃える。それはまるで青い炎だ。じりりと焦がすように熱を伝播させる、大和の橙の瞳も同じように見えているだろうか。
実況の合図で、腰を低く落とし構える。闘いを前にしてどこか冷静だった。
カァン、とゴングに似せたSEが響き渡る。
――強くなることがゴールじゃねぇ。
兄の言葉が浮かんで、消えた。
わかってる。そんなことわかってる。あいつが何かを守るために強くあり続けたことだって、知ってる。わかってる。
目に見える傷をこさえた兄の姿を見るのは久しぶりだった。今思えば喧嘩漬けだっただろう十代の頃の兄は、埃まみれでも傷を作って帰ってくることはなかった。強さの象徴。憧れより先に、早く追い付いて越えたいと、そればかり願った。
青いグローブが視界に飛び込んできた――と思う暇もなく吹っ飛ばされた。
身体が易々と宙に浮く。受け身を、と上体を捻った瞬間、瑛二の姿を視界に捉え、動揺した。こんな姿を曝したくなかった。見ないでくれ。
負けるおれを、どうか見ないでくれ。
物心ついた頃から自分のずっと先を走っていた兄の姿が、猛スピードで成長して今に追い付く。兄が家を出てからは一年に一度しか会わないこともザラで、その輪郭はぼんやりと曖昧だった。
走馬燈、という言葉がよぎり、いや待てよと意識を覚醒させる。
まだ全然生きてるし。おれ、ピンピンしてるし。身体中めちゃくちゃに痛い気はするけど、それだけだ。
目を開ける。見慣れない天井。どこだろうと思うのと同時に、左手を握られている感触があった。瑛二だ。見なくてもわかる。
――おれは、負けたんだな。
地面に倒れ込んだときの衝撃は思い出せない。わかるのは、宙に吹っ飛ばされながら見た瑛二の顔だけだ。瞬きして、再び目を閉じると手をぎゅっと握る力が強くなった。それを握り返すことで返事をする。
「今回は――顔に傷、できなくて良かったね」
前回ちくちく綺羅に小言を零されたのを瑛二も覚えているようだった。
顔に傷ができなかった、のではなく、作らせるひまもなかった。あいつは顔なんて狙わなかっただろう。そこがどんなに狙いやすい場所だとしても。それだけの余裕が見て取れた。
対峙してよくわかったのだ。日向龍也は強い。強くなった。取っ組み合いの喧嘩をしていた頃の比ではなく。そしてその強さが肉体的なものだけに基づいているわけじゃないことも知っている。
握っていた手を離し、瑛二が右手を撫でた。触られていることはなんとなくわかるのに、それはまるで自分のものではないようが気がした。そこだけ妙に感覚が鈍っている。
「手、強く打ったけど折れてはないって」
「……これで折れてねぇのか」
首を持ち上げ両手に視線を注ぐとかなり大げさに包帯が巻かれている。感覚もなくなるわけだ。
「受け身取らなかったのにすごいって、診てくれたお医者さんが褒めてたよ」
「それってほめられてんのか?」
「頑丈なのは大和の毎日のトレーニングの成果だよ」
「ま、そーかもな」
ふ、と息を吐く。そして新しい空気を吸う。負けても、ふつうに呼吸をしている。瑛二と会話をしている。身体が痛いなと思う。喉が渇いたと感じる。当たり前だ。負けたってひとは生きている。
頭の中で細い糸が絡み合ってなかなかほどけてくれないのだ。ただそばに瑛二がいるから、今、日向大和としてここにいられる。
日向さん、と瑛二は言った。兄のことだ。
「もう帰ったよ。次の仕事があるのと、大和が、いてほしくないだろうからって」
「……おう」
「本当にいてほしくなかった?」
「べつに」
曖昧な返事をした。瑛二はそれを咎めなかった。うん、と相槌を打って、今度は大和の頭を撫でる。その部分の感覚は確かで、ああこのへんは怪我とかしてねぇんだとわかった。額に触れる手に左手の甲で触れると「どうしたの?」と瑛二が顔を覗き込んだ。
「いや……ちいせえなと思って」
素直な感想だった。『小さい』は禁句だったかとすぐに気付いたが、瑛二は一回り以上小さな手のひらでぎゅっと大和の手首を握り返すと「帰ろっか」と笑う。
瑛二の補助付きで着替えを済ませ、ベッドがぽつんと置かれているだけの医務室を出るとすでにセットの解体が進行して騒々しかった。すぐに帰るべきだったところを、負けて、くたばって、一部屋を堂々と占拠してしまったことを謝るべきだろうか。
――どうしてこんなに冷静なんだ、おれは。
感情の糸がもつれ合っているのはわかるのに、それがほどけなくてもいいと思う。胃がむかむかするような、喉になにかつかえているような。でもそれを力でどうこうしたいと思わない。冷めているのではなく、悟っているような、これまでに経験したことのない感情の沼にひたひた足を浸している。
おつかれさまでした、と軽く頭を下げながら歩いていると、負けたというのにスタッフがねぎらいの言葉をかけてくる。いい勝負だった。次は勝てる、頑張って。知ったようなことを言うな、と、今までなら跳ねのけてきたはずの言葉だった。けれど全く嫌な気がしなくて驚いた。それが励ましどころか、社交辞令に過ぎないとしても。
日向龍也が勝者で、大和は敗者だ。間違いなく負けた。でもおかしい。負の方に振れているはずの感情をどうにかしたいと思わない。支えるふりをして瑛二が握っていてくれた手のやわらかな感触に安心すら覚えてしまって、おれはいったい誰なんだ、と自問しては掻き消す。おれがだれかに変わったんじゃない。おれはおれのまま、なにも変わっていない、きっと。
寮に帰って部屋のベッドに腰を下ろすと、突然両手の痛みがくっきりと濃くなった。
お茶持ってこようか、と腰を浮かしかけた瑛二を制する。じりじりと痛む左手で。自然とは少し遠い、けれど花のように清廉な紫の瞳にじっと見つめられる。
「瑛二」
「うん」
「いてくれ……ここにいてくれ」
力任せに抱きしめたから、瑛二の返事を耳元で聴いた。いるよ、と穏やかな声。勝っても負けてもいい、と言ってくれた瑛二の言葉が蘇ってくる。負けたのに瑛二はなにひとつ変わらない。それはきっと他のメンバーも、応援してくれるファンだってそうだ。今はわかる。勝つためだけに強くなったわけじゃない。だからこそ勝ちたかったのも事実だけれど――。瑛二の体温を感じ、髪の匂いを嗅いで、抱きしめ、抱きしめられる。明るい、と思った。瑛二がいてくれるだけで、全てが。
胸の奥のじんとするところがなにか熱いものをふつふつと沸き上がらせてのぼってくる。頬をかっと熱くし、やばい、と思ったときには涙が溢れていた。
泣くなんていつぶりだろう。思い出すのは、瑛二の、ナギの、仲間の涙。きれいで、気高いそれを思うと一緒にしてはいけない気がした。ただ感情に任せて込み上げた、身体が出したがっているものをそのまま絞り出した、この涙は。
「……頑張ったね、大和」
精一杯伸ばした手で頭を撫でられる。
頑張った、なんて言葉は無意味だ。結果が伴っていないのだから。そうは思っているのに、瑛二の言葉が不思議と嬉しくて仕方ない。細い身体に抱き縋り、頷く。
瑛二は強い。全身で誰かを好きになって、泣いて、傷付いて、向き合って、自分の気持ちを正直すぎるほどに伝えて、自分の足で立って、『自分』を見つけた。だからおれも、と思ったのだ。いつから抱えているかももうわからないコンプレックスの種と、正面から向き合った。全力でやり合えた。勝ち負けだけじゃない。そのことが、ただ嬉しかった。
「落ち着いた?」
瑛二の声が喉の奥から絞り出したみたいに細く聴こえて、抱きしめていたつもりがのしかかっていたことに気付く。胸から上をそらして大和を受け止めてくれていた身体を片手でベッドと垂直に戻すと、自然と「悪い……」と言葉になった。年下に泣きつくなんて、いくら恋人でも情けない。
「ううん、平気」
笑いながらもたれかかってくる。肩に頭を乗せて頬を擦り付けてくるのが小動物みたいだ。庇護欲というのは相手が同性であろうと、ふつふつと生まれてくるものだと知った。
触れたいのに、手が不自由でどうすることもできない。せめてと思い唇を寄せる。前髪の上から額に、こめかみにくちづけた。
「あいつと……日向龍也と戦う前、強くなることがゴールじゃねえって、そう言われた」
もうわかっているだろう、と。
「強くなるのは、勝つためだ。でも勝つこともゴールじゃねえ。じゃあ、なんのために強くなるのか。……おれは、知ってた。あいつは、まわりを戦わせないように自分が強くなって、仲間を守ってた」
実家にいた頃は、組長だか総長だかよくわからない肩書で呼ばれていた。地元の一帯で日向龍也は最強の男として名を轟かせ、自分が強くなって戦うことで周囲を戦わせないやり方を選んだ。というのは全て、日向龍也がシャイニング早乙女に敗れて家を出てしばらくしてから聞いた話だった。
「あいつは……わかりやすく言うと、地元をシメてるボス的な存在で、とにかく強かった。おれは、おれたちは、じいさんに強くなれって言われて育って、じいさんはもちろん強くておれはそれにあこがれた。一番強くなりたかった。だから最強って呼ばれてるあいつに勝ちたかった」
いつだって、他の誰も眼中には入らなかった。
「あいつが家出てから、あいつの子分的なやつらがおれんとこ来たんだよ。全員、たぶんおれより年上だった。あいつの代わりにチームをまとめてくんねえかって言われて、おれは断った。日向龍也を倒すことしか、興味なかったからな」
あの時もし首を縦に振っていたとしても、未来は大して変わらなかっただろう。大切なことに気付かず大人になってしまった。もしかしたら、そのせいで誰かを傷付けることになっていたかもしれない。だからあの時誰とも関わらず、上辺だけの人間関係をそれなりに構築して他人と深く馴れ合わない、そんな生活を続けていてよかったとも思う。けれどそれはアイドルになるまでの話だ。
「負けた」
と言葉にすると、ぴくりと瑛二の肩が揺れる。
「やっとわかった。いや、たぶんずっと知ってた。あいつが強いのは、腕っぷしだけじゃねぇ。じいさんが強くあれって言い続けてたのも、力だけの話じゃなかった」
「大和……」
「おれが今強くなりてぇ理由はひとつだ」
瞳を覗く。見つめ合う。言葉をじっくり噛みしめるように頷いてくれるのが嬉しかった。認められている、そんな気がして。
守りたいものがある。
呟くと、瑛二がうんと小さく返事をした。
「ありがとな、瑛二」
「え?」
「……ふっとばされた時、おまえのことが見えた。なさけねぇ姿、見せたくなかった。でもおまえはおれに、がんばったって言ってくれただろ」
「うん。……でも、俺じゃなくったって、みんなそう思ってるよ」
「おれはおまえに言われるのが一番嬉しいってことだ。勝つよりも、たぶんそれが嬉しい」
使いにくくなった手で瑛二の細い体を抱き寄せてくちづける。応えてくれる。それがまるで奇跡のようにも思えてキスを繰り返した。愛おしい、そばにいたいという気持ちを分け合うみたいに。
やがて瑛二は息継ぎのタイミングで「もう今日は寝ちゃおう」と子どものように笑った。その、時々突拍子もないところが好きだ。ごろりと雑に寝転がろうとすると、精一杯の力で押し返される。
「なんだよ」
「けがしてるのに肩からダイブしようとしたでしょ。安静にしてないと」
「……わり、わすれてた」
手の甲にぐるぐる巻かれた包帯を見つめて思い出すくらいなのだから、実は大したことないんじゃないかと疑ってしまう。打ち付けた肩がじんじん痛むのにもそろそろ慣れた。けれどけがを長引かせると自分自身だけでなくグループでの活動にもきっと響いてくる。
瑛二がカーテンを閉めると、部屋に時は流れない。紫とオレンジのグラデーションの一番溶け合った部分のような空の色を失い、部屋の灯りを消すと目が暗闇に慣れてくる。反省の色を見せつけるように大人しくしていると、すっかりベッドを整えた瑛二がシーツをめくってくれるので、有り難く潜り込んだ。しっかり瑛二の手首を引っ張って、隣に寝かせるのも忘れない。
仰向けに寝転がった大和の胸元にぴったりくっつき、狭いベッドで身を寄せ合う。暑苦しくて、身動きが取れないのが不自由なのに、ずっとこうしていたい。
「大和」
「ん?」
手の甲で髪を撫でる。
「俺は大和が一番好きだよ」
「……おう、ありがとな」
「大和は?」
「わかってんだろ」
「でも言ってほしいな」
すみれ色の瞳が無邪気にきらきら光っているのが、見えなくてもわかった。好きなんてもう何度も伝えてきたのに。それこそ、瑛二と気持ちを通わせ合う前からずっと。好きと言えば困ったように照れ笑いをして、でも兄のことが好きだからと顔を曇らせていた頃のことを思い出す。あの頃から大和は瑛二が好きだった。振り向いてほしかった。兄を好きだと言う瑛二の気持ちはわからなくて、でも心の奥ではわかりたいと思っていて。
「好きだ。瑛二のことが、誰より好きだ」
傷付けていないだろうか。大事に瑛二を愛せているだろうか。上手じゃなくていい。せめて触れるだけでこの気持ちを伝えられるくらい優しく寄り添いたい。瑛二がしてくれるみたいに。
「大切にする」
思わず呟くと、「俺も」と瑛二が答えた。触れ合ったところが熱い。
「また、瑛一のことでおまえにつっかかったら……そんときは、叱ってくれ」
「気にしてないのに。好きって思ってくれてるんだなって嬉しいし」
「ほんとかよ」
「本当だよ。だから、そういう時はちゃんと言ってね」
「あいつにやいてるって?」
「うん。その方が、なんかほっとする。俺もちゃんと言うから、その時は……俺のことが一番好きだよって言ってね」
「……いちいちかわいいな、おまえ」
指を使って触れないのが悔しい。だって感触がわからない。気持ちが通じたのか、瑛二の手が伸びてきてくしゃくしゃと頭を撫でられる。
「おやすみ、大和」
とろんとした声が聴こえる。瑛二も気を張っていたのかもしれない、とその時初めて思い至った。にこにこ笑っていたって、なにも抱えていないわけじゃない。それはちゃんと知っている。
隙間なくくっついているのに、もっとそばにいたくて瑛二の身体を引き寄せる。部屋には時計がないから瑛二の心臓の音だけが一定のリズムを刻んでいた。それすら安心をもたらしてくれるみたいに愛しい。
思い出したようにおやすみと返事をする大和の声は、きっともう瑛二には聴こえない。
瑛二がそっとカーテンを開ける。そこから差し込んだ細い筋の光に起こされた。負けても、当たり前に朝が来る。そんなことを単純にすごいと思った。
「起こしちゃった? ごめんね」
振り返って瑛二が申し訳なさそうな顔をする。大和より一回り以上小さな身体の分のぬくもりが、シーツの中にまだしっかりと残っていた。
床に転がしておいたスマホを、感覚の薄い手の甲でたぐり寄せて確認すると五時半。いつもより十五分早い程度だ。この調子だと朝のトレーニングはできそうにないからまだしばらく寝られる、と大げさに手当てされた両手を見下ろして思った。
大和が上半身を起こすと、カーテンを全て開けて瑛二が戻ってくる。窓の外はすこんと突き抜けるような青い空だった。三階の部屋からはそれくらいしか見えない。瑛二が腰を下ろすとベッドは小さく軋んだ。
明るい部屋では瑛二の瞳の淡い紫が、いつもよりつやつやと瑞々しく見える。
「キスしてもいい?」
ほんの少し首を傾げる。すぐに抱きすくめてキスして押し倒してしまいたいのに、身体が不自由でできない。近付こうとした大和の動きを「じっとしてて」と制し、瑛二がベッドに身を乗り上げた。頬を包まれ、触れるだけのやわらかなキス。その後に、もっと深い交わりを求めて舌を絡めた。
小さな口の中に舌をねじ込む。瑛二の両手は無傷(と思われる)の大和の腰に添えられて、Tシャツの裾をぎゅっと握りしめた。痛むところに触れないよう気遣ってくれている優しさと、それでもキスを我慢できないかわいらしさとの間に板挟みになり、いじらしさに胸が詰まる。この先瑛二が泣くことも困ることも不安になることも何も起こりませんように、と自分のことのように祈らずにはいられない。守りたい。隣で笑っていてほしい。
「ぁあ、んっ……」
この柔い肌を、舐めつくして吸い上げて、そして食べてみたい。猟奇的な望みでは決してなくて、ただ人としての欲望の一種みたくそう思った。この唇の隙間から入り込んで、瑛二の一部が、全部がほしい。混ざり合いたい。そう思った時には薄い下唇を甘噛みしていて、いやらしく啼く声にそそられる。食欲にも近かった。うまそうでたまらない。
「ん……んんっ」
どうすれば満たされる? 答えは一つしかなかった。
唇を離してこぼれた唾液を舐め取る。息を吐きながらぐったりと胸元に倒れ込んだ瑛二が、上目遣いにこちらを見上げてきてもう無理だと思った。
「大和、身体つらいのわかってるけど、でも……」
「やりてぇ」
「俺も……。俺、頑張るから……しよ、大和」
するすると唇がのぼってきて、触れ合う。テープを剥がして、手首から巻かれた包帯を解こうとした大和を「待って」と瑛二の言葉が引き止めた。
「だめだよ。お医者さんにいいって言われてないのに」
「でもこれじゃできねぇだろ」
「なんで?」
「そりゃ……さわるからだろ、中とか」
「俺が自分でやるから……だからだめ。じっとしてて」
「…………やんのかよ、自分で」
「やるよ」
妙な沈黙が生まれたのはよからぬ妄想をしたからだ。それはこれから目の前に起こるらしい。触りたい。でも、瑛二が自分でするところを見てみたい。好奇心を孕んだ欲望の方が僅かに勝って、大人しく従うことにした。
「先に大和の、するね」
宣言して、衣服の上からその部分をそっと撫でる。指先で触れられるだけで悦んでしまうことに驚いた。主張を始めている大和の象徴は、すぐに布を押し上げ張り詰める。
「もう大きくなってる」
「……そりゃあ、そうだろ」
「大和もしたいって思ってた?」
「すげえ思ってた」
それこそ今初めて降って湧いた欲望じゃない。下半身のスウェットをずり下ろして、下着の上からすりすりと撫でられる。可愛がられているみたいで恥ずかしい。
「俺も思ってた……。前、ライブの日、した次の日くらいから、ずっと思ってた……」
ちゅう、と甘く吸われる。刺激は全く足りないのに、下腹部に顔を埋めて愛撫を繰りかえす瑛二の姿がたまらなくて、それだけで達してしまうんじゃないかと思った。瞬きする間にずるずると下着も下ろされ、美しいすみれの瞳に見上げられる。
「頭、さわってて」
「おう」
「……ん」
手のひらで頭を撫でる。何重にされているのかわからない包帯のせいで感覚が全くない。けれども瑛二は嬉しそうに性器の先端をぱくりと銜え込んだ。大和の舌をねじこまれるだけでも可哀想なくらいの、体のスケールに比例した大きさの口がたっぷりと包んでくれる。喉の奥に当たって、う、と呻く。
「えーじ、奥はいい……いけるとこまででいいから」
「ん……」
健気って、こういうことをいうんだろうか。気持ちいいと伝えるため、褒めるみたいによしよし頭を撫でる。唾液と先走りとがたてる水音は生々しくて、痺れるような刺激が血の漲る性器に集中する。瑛二、とうわごとみたいに名前を呼ぶと、大事そうに性器を口に含んだまま見上げられた。
「イきてぇ、えーじ……もうおれ、なにしてもいい、えーじの口んなかでイきてえよ」
「んん……」
咥えきれない根元を思い切り擦られる。今自分にフェラしているのは本当に瑛二なのか、確かめるたくなるほどに激しく。やがて大和の性器をすっぽり包んでいた口は離れ、力強く扱かれながら先端を舌でちろちろとなめられる。子どもが喜んでキャンディを舐めるみたいな無邪気さに、悔しいくらいむらむらきた。分泌される液体をこぼすまいと時々ちゅっと吸引され、「う」と低く呻く。
「あ、やべ――えーじ、出るッ……」
口のなかに再び咥え込まれた、と思うともう我慢できず射精した。びゅくびゅくと長い吐精に、そういえば自慰もややごぶさただったことを思い出す。大事そうにそれを飲み込んで、垂れて流れたのを掬うために裏側を舐められびくびく体が震える。器用に白濁を舐めとり、瑛二は再び顔を上げる。唇の周りが大和の出したもので汚れていて頭がおかしくなりそうだ。
「……俺、下手じゃなかった?」
「うまいへたはわかんねぇけど、すげーよかった……」
「よかった……。練習、したから」
「え」
いそいそとTシャツを脱ぎ始める瑛二の腕をつかみたくて、それができないことを思い出す。
空耳か? フェラの練習をする瑛二の姿を思い浮かべることはできない。まず、練習って何(誰?)を相手に? パンツのボタンに手をかけた瑛二と目があって、どんな切羽詰まった顔をしていたのか、本当に何かがおかしいみたいに笑われてしまった。
「どうしたの?」
「や……練習、したのか」
「うん」
「んなの、どうやってやるんだよ」
「え――、やだ言いたくない」
「おまえ、エログッズとか買ったのか」
「買ってないよ! ……買いに行けないし、通販で頼んで、ナギやシオンが開けたら大変でしょ」
あまりに常識的すぎて思わず笑ってしまった。二人とも、まずそれがなんなのか分からないと思うけど。
「今度練習してるとこ見せてくれよ」
「もー……」
「瑛二がえろすぎるのがいけねえんだろ」
「そんなことないよ」
つんと唇を尖らせる。ほら、そういうところとか。
大和を仰向けにさせると、いつの間にか服を脱ぎ捨てた瑛二が脚の間に身体を割り入らせる。
「ローション、そこの引き出しな」
「……うん」
初めての日にたっぷり使ってしまったので、もう半分ほど減っている。せめて差し出したり、キャップを開けるくらいのことはしたいのに、ぎこちなくそれを取り出す瑛二を見上げることしかできなかった。
とろりと左手に垂らした瑛二が「けっこう冷たい」と呟く。手のひらの温度になじませるようにしながら、また漲って天を仰ぐ大和の性器を――正確に言うとそこを滑らせる体液を掬い取った。それは瑛二の手のひらでかなり大雑把にローションと混ぜられる。今から瑛二の中にそれが入っていくと思うと興奮より先に、素直に嬉しい。全部を受け入れてもらえている気がして。
「えーじ、おれの腰、またいでいいぜ」
「そこ、痛くない?」
「ん、大丈夫っぽい。腕とか肩とかはまずそうだけどな」
「じゃ、そうするね」
広げた大和の両足から這い出てきて、言った通り腰を跨ぐ。きれいな体だ、と思ってじっと見上げた。真っ平らな胸に違和感はもうないし、その先端で色づいて主張している乳首は初々しくて可愛らしい。うっすらとしか筋肉のついていない腹はなめらかで、下腹部の中心で勃ち上がっている男性器すら愛らしいと思えてしまうのだから、好きだという感情はすごいものだ。
曲線の少ない体を這うように手をまわして、瑛二は自らの後孔にそっと触れた、ようだった。
「……んんっ…………」
眉間にぎゅっとしわが寄る。あごをそらして鼻にかかった声で喘ぐ。その声を出させているのは大和じゃないことが悔しくて、けれど、それなのにこんなに近くで見ていられることに優越感を覚えたりもして。子どもみたいな感情に自分でもびっくりする。触れたい。触れられない。大きな窓から注ぐ朝の光に照らされた裸体はつやつやきれいで、やっぱり触りたくて仕方がない。
「えーじ……」
「ぁ、うう……やまと……」
「な、もっと、近くきてくんね……?」
「んっ」
後ろをまさぐっていない方の手を胸板について、瑛二が倒れこんでくる。何かを確認するように薄目を開けるから「いたくねぇよ」と頷くと安堵したように何度も首を縦に振る。くちづけるためには、キスしたいと大和から言うしかなかった。なんとか規則的な呼吸を保っていた唇が、ちゅ、ちゅ、と触れては離れていく。
「今……何本はいってんだ?」
「まだ、一本……」
「自分でそこいじんの、はじめてなのか?」
「んっ……! あたりまえ、だよ……っ」
「でもフェラの練習はしてたんだろ」
「う……っ、ん、んん……」
「あー……さわりてー……顔えろすぎ」
「んん……」
頭を撫でる。キスを繰り返す。視界に入らないところで瑛二がつながるための準備をしているのだと思うとそれだけで興奮した。手入れを怠らないから土いじりをしてもいつでもきれいな指が、今どこを、どんな風に犯しているのか。見えないからこそいい、という感覚は大和にはあまりわからない。見たい。だっておれには資格があるよな、と確認するように自問する。
「えーじ」
「ふ……っ、ん……?」
「おまえが自分でいじってるとこ、見てえ」
「……ちかづいてって、言ったの、大和なのに……」
「わり」
いいよ、と呟いて密着した身体が離れていく。突っ込んだ指を一度引き抜いて、出かかった声を、唇を肩に押し付けて殺した。
「この間みたいに、後ろ向いた方がいいの?」
「いや、顔もみてえから」
「うん……俺も」
大きく開いた脚の真ん中にぬるつかせた中指を擦り付けて、入った、とわかったのはやはり瑛二の眉間に小さくしわが寄ったからだった。ぐっと挿し入れて、息を吐きながら引き抜く。バランスを取るために右手を後ろにつくから、これから二人でつながる場所が思ったよりもまざまざと見せつけられて思わず呼吸が乱れる。
生々しい。顎を持ち上げて、薄目を開けてこちらを見下ろす表情が色っぽくて目がそらせない。早くほしい。
「いたくねぇか」
このまま黙っていたら心臓が膨れ上がって喉をせり上がってきそうな圧迫感に駆られ、問いかける。平気、と瑛二は微笑んだ。
「ちょっと、変な感じ、するだけ……」
「そうか」
「早く、大和の……いれてほしいから……」
もがくように人差し指と中指を合わせて、つぷ、と押し込んでいく。第二関節くらいまではめて、ずるずる引き抜く。そしてまた奥へ進めて「したいな……」とうっとり笑った。
「えっろ……」
「……大和だって」
「んだよ、瑛二ほどじゃねえっつの」
「でも、見たい……とか、言うし……っ」
「見てぇだろふつう。だって瑛二、おれがけがしてなかったら、んなことぜってぇしなかっただろ」
「そう、かもしれないけど」
ほらやっぱり。けがして良かったかも――とほんの一瞬でも思ってしまったのが瑛二にバレたらまずい。そんなこと言うなと真顔で怒られてしまいそうで。
でも。もしかしたら、いや、もしかしなくてもこれは勝つことよりずっと嬉しいことだ。セックスすることが、じゃなくて、こんなに愛おしいと思える相手に出会えて結ばれたことが。
ぽたぽたとこぼれたローションと瑛二の先走りとが腹の上に溜まる。二つの指で拡げたところに薬指を突き立てて「三本入った」と瑛二が満足げに笑った。
「大和、やっぱり俺……ぎゅってしててほしい」
「わかった」
「わっ」
「おれもしてぇし」
身体のバネを使って起き上がり、強く抱きしめる。本当はもっと、この身の全てを使ってもっともっと激しく抱き合いたい。
「大和、俺もう大丈夫だから……」
抱き合った腕の中で大和を見上げて瑛二がねだる。引き抜いたローションまみれの指をティッシュで拭いてやり、額を寄せ合った。もうしていい?と返事を急かして腰を撫でられる。
「やろうぜ」
こめかみにくちづける。瑛二は顔じゅうに笑みを浮かべて頷いた。
熱を持って勃ち上がったままの性器の根元を華奢な指が支える。両手が使えないって、セックスの時めちゃくちゃ不便だ、と改めて思い知らされた。後ろに手をついて腰を持ち上げたいのに、腹筋を使って少し倒れることしかできない。鍛えてて良かったと思うべきなのかもしれない。
「あ……」
声に呼ばれるように瑛二を見上げる。真っ赤に染まった頬が発情をまざまざと見せつけてきて息を飲んだ。瑛二、と呼ぶとぎゅっとつむった目を細く開けて視線を寄越す。首筋に流れるものを、汗だ、と認識するのと同時に、性器の先端が狭く絡んだ場所に吸引されるのがわかった。
「ああ……っ」
ふにゃふにゃになって輪郭がぼやけた瑛二の唇から喘ぎ声がこぼれる。大和に見せつけるように開いた脚の間に性器が飲み込まれていく様を、羨ましいと思った。おれもぜんぶつつまれて、せまいところでぎゅうぎゅう苦しめられたい、と。
「……ん、ぁん……」
「えーじ、すげえな、つながってんの、見える」
「あ、あ……」
かわいい、と思うとそれは勝手に声になる。男の裸を見て、男とセックスしながら抱く感情ではないと思うのに、瑛二の姿を見ているとそれだけしか考えられないのだ。
挿入の違和感で一度は萎えかけた瑛二の性器が上向いて、先端で蜜が結ばれて滴った。きもちいいんだとわかる。こうして繋がっているだけで。大和も同じ気持ちだった。こうしていると気持ちが良くて、なにより安心できる。
「はいった……ぜんぶ、はいったよ、大和……」
「きもちいいか? えーじ」
「ん……きもちい、し、うれしい……」
ゆるゆると腰を揺らす。大和を使って後孔を蕩かす姿を黙って見上げた。
「あ、ぁ……ぁっ」
「かわいーな、おまえ」
「やっ、あ……きもちい……すごい、すき、大和……」
「そのまま、ちんここすってみろよ、えーじ」
「ん……」
大和の腰を支えていた左手が、ためらいなく性器を扱き出す。気持ち良くてどうしようもないのだ、瑛二は。
「えろいな、おまえほんと」
「やっ……ぁ、あっ」
「朝っぱらから男の上のっかってよ、ちんこ入れられて、あんあん喘いでる」
「ぁあ、そんなのっ……やまとだって……」
「あたりまえだろ……ほんとはもっと、えーじのこと、めちゃくちゃにしてえのに」
「やっ、ぁあああ……っ!」
かたく閉ざした指の間から白濁がこぼれるのがよく見えた。
「えーじ、うごいてくれよ」
「や、だめ、今むり……っ」
「むりじゃねえだろ……えーじばっかずりぃよ」
いやだ。おれだって気持ち良くなりたい。動くために左手をベッドにつくと鈍く痛んだ。歯を食いしばりながら腰を突き上げる。
「あっ! や、だめっ、うごいちゃだめっ……!」
「おまえだけきもちよくなっといてなに言ってんだ」
「あ、ぁぁんっ、やっ、とまって、大和っ」
誰が止まるか。ずくずく腰を突き上げて熱い中を抉る。騎乗位だと肝心な奥の方まで性器が届かない。なのに瑛二はひゃんひゃん喘ぎ狂うから、きっと理屈じゃない。そう思わされる。
「あ、ぁ、あ、ぁあ、やぁっ!」
「いいんだろ、えーじ」
「いい、けどだめ……っ」
「どっちだよ」
苦笑する。しながら、もっと深いところへ届くようにと腰を使う。左手の鈍い痛みが突然鋭く走って顔をしかめると、瑛二が視線をそちらへやった。
「やまと、ほんとにだめ、手、だめだってば……」
「ばれたか」
手を離して抱き縋るように瑛二に覆い被さる。背中を軽く叩かれ、呻くふりをするとごめんと瑛二が謝った。
「俺、下手だから物足りない……?」
「うごきてぇのにうごけねぇのがいやなんだよ」
「でも仕方ないでしょ」
「わかってる」
「ちょっとだけ俺に頑張らせて」
顎に触れるだけのキスを残して、瑛二が腰に手をまわす。静かな海に波が寄せるような律動は、やはり決して上手だとは呼べない。先端をわずかに引き抜いて、再び腰を落として内壁に当てては「んん……」とかすかな声を漏らして悦ぶ。そんな瑛二の自慰みたいな行為を見つめる。心配そうにすみれの瞳をうっすら覗かせるから「きもちいいか?」と問いかけると小さく頷いた。
けれどそれならいいかと思えるほど達観しているわけでもない。背を曲げて瑛二の胸の小さな粒に舌を這わす。
「ひゃあうっ」
「なぁにかわいい声だしてんだよ」
「や、なめるのいやっ……」
ならば舌ではさむのはいいんだろうか。甘噛みするのは? 赤ん坊みたいに吸い付くのは? 思いつく限りの方法でそこを甘やかすとまた瑛二の性器からとろとろと先走りが溢れ出る。
「ここで感じんの、ほんとやらしいな」
「ぁあ、んっ、あ……」
「がんばるんだろ、えーじ」
「ずるいよ……」
「ずるくねえって」
がんばれ、と舌を離す。乳首との間につーっと引かれた銀の糸が途中でぷつりと切れた。瑛二は大和の上で懸命に身体を跳ねさせる。甘やかな刺激はただただ幸福感をもたらすだけで(それはそれでかなり良いのだけど)大和の身体までは満たしてくれない。瑛二の初々しさを慈しみたい気持ちと、だからこそ犯し尽くしたい気持ちは別なのだ。
「……くやしい」
動きを止めて荒い息をする瑛二が、口を開いた。
「えーじ」
「へたくそで悔しい……俺だって大和みたいに、よくしてあげたいのに。できない……ごめんね」
「これから練習していきゃいいだろ。あやまんなよ」
「大和は俺と付き合う前に、いっぱい練習してきたから上手いの?」
「…………まぁ、そうだな」
嘘をつくのもどうかと思い肯定すると、瑛二は不機嫌そうになった表情を隠さなかった。育った環境もアイドルになった年齢も違うのだ。だから当たり前だし、仕方ないだろう。でもそれを認められない瑛二のことが可愛いと思ってしまう。惚れた弱みというやつだ。
瑛二が背中に手を回してくる。そしてそのまま強く引き寄せられ、体勢を変えたいのだとわかったから細い身体を押し倒すかたちでゆっくりと瑛二を仰向けに寝かせた。
「あ……ぬけちゃう……」
「もっかいいれりゃいいだろ」
「んんんっ……!」
性器を引き抜くと、ぶるりと身体を震わせて瑛二が喘いだ。
「えーじが上になる練習は、けがなおってからな。足、ひらいてくれるか」
「……うん」
こくりと頷き両脚を持ち上げる。つながる部分を示すみたいに開いて、すでに一度大和の興奮を受け止めてくぱりと広がった部分を見せつけた。
まだしっかりと主張を貫いている性器は、手で支えてやらなくても腰の動きだけで進めることができそうだ。入り口を、瑛二が指で拡げてくれる。
「きて……大和」
導かれるまま、そこに怒張を収めていく。少し抜け出して、さらに奥へ沈めて。風に吹かれてかすかに揺れる水面みたいに震える声で瑛二が興奮を示す。瑛二の指や、大和が下になったままでは届かなかった奥までこじ開けると、中の温度を猛烈に感じた。
「あ……あ、やまと……っ」
ベッドについた膝を支点にして律動する。二人がつながる部分は高く持ち上がって、結合部と大和の顔を見上げる瑛二の顔はとろりと甘くふやけた。
「ふぁ、ぁっ、ああっ、きもちい……!」
「ん……いいか? えーじも奥、きもちいいか?」
「うんっ……! あたって、きもちい……もっと、もっとして」
「好きなだけしてやるよ」
「あっ! ぁあ、ん!」
一番奥の瑛二が好きなところを少し外すと、物足りなさそうに声でねだって、腰を揺らして求めてくる。すごくいやらしくて夢中になる。他の何も考えられないくらい、もう瑛二だけがほしい。
この細い身体が、大和に何でもされたいと委ねてくれる。ぜんぶ許してくれる。受け止めてくれる。どんな夜も――こんな朝だって。それがただ嬉しいのだ。
「ああ、あっ、あぁ、もっと……」
「ん……おら、ここだろ」
「ぁあぁっ! っあ! やぁあああっ」
「ここ、こすると、やべえなえーじ……足とじんな」
「あっ! んぁああっ、ごめんなさい……っ」
「あやまんなって」
喘ぎながら謝られると、なんだか嗜虐心をそそられてしまうから。前立腺を的確に擦るとつながった口をぎゅうぎゅう絞ってそれに瑛二が応えてくれる。気持ちいいのだと、本当は言葉がなくったってわかる。汗の一粒一粒さえも、その発情を示して浮かんでいるから。
はたと、瑛二の折り曲げた両脚の中心で主張を激しくしている性器に視線を引き寄せられた。使い込まれていない未熟な男性器がどうなってしまうのか、もちろんわからないわけではない。少しでも撫で上げてやればすぐに達してしまいそうだ。けれど大和も、足を広げることでいっぱいいっぱいな瑛二の両手もそれを叶えることはできない。ふと、こいつ後ろでイけたりすんのかな――と、よからぬ考えが浮かんだ。律動の速度をめいっぱい上げていく。
「ぁああん、やっ、あ……!」
「えーじ、すきだ……」
「俺も、ぁ、あぁっ! や、あっ、やまと、変になっちゃうっ、ぁあっ、だめ、ぁああっ」
「変になりゃいいだろ……、おれしか見てねぇよ」
「んぁ、ぁっ! あっ……!」
奥の、感じるところに何度も何度も押し当てて。その度瑛二は細かに絶頂して、身体を震わせる。もっと大きな波がほしい。
「ぁ、ぁああっ、んぁっ……ぁああ!」
「えーじ、どこがいい?」
「ぜんぶっ、ぜんぶすき……っ、ぁ、あぁっ! んあぁあああっ!」
衝動に任せた嬌声をあげて瑛二が大和の腕を掴んだ。強く引かれ、肩に縋られる。イってる、と、示されなくてもわかった。指が食い込んだ部分の痛みは気にならない。瑛二が夢中で触れてくれていることがただ嬉しかった。
「あ、ぁ、うごかないで、いってるからぁ……」
「でもこっちはイってねえみてえだぜ」
「へ……? っあ、え……っ、なんで、ぁあんっ」
「女みてぇにイったんだろ、えーじ」
「や、ぁ、ぁあっ……わかんないよ……っ」
「いいじゃねぇか、なんもわかんねぇままで」
「あ、ぁっ! ぁあああっ」
目の前にある、白い肌に噛み付いた。自然光を受けて健やかに輝いた皮膚に赤い痕が残る。必死に名前を呼ばれ、それに応えながら腰を振る。この身体にぶちまけたい。そう願いながら身体が求めるままに射精した。
「あ、あぁぁぁぁ……あついぃ……っ」
「う……えーじ……っ!」
抱きしめ合う。じんじん痛む傷口に気付かないふりをして。たっぷり熱を注がれた細い身体が痙攣して、瑛二の興奮を伝えてきた。それを受け止めることの方が、今はずっとずっと大切だった。
大好き、と何度も耳元で繰り返す声に、おれも好きだと返事をする。これは「好き」なんて言葉では足りない感情だと、互いにわかっていながら。
キスして、とかわいらしいおねだりに応えて唇にふたをする。途中で正気に戻った瑛二が「ごめん!」と全力で謝りながら離れるまでしがみつかれていた腕が今もじんじんと熱い。でもそれがかえって良かった。瑛二とめちゃくちゃに愛し合った証のようで。
「大和……もう一回しよ?」
「元気だなおまえ……いいけど」
「ずっとしたかったんだもん……んんぅ……っ」
もうどれだけ瑛二の「もう一回」を受け入れたかわからない。抜かずに連発しているからそれは一回ということなのか、そうじゃないのか――と考えているうちに、瑛二の甘い声に耳を包まれどうでもよくなってしまう。
痛むところに触れないように、瑛二はシーツをぎゅっと掴む。噛み付いた首筋が真っ赤な痕になっていて痛々しい。
「は、ぁう……、んっ……」
疲労からか、もう弱弱しい声しか出せなくなった瑛二を労わるように優しく抱く。シーツから離した手で性器を扱いて絶頂に向かう姿を見下ろしながら腰を揺すった。
「あ、ぁん……好き……やまと、好きだよ……」
「ん、おれも」
「元気になった……?」
「まぁな」
「よかった」
「ありがとな」
「うん。……大好きだよ」
優しく微笑みながら性器を高めるものだから、そのアンバランスさに笑ってしまう。気持ち良くなること。大和が元気を取り戻すこと。どちらも瑛二が本当に欲しがってくれているものだった。
「……あっ、んん……!」
ぞくぞくと震えたあと、瑛二は手の中にどろりと白濁を吐き出した。性器を引き抜くと、その余韻でまたうっとり喘ぐ。
二人してベッドに寝転がって、窓から差し込んだ光に目を細める。ふと視線を横にスライドさせると首筋に赤い噛み痕をつけた瑛二がいて、「わり」と今さらながら謝った。
「……首んとこ、だいぶ赤くなってんな」
「あぁ……大和が噛んでたところ?」
「わかってたのかよ」
「うん」
「兄さんにばれたらおこられんぞ、そんな目立つとこ」
「一緒に怒られてくれる?」
「瑛二がそれでいいなら」
「……うん」
嬉しそうにじゃれ合って、頬を寄せてくる。そんなところが仔犬みたいでかわいいと思う。大和のつけた痕に指で触れて確かめている姿も。
大きなタオルで互いの身体をくまなく拭いて、しばらく寝っ転がったままとりとめのない話をした。何事もなかったみたいに。昨日大和は日向龍也と戦っていないし、負けてなんていない――いや、そんなのは嫌だ。負けた、という事実がある。でもそれだけだ。それ以外、何も変わらない。また戦いたいとか次こそ勝ちたいとか、そういうのはこれからの話で、今、大和はもっと強くなりたい。勝つためだけじゃなくて。
紫色の丸い瞳がきれいだと、ふいに思った。
そこに、自分の姿を映してもらえている。それを探すようにじっと見つめていると、瑛二がそっと唇を重ねてきた。このキスが好きだ、と夢見心地に浸るのと同時に、なにか、ずっと忘れていたような感覚が、肌にそっと溶けてきた。
「…………あ」
「ん?」
「いや……」
これを知っている、気がする。覚えがある。なんだこれ、とひとりごちると瑛二が不思議そうに首を傾げた。
「なんか、歌詞おもいついたかもしれねぇ」
「ほんと? よかった」
「今の気持ち歌詞にすればいいって、瑛一言ってたよな」
「うん」
「瑛二のおかげだな、サンキュ」
「俺はなにもしてないよ」
「んなわけねぇだろ」
キスをする。目を閉じて互いの体温を感じていると、これが幸せだとはっきり思う。
なぁ瑛二、おまえはどう思う?
穏やかな瞳を覗き込む。光を映して反射するみたいにきらきら光る鮮やかな紫に、自分の心までも照らされているような気がした。
「歌詞、漢字になおすの、てつだってくれるか?」
頷いて、瑛二が笑う。
どうかこの笑顔がもう二度と曇らず、ずっとおれのとなりで笑っていますように。
大和に言えずにいることがいくつかある。
例えば、兄さんと二人で仕事をする度にやきもち焼くのがすごくかわいくて、ちょっと不機嫌な姿を実はもっと見たいと思っていること。年上だからとか気にせず、もっと甘えてくれたらいいのにと思っていること。大和は実は、お兄さんのことが普通に好きなんじゃないかと思っていること。
「鳳、おつかれさん」
「お疲れ様です」
振り返って見上げると、日向さん(まどろっこしいから下の名前で呼んでもいいと言われたけれど慣れない)が紙コップに入ったコーヒーを差し出してくれた。そういえば日向さんは兄さんも俺も「鳳」って呼ぶんだ、と今さら気付く。
「ありがとうございます」
「そんなにかしこまらねぇでいいよ」
「あ、はい」
とはいえ、年上だし、芸歴も結構上だし事務所も違うし、何より大和のお兄さんだから緊張してしまう。日向さんと一緒に仕事をするのはこれが二回目だった。兄さんと大和と四人で『兄弟』をコンセプトにした雑誌の特集ページの撮影で、大和が嫌がらなかったのが意外だった。最近少し変わったね。俺が言うと、おれもそう思うと大和が笑った。それが印象的だった。
撮影は、四人揃ったものやそれぞれの兄弟、長男同士、次男同士のパターンがあって、俺と日向さんのツーショット撮影もあった。衣装はシンプルな淡い色のシャツに黒いスラックスで、爽やかな感じでとオーダーされた俺と大和の撮影とはうってかわって、兄さんと日向さんの撮影はかなりセクシーでドキドキした。なんて、大和に気付かれたらまたツンとかわいい顔で妬いてくれるのかな。
兄さんのことは、かっこいいなぁと思って見ていたい。大和のことは見ているだけじゃいやだ。すぐに隣に駆けつけて、抱きしめたいし抱きしめてもらいたい。同じ「好き」という言葉でも、願うことに種類があって、それが全然同じじゃないことに、最近よく驚かされる。
大和が前髪を直してもらっている間、視線に気付いた兄さんがこちらに軽く手をあげた。
「ほんとに仲いいな、お前ら兄弟」
椅子を勧めながら日向さんがしみじみ呟く。大和と同じこと言うんだ、となんとなく嬉しくなった。だから俺は、はい、と力強く返事をする。
「俺が手なんか振ったら、あいつめちゃくちゃ嫌そうな顔してどっか行くな」
「……そうかも」
その姿は容易に想像できてしまう。おれは嬉しくない、というオーラを放たずにいられないのが大和らしさだ。そういうところも好きだと思う。
「正直、お前ら兄弟仲良すぎるからそういう売り方なのかと思ってたよ」
「それ、よく言われます。兄さんも俺も、昔からこんな感じなのに」
「大和も、よそゆきの顔だけでも鳳みたいにしてくれてたらな」
「日向さんは、そんな大和がほんとにいいんですか?」
思わず真顔を向けると「それもそうだな」と苦笑する。どんな場所でも自分というものを強く持って、取り繕ったりできないところが大和のいいところだから。もっとも、ずいぶん長い間コンプレックスの種として扱われている日向さんは、そんなのんびり考えていられないかもしれないけれど。どんな大和を目の当たりにしたってその夜には優しく抱いてもらえる、俺だからこそ、そんな風に感じてしまうのかもしれないけれど。
兄さんの肩に手を回した大和が、カメラに向かって笑顔を見せる。大きな瞳が光を受けてきらきら輝いている。それを俺は今、日向さんと見てるんだ、と思うと不思議な気持ちだった。
「なぁ」
すっかり中身を飲み終えた紙コップをなるべく平たく潰しながら、日向さんが視線をまっすぐ俺の方へと向けた。瞳の色も大きさも全然違うのに(それぞれ母親似・父親似に分かれたんだろうと大和が言ってたっけ)似たものを感じて目がそらせなくなる。
「大和とは、特別仲良いのか?」
「え……えーと、はい。どうしてですか?」
「やさしい目で見てるから、大和のこと。大切な仲間だって思ってくれてんだな」
ありがとな、と頭を撫でられる。大きな手のひらも大和によく似ている。なんで俺が礼言ってんだろ、って、突然我に返るところも。なにより二人とも俺の気持ちに敏感なところが一緒で、ちょっと恥ずかしくなってしまう。兄さんのことが好きなんだと見抜かれたあの夜だって、大和に気持ちがばれるなんて思ってなかった。
「すごいな、兄弟って」
はい、と頷いてから、思う。兄弟でもない他人同士が時間をかけて分かり合えることだって、同じくらいすごい、と。だって俺は無条件に大和のことが好きだと思う。
「俺、大和と一番仲良しなんです」
さっき訊かれたことに、少しの時差を置いて返事をする。
一番だいすき、と、声にはせず唇を動かす。二人を見ている日向さんには気付かれないように。
そして不器用でやさしい大和のことを、一番幸せにしたい。約束するよ。
