april

 十八時半、駅の西改札で。
 なにげない集合の連絡を愛おしく感じてしまうのはどうしてだろう。新鮮だから? 同じ事務所寮に住んで、一緒に仕事をすることが多いから、『待ち合わせ』という響きに、もうなくしたと思っていた初恋のようなときめきがこみ上げてきて驚いた。

 すし詰め状態の市バスからやっとの思いで降車し、指定の駅を目指す。四月になったばかりでまだ日は短い。観光客で賑わっているとはいえ、街灯の少ない道で長く待たせるわけにはいかない。年上である責任感と、恋人としての使命感と、両方が働いた。キャップのつばを下げて目深に被り直し、ずんずん足を進めていくと駅はそう遠くなかった。大きなキャリーケースを引く外国人観光客や家族連れが行き交う先で、こちらに気付いた瑛二が軽く手をあげ小走りで駆け寄ってくる。

「大和、お疲れ様」
「おう。わり、またせたか?」
「ううん。むしろこっちまで来てもらっちゃってごめんね。遠かったでしょ」
「や、バス乗ったらすぐだった。すげぇ混んでたけどな」
「観光シーズンだもんね」
「あぁ。まじで外国人ばっかだな」

 ゆったりと歩きながら辺りを見渡す。ここどこだよ、と言いたくなるくらいの多国籍空間。朝から仕事が一緒だったヴァンと別れ、京都駅からバスに乗り、待ち合わせの場所に到着するまでに見かけた日本人の数を覚えていられそうなほどだった。外人さんはワイらのこと知らんやろ、とヴァンが言っていたのは正しくて、誰にも声を掛けられずここまで来られたのは助かった。それと、この長身が周囲から浮かないことも。

「待ち合わせして外で会うと……デート、って感じがするね」

 瑛二が顔を俯かせる。マスクで表情が隠れていても、デートという単語に照れているのだとわかった。

「手でもつないどくか?」
「うん」

 冗談のつもりで言うと、そうだと気付いた瑛二も困ったように笑って返事をする。両方空いているけど手は繋がない。代わりに、Tシャツのすそをきゅっと引っ張っられた。かわいいやつ。こんな往来で抱き寄せたくなって困った。
 HE★VENSのメンバー仲が良いことは知られているし、年は九つも離れているし瑛二はまだ子どもだし。手を繋いでもおかしくない理由はいくつも浮かんでくるのに、少し低いところにある手のひらを握ることができない。周りがどう見ようと、自分たちが恋人同士である事実は変わらないから。

 ゆるやかな傾斜をのぼり、門をくぐる。
 別の仕事で互いに京都に来ていた瑛二と夜桜を見に行こうと約束したのは、つい今朝のことだ。瑛二はこの春から曜日レギュラーになった朝の情報番組のロケ、大和はバラエティー番組の撮影だった。大和と共に呼ばれたヴァンはラジオ番組の仕事で神戸に移動し、帰りは遅くなるらしい。
 きれいだね、そうだな、とありきたりな感想を交わして、進路は瑛二に任せる。ただ並んで歩いていると、本当にどこにでもいる恋人同士みたいだ。アイドルになる前は、こういうことを普通にしていたはずだった。相手の趣味に合わせたり気の利いた場所を考えるのは苦手なので、相手が行きたいと言えばどこへでも。過去に付き合っていた恋人(と呼んでいいか微妙なラインの相手もいるが)とは、二人で出かけて何をしていただろうか。遠い昔の話の気がして思い出せない。地元にいた頃のあまり面白くない記憶だから思い出したくない――というのが正しいかもしれない。

「明日の雨で、ほとんど散っちゃうだろうだって」

 今年は特に短いね、と瑛二が桜の木にスマホのカメラを向けながら言う。ピンク色のぼんぼりにほんのり照らされた桜は、ピントを合わせるのが難しそうだった。

「めずらしいな、瑛二が花の写真とってんの」
「兄さんに送ってあげようと思って」
「おまえらほんと仲いいな」

 ポケットから取り出したスマホで瑛二を撮影する。懸命に桜に腕を伸ばす姿。

「そんなの撮ってどうするの?」
「リーダーにおくる」
「じゃあ俺も、大和撮って送ろうかな」

 すっとカメラが向けられる。小さく鳴った電子音は動画の録画開始を示す音で、「おい」と苦笑すると瑛二も首をかしげて笑った。

「間違えちゃった」
「わざとだろ」
「うん」

 ぴろん、と間の抜けた電子音がもう一度聴こえる。やっぱり兄さんには送らない、とスマホを胸に抱く姿がかわいらしくてそれ以上責める気にはなれなかった。もちろん大和も、撮った瑛二の姿を瑛一に送るつもりなんてないけど。

「夜だから、桜と目が合う感じがするね」
「目が合う?」
「うん」
「昼は?」
「昼は太陽の方向いて咲くでしょ。でも夜は、ほら、目が合ってる」
「なるほどな」

 わかるようなわからないような。少なくとも、花を見てそんな風に感じたことは一度もなかった。こいつおれのこと見てんのかな、と目の高さに近い桜と見つめ合う。強い風が吹いて、弾けるように舞った桜に目を瞬かせると瑛二が笑った。

「見られたくないって」
「なんでだよ」
「恥ずかしいのかも」

 まるで花に感情があるみたいな言い草。もしかしたら瑛二にはわかるのかもしれない。大和にはわからない「何か」が。
 ライトアップされた桜に見惚れて瑛二が足を止めれば大和もそれに倣う。風情は明らかに日本の春景色なのに、周りから聴こえてくる桜を絶賛する言葉は何語か判別ができないものばかりだった。そういえば実家の神社にも外国人旅行客が増えて大変だとか、母親が話していたっけ。

 手と手が触れる。
 指をそっと握る。
 驚いた瑛二が顔を上げて、反射的に離した。

「手、繋ぎたいね」

 困ったように小首を傾げる瑛二の右頬を、桜色のライトが照らす。そうだなと呟いた。ここで抱きしめて、そのままキスしたい。

「もっともっと桜が咲いて、俺たちのこと、隠してくれたらいいのに」

 なんか詩人っぽいな。思ったけど、言わない。
 もし瑛二が言うように桜が咲いて、枝垂れて、二人を囲ってくれたら。考えてみる。花粉症だったらきつそうだな。なんて、ロマンがないと笑われるだろうか。

「東京帰れば毎日だってふたりになれるだろ」
「……うん」
「んな顔すんなよ。……ホテルどのへんだ? 送ってく」

 普段はあまり気にならない九つの歳の差が、こういうときによくわかる。瑛二は実家の末弟より年下で、まだまだ子どもなのだ。不機嫌を誤魔化して作った笑顔が痛い。
 桜に似ている、とふと思う。このひとときの逢瀬を一瞬と感じるかどうか。花の一生と比べるには、あまりに重さが釣り合わない気がする。

 

 

「大和、部屋まで送って?」

 瑛二が泊まっているホテルのエントランスで首を傾げてお願いされ、二人でエレベーターに乗り込む。頭を撫でると瑛二は嬉しそうにはにかんだ。
 また明日な、と別れるシミュレーションをする。瑛二がときどき捨てられた仔犬みたいにいたいけな目線を寄越すものだから、言葉を用意しておかないと詰まってしまいそうだった。
 部屋の前で足を止める。ルームキーを差し込む瑛二に手首をぐっとつかまれた。腕を引っ張られ、文字通り室内に連れ込まれる。

「やるな、おまえ」

 最初からおれのこと連れ込む気だったのか? 問いかけるより先に唇を塞ぐ。触れたかった。男にしてはやわい唇。

「――ん……やまと、」

 閉まったばかりのドアに押し付けた細い身体が下から上へ小さくふるえる。瑛二の両手に肩を掴まれ、背を屈めながら角度を変えて何度も繰り返した。
 上唇をねぶりながら目を開ける。桜よりずっと赤く頬が色付いている。ただのキスにもまだ不慣れな幼い身体。あどけなさに欲情する性癖なんてなかったのに。瑛二と出会ってからずっとおかしい。この未熟な身体をほどいてみたい。そんな風に思ってしまう。

「あっ……」

 舌で唇を舐める。触れるだけじゃ済まないキスは、数えるほどしかしたことがない。上下の唇を割って侵入すると、すみれ色の瞳が大和を見上げた。許されてる。それがわかってぞくぞくくる。
 くちゅくちゅと音を響かせ、一方的にキスをした。立っているのがやっとの瑛二が愛おしい。瑛二は何もしなくていい。このままでいたいと思ってくれれば、それでいい。
 明日になれば寮の自室で抱きしめて、キスしてじゃれあって、寝落ちするまで隣でいろんな話をして、目覚ましより早く起きてランニングに勤しんで――当たり前の日常がちゃんとやってくるはずなのに、どうしても今がよかった。今キスがしたかった。今、二人になりたかった。
 そっと唇を離す。瑛二の口の周りに滴ったものを指で拭った。

「な、えーじも舌だせよ」
「だって俺、やり方知らないもん……」
「んなのどうだっていいんだよ。ほら、口あけろ。ちょっとでいいから」
「うん……」

 濡れそぼった唇から、赤い舌の先が覗く。その先端に触れるとぴくぴく反応するのが初々しくてかわいい。口を開けさせ舌の裏側を舐める。その度に漏れる鼻にかかった声に、脳を溶かされていく気がした。

「ん……ぁ、ん」
「ませた声だしてんじゃねーよ」
「だって……」

 触れ合わせた舌が熱い。頬を撫でた手で身体を這い、腰を抱いた。相変わらずぺらっぺらの薄い身体だ。舌を絡ませ唇を密に合わせると腕の中の瑛二の腰ががくんと崩れてしまう。キスだけでこんなに感じるなんて。重力に逆らえなくなった身体をひょいと抱き上げる。
 部屋の奥のベッドに腰を下ろし、隣に座らせた瑛二の唇を再び塞いだ。身体は硬直したままで、両腕が気を付けのポーズでだらりと下がっているのが面白い。

「なに緊張してんだよ、おまえから誘ったくせに」
「こんな風になると、思ってなかったから……」
「なんだよ……キス、すんのいやか?」
「ん……」

 背中を曲げてじっと瞳を覗き込む。瑛二はぶんぶん頭を横に振った。

「いやじゃない……」

 そしてぎゅっと抱きついてくる。顔だけ上に向けてキスをほしがる。かわいすぎて困った。頬を手のひらで包み込んでたっぷりくちづける。瑛二はおずおずと舌を差し出し、捕食されることを悦んだ。
 このまま押し倒してしまいたい。服を全て脱がせ、素肌に触れたらどんな反応をするだろう。細い身体はどれだけ熱くなるだろう。瞳はきっと少し怯えて、それすら興奮してしまうかもしれない。だって大和は大人だから。

「……ん、はぁ…………んんっ……」

 息継ぎの間さえもったいない。苦しいと伝えるために瑛二が大和の服のすそを引っ張り、少し離れてすぐにまた欲しくなる。客室の鏡に唇を重ねる二人の姿が映っていて、大和の興奮の水位がさらに上がった。

「やまと……っ」

 背中の布を思い切り引っ張られ、抱き合った腕を解いた。

「そんなにしちゃ苦しい……」
「わるい」
「……でも、すっごく気持ち良かった」
「ばか、もっとしたくなんだろーが」
「いいよ、もっとしても」
「意味わかってねぇだろ、おまえ」
「意味って……?」

 もっとキスしたい、じゃなくて、キスよりもっとすごいことがしたい。そういう意味だけど。どちらにせよ今ここじゃできない。瑛二といられる時間はせいぜいあと三十分。じゃあてっとりばやく二十分ですませようぜ……と言えるわけがない。
 うっすらと汗ばんだ胸板に頬を寄せてくる。柄にもなくどくどくと心臓が鳴った。そして下腹部が反応してしまいそうでまずい。ギリギリまでこうしていたい気持ちは山々だが、そろそろ帰らないと。
 そう思った瞬間、瑛二のカーディガンのポケットの中でスマホが震え出した。

「マネージャーさんだ。出てもいい?」

 おう、と返事をすると瑛二は大和の腕の中でスマホを耳に押し当てる。空調の音すら聴こえない静かな部屋では向こうの声がよく響いた。番組のメンツで懇親会をするから遅くなる前に顔を出しておけ、ということらしい。

「聴こえてた?」

 電話が切れたのを確認して、瑛二が首を傾げる。もう懇親会会場の居酒屋に到着しているらしいマネージャーは、ホテルの部屋に瑛二が男を連れ込んでいるなんて夢にも思っていないだろう。そう思うとおかしくなった。

「すぐ行くんだろ」
「行きたくないなぁ……」
「行きますって返事してただろ」
「大和と一緒にいるから行きませんなんて言えないよ。だから行くけど……ほんとは、大和と二人でいたいなぁって」
「そりゃおれもそうだけどよ」

 でもこのままじゃ襲いかねないから、助かったという気持ちもあったりする。そんな大和の心情を全く汲み取らず、瑛二は唇を突き出してキスをねだった。

「はめ外すなよ」
「大丈夫だよ。マネージャーさんいるから」
「変なやつについていくなよ」
「大丈夫だって」
「酒なんか飲むなよ、未成年」
「当たり前だよ」

 頭を撫でるとおかえしのように瑛二も大和の髪をくしゃくしゃと乱す。あ、と呟いて、手のひらを差し出した。

「花びらついてた」

 ひらひらとこぼれおちる。
 やっぱり行かせたくない、という気持ちが声になる前に二人で部屋を出た。
 タクシー乗り場で手を振って別れる。過保護やな――とヴァンの声で茶化されるのが脳内で勝手に再生されて頭を振った。過保護とか、そういうんじゃなくて――ただ心配なだけだ。おれ以外のだれかに変なことされるんじゃないか、勘違いされるようなことをあいつがしてしまうんじゃないか。しっかりしているくせに妙に危なっかしいところもあって、そこが好きなのだ。未完成な部分にパーツをはめる役割はぜんぶおれがやりたい。本気でそう思っているから。

 頭を掻くと、手のひらに桜の花びらが残った。笑った顔を思い出すと胸がじわっとあたたかい。今すぐもう一度抱きしめたい。キスしたい。二人きりでいたい。こんなに好きになるなんて思わなかった。
 瑛二は見つけた花びらをどうしたのだろう。こんな小さなひとひらが何になるとも思わないけど、せめて今夜だけでも大事に持っていてくれたら。
 柄にもないことを考えながら、見つけた花びらごとポケットに手を突っ込んだ。