Look Look Look Back

 収録終わったから向かうね、とメールを受信したのはつい3分前のことだった。
 久しく聴いていなかったインターフォンの音に、大和は渋々立ち上がる。スタジオからは乗り換え等々含め電車で40分弱、タクシーなら15分程度といった距離で、もう瑛二がやって来たとは考えにくい。それに、合鍵を渡してあるのだからわざわざ呼び鈴を鳴らすまでもない。
 スマホに視線をやると22時をまわっていて、誰だこんな時間に、と訝しんでしまう。一人暮らしの男の家に無いとは思うけれど、セールスの類だったらぶっとばしてやる。
 受話器を持ち上げる。相手の顔がわかるカメラなんかは付いていない。

『あ、いた。突然ごめん』
「……なにしに来たんだよ」
『一晩泊めてくれない? 兄貴』

 オートロックを解除してやり、部屋の鍵は開けておいたのに律儀にノックするものだから玄関へ出て扉を開けた。ボストンバッグを肩に引っ掛けた弟――冬馬は悪びれもせずに「結構いいマンションだね」とわざとらしく内装を見渡した。

「来るなら来るって言っとけ」
「常識人みたいなこと言わないでよ」
「……ベランダから落とすぞ」
「嫌だよ。3階から落とされたら怪我じゃ済まない」

 家主より先に廊下を歩き、リビングのソファの隣に鞄を下ろす。値踏みするように部屋中を見られると居心地が悪かった。会うのは1年半ぶりくらいだが、こういう態度が年々母親に似てきている気がする。いつ棚の上の埃の積もり具合をチェックされたって驚かない。
 アイドルになると言って実家を飛び出し、都内に借りたのがこの部屋だった。先立つものも特になく、もちろん仕事にあてがあったわけではないので家賃優先で選んだ。駅から徒歩20分。カーテンを開ければ隣のマンションに光を遮られ、オートロックはあるものの通用口がむき出しのザルなセキュリティ。それでも男の一人暮らしには十分で、特に今はHE★VENSメンバーと同居しているので留守にすることがほとんどだ。今日だって久しぶりにここに帰ってきた。この弟は本当に運が良い。

「明日朝から都内で学会があるんだよ。うちからじゃ1時間半くらいかかるから助かった」
「学会?」
「大学のゼミの発表会みたいなやつ」

 こいつ、いつの間に大学入ったのか。いや、実家にいた頃から大学生だったかもしれない。年齢差を計算すると冬馬は22のはずだから――もう大学4年だ。関心が薄すぎて忘れていた。

「なんかさ」

 冷蔵庫を勝手に開けて冬馬が言う。ここはおまえんちか。基本的に兄弟の中では礼儀正しいはずなのだが、身内相手だと遠慮はない。

「この部屋さ……あ、ビールもらっていい?」
「飯は」
「まだ。でも飲みたいんだけど」
「すきにしろ。飯はでねぇぞ」
「出ると思ってないよ。いただきます」

 プルタブを起こしながら再びソファに腰を下ろす。フローリングに直に座った大和の方が客人みたいに落ち着かなくなってしまうのが腑に落ちない。くつろぎやがって。まぁ、下のきょうだいたちとは不仲というわけでないのでどうでもいいけど。

「この部屋さ、なんかすごい兄貴以外の気配しない?」

 きたか。予想はしていた質問なので、「でるぜ、この部屋」とすっとぼけた。そうじゃない、とすぐに冬馬の冷静なツッコミ。

「兄貴のその反応がまず怪しい。彼女できた? 俺、今日来たらまずかった?」

 ごくごくとビールで喉を潤しながら言う台詞じゃない。
 それはそうと、もうすぐ瑛二が帰ってくる。男だし、HE★VENSの仲間だし、この部屋に来るイコールそういう関係だと結びつけるには足りないけれど、そういえば瑛二には合鍵を持たせているのだ。さすがに怪しまれるか? ほんの数秒の逡巡の末、でもどうにもできねぇ、が結論だった。できるのはせめて鍵を使わず呼び鈴を鳴らしてもらうことくらいだが、敏い弟には気付かれてしまいそうだ。

「できてねぇよ」
「でも兄貴が冷蔵庫に食材入れてたり、玄関に傘立てわざわざ置いたり台拭き用意したり延長コードは見えないところに隠したりとかしないと思うんだけど」
「おまえ、おふくろよりこまけぇな」
「兄貴がやらなさそうなことやってるから目につくんだよ」

 これは、ふすまに隔てられた寝室や洗面所を見られたら即アウトだろう。特に二本並んだ歯ブラシはごまかしようがない。

「俺は別に兄貴の恋愛とか興味ないし、母さんに報告したりもしないし。今日来て良かったのか確認したかっただけなんだけど」
「じゃまっつったらどうすんだよ」
「そりゃあ……」

 上二人とは違って理知的な瞳を初めて戸惑いの色にした冬馬の言葉を遮るように、鍵を差し込む重い音がした。

「――いや、来るなら本当先に言ってよ」
「おまえが勝手にきたんだろ」
「だから、最初の段階で追い返してくれたら俺だって……」

 人の部屋で漁ったビールを飲み干しておいて何を、と思わなくはなかった。兄の彼女が来たのだと信じて疑わない冬馬は途端に他種の群れに紛れ込んだ動物みたいにそわそわしだして、かえって面白くなってきたのでそのまま見守ることにした。
 見慣れない、しかもサイズの少し小さな靴に瑛二も異変を感じたのか、扉を開けて顔だけ覗かせる。外は寒かったのだろう。肌がいつもより白くて外の冷気まで連れ帰ったように見えた。

「おう。これ、弟」
「弟さん……? 大和の?」
「あぁ」

 話が早くて助かる。端的な言葉で状況をなんとなく理解したらしい瑛二は、マフラーを外して軽く頭を下げた。名乗るより先に冬馬が立ち上がり、無遠慮に上から下まで舐めるように見つめる。

「……本物の鳳瑛二だ」
「はじめまして。あの、お兄さんとは同じグループで活動してて……えっと……」
「弟の冬馬です。兄がいつもお世話になってます」
「こちらこそ……あの……大和?」

 いかにも困ってます、という瞳で助けを求められる。

「せっかく弟さん来てるんだし、俺、帰ろうか?」
「なにか用があって来たんじゃないんですか?」
「えっ……あ、それは……明日でも、いいかなーって……」

 何か言ってと頭のてっぺんから爪先まで困惑したオーラが伝わってきて、正直もう少し見たいと思ってしまった。合鍵で部屋に入った時点でだいぶ誤魔化しきれなくなってしまっているのだ。瑛二もそれに気付いていて、自分が墓穴を掘ってしまっていることに慌てふためいている様子で。それがかわいいと思ってしまうのは意地が悪いだろうか。

「むしろ俺が外しましょうか」
「いや、そんな……」

 弟の方はわかってやっているのか、それとも本当に悪いと思っているのかわかりづらい。兄弟の中でも飛び抜けて表情の乏しいやつだから、真顔で言われると気を遣われているような気がするが内心面白がっているようにも見える。
 冬馬がボストンバッグの持ち手を掴んで、瑛二もじりりと後ずさったタイミングで、腹の虫が大きく鳴いた。

「……はらへった」
「確かに」
「瑛二、とりあえず飯にしね?」
「え、兄貴、グループの人に飯作らせてんの?」
「おれも手伝うにきまってんだろーが」
「実家じゃしたことないくせに」
「うるせぇ。家でるとちったー変わるんだよ」
「ふーん……」

 立ち上がると、困り顔のまま瑛二がキッチンへ着いてくる。大和ひとりでは結局大したものを作れないので、なにか作り置きを探した。素と適当な肉と野菜をぶち込んで鍋をするのもアリだ。空いたビール缶を差し出す弟の顔は、あぁ全部悟っているんだなと思った。それを突っ込んでくるか黙っているかは知らないけれど。相変わらず人を不安にさせる真顔で「風呂貸してくれる?」と訊いてくる。

「仕事の話とか、やっぱり俺いない方がしやすいだろ」

 適当に服を貸してやり、タオルは適当に使えと言うと冬馬はさっさと風呂場に消えて行った。

「……びっくりした」

 隣に並んで見上げられ、ちゃんと目が合った。頬にはもう部屋の温度が馴染んでいて、冬馬との応酬のせいか軽く赤みが差している。悪かった、と一応本心で肩をすくめると瑛二はううんと首を横に振った。

「あいつ、いきなり来やがって……。瑛二からLINE来るまえだったらなんとか言ってやれたんだけどな」
「大丈夫。本当にびっくりしただけだから。弟さん、大和にあんまり似てないね」
「そうかもな。あいつ、顔は親父似だから。顔はな」
「顔だけ?」
「中身はおふくろまんま」

 フライパンを火にかけ、野菜と肉を炒め始める瑛二を横目に見る。瑛一と瑛二がそこまで似ていないように、大和も冬馬と、あと龍也とはさほど似なかった。末っ子とは割と同じ系統の顔で、正真正銘同じ父母の子どもでもこうなるのかと祖父が面白がっていたものだ。
 インスタント味噌汁を椀に取り出しながら、ティファールで湯を沸かす。大体食器は二組ずつしかないので冬馬の分はマグカップに注ぐことにした。野菜を炒める音の奥の方にシャワーの水音が聴こえてきて、安堵して瑛二の肩を抱き寄せる。本当にちゃんと浴室に入るまでは突然「ところでさ」とかひょっこり戻ってきそうで気が気でなかった。

「まだちょっとつめてーな」
「うん。外寒かったから……。暖冬って本当かな」
「薄着だからだろ」
「そんなことないよ」

 ぐっと上向いた唇をとらえると、くすぐったそうに笑う。瑛二とキスすると落ち着く。なんて、冬馬が聞いたら箸を落っことしながら「うそだ……」と他の生き物でも見る目をするのだろう。そういう風に生きてそういう風に他人と関わってこなかった、自覚はある。

「……俺、ご飯食べたら帰るね」
「帰したくねーけど……わかった」
「だからもうちょっとだけ、くっついてていい?」

 答えは当然決まっていて、カチリと湯が沸いたのを知らせる音がしても離れたくなかった。華奢な体を後ろから抱きしめてつむじに、こめかみに、頬にくちづける。それから火を止めた瑛二が顔をあげて、唇と唇で交わし合った。舌を絡ませると止まらなくなりそうで、今にも抱き上げて寝室に連れて行きたくなるのを抑えられなくなりそうで。一言も文句を言わなかった唇が「久しぶりだったのに……」と呟くから、胸に氷を詰められたみたいにきゅっと苦しくなる。

 

 味噌汁の湯気を前に、冬馬が感心した声で言う。

「料理うまいんですね」
「いえ、あるもの炒めただけだから……」
「でも味付けとかすごいしっくりくるんだよね。うちの実家のに似てるからかな。ね、兄貴」

 含みを持たせて顔色をうかがってくるので、平然と「そうだな」とだけ答えた。
 奇妙な晩餐会は、なぜかとても地味に盛り上がった。兄弟のなかで大和以外は基本的にコミュニケーション能力が高いし、中でも冬馬は感覚が一番まともだ。瑛二も受け答えはしっかりしていて聞き役も上手い。
 食後に緑茶を淹れ、瑛二が帰りの車を手配した頃だった。

「テレビとか見てると全然そんな感じしないけど、鳳さんって兄貴とすごい親しくしてくれてるんですね」
「俺たち……HE★VENSって、普段から家族みたいに暮らしてるんです。だからかな」
「でも、こうやって兄貴の自宅に来るのって、鳳さんだけでしょ?」

 湯呑からほこほこのぼる湯気の向こうで、冬馬はやっぱり真顔のままだった。好奇心とか、弱みをつかんでやったみたいな意地の悪さがないだけまだマシだろうか。

「俺、単純に気になるんだけど、兄のどこが好きになっちゃったんですか?」
「なっちゃったってなんだよ」
「いや、だって普通に釣り合ってないし」
「え……っと?」
「鳳さん、兄貴と付き合ってるんですよね?」

 いまいち状況をつかめていない瑛二に、冬馬が畳みかける。昔からこういうやつだった。理屈で説き伏せてくるというか、正解は全て正義だと思っているというか。悪意があるわけじゃないのに誤解されやすいタイプ――というのは大和とよく似ている。
 大和と冬馬の顔を交互に見て、瑛二はうつむいて顔を赤くしてしまった。

「そんなにわかりやすかったですか……?」
「ううん、鳳さんのこと見ててわかったってわけじゃないんだけど」

 人の気配が、と冬馬は続けて、湯呑にくちをつけた。

「兄貴のじゃないなーと思って。で、彼女できたのかって思ってたら、鳳さん来て、あ、気配の人だなって思ったんですよ。で、そうやって考えてたら、明らかにサイズ違う男物の服とか出てくるし、茶碗とかも二人分あって鳳さんが使ってるし、あと兄貴がタオル出すって言って先に風呂場行ってバタバタしてたの、歯ブラシとか隠してたのかなーと思って。昔から、彼女来ても隠すタイプじゃなかったのにね」
「……そうなんですか?」

 そこに食いつくのか。

「うん。うわ、また兄貴のカノジョいるよ、しかもまた違う女、みたいな」
「よけいなこと言うな」
「ほら、事実だから焦ってる」

 もう何年も前のことを掘り返されても困る。しかし確かに嘘は一つもないので弁解もできない。若気の至り、思春期の迷い――とはいえ、大体今の瑛二と同い年くらいの頃の出来事だと思うと妙に生々しくて気持ちの行き場がなくなる。

「あの――、兄が無理やり付き合わせてる、とかじゃないですよね?」
「違います」
「よかった」
「……好きになったのも、俺からだし……」
「へー……マニアックですね」
「どういう意味だよ」

 自分と血の繋がった、正真正銘の兄に対して言うことだろうか。
 しかし冬馬の失礼極まりない態度は置いておいて、マニアックだと言われるとそれまでで、間違っていない。よりによってこんなかわいさのかけらもない、ふてぶてしい大和を好きになるなんて瑛二は変わってる。

「俺は、大和といると安心するから。いつも、ぴんと背筋伸ばして、ちゃんとしてなきゃって思うのが、大和といるとリラックスできるっていうか……。優しいし、ちょっと感情的になりやすいところも、かわいいし……」

 だから好き、と続けられるとまったく冷静ではいられない。冬馬に透明になる薬をぶっかけて今すぐ瑛二とやりたいからとりあえず猫型ロボット、実在するならここに来い。
 そんな男の欲望丸出しの心境は冬馬には駄々漏れだっただろう。かわいいって思ってるのは欲目ですよ、と茶化したあとでテーブルに肩肘をついて、ひとを小馬鹿にするように笑う。

「やっぱり釣り合ってないね、兄貴と鳳さん」
「その顔すげーむかつくな」
「女の趣味は悪かったのにね」
「大和の彼女って、どんなひとだったんですか?」
「おい瑛二……」

 きらきらした無垢な目で訊く話じゃない。

「頭も股もゆるそうな派手な女ばっか。凶器かよって爪つけて、高校生なのによくわかんねぇ香水つけてうちに匂い残すから超迷惑」
「悪かったな」
「でも兄貴の好み、本当は多分鳳さんみたいなタイプですよ。中坊の時のオカズは清純派JKだったから」
「そろそろうるせぇぞおまえ。つきあってたのはぜんぶあっちが告ってくるからで、おれの趣味でもなんでもねぇ!」
「わかってるよ。どれも長く続いてなかったみたいだしね。だからこっちでも好き勝手してるのかなーと思ってたけど、鳳さんみたいなせいじゅ……や、ちゃんとした人と付き合ってて安心した」

 にこりと笑って瑛二の両手を取る。そいつ今清純派って言いかけたぞ、安心するな。

「今はすっかりまともな兄なので、これからもよろしくお願いします」
「あっ、あの、こちらこそ……よろしくお願いします」
「――で、ここから本題なんだけど」

 右手を胸の高さまで上げ、そのあと大和をびしっと人差し指で示す。

「鳳さん来る前にも訊いたけど、今日お泊まりだったわけだよね?」
「あぁ、ひさしぶりのな」
「うーん……俺、耳栓持ってきてるしソファで寝てるから、遠慮せずにやっちゃって? 鳳さん静かそうだしね、兄貴の昔のカノジョたちと違って」
「こいつも案外うるせーぞ」
「へー……」
「へんな目で見んじゃねぇ!」
「大和……! あ、俺、頼んでた迎えも来たし、帰るよ」

 瑛二が腰を浮かせる。帰るのはおまえのほうだろ、と実弟を睨み付けるも、電車も終わった時刻なので追い出すのは酷だ。冬馬は玄関まで(一応申し訳なさそうに)ついてきて、大和はエレベーターホールまで瑛二を見送る。
 冬馬に暴露されてしまった黒歴史たちに瑛二が引いていないか、正直少し心配だった。この程度で人の評価を変えてしまうようなやつだとは思っていないけれど、過去の恋愛遍歴とか中学時代のオカズとか、できれば知られたくなかった。

「なんか……いろいろわるかったな」
「ううん。大和と二人で過ごすの楽しみにしてたけど、弟さんに会えて嬉しかったよ」
「いいやつだな、おまえ……あ、わり」

 くせで後ろのポケットを探り、財布が入っていないことに気が付いた。

「タクシー代、また明日払うな」
「本当に気を遣わなくて大丈夫。それにタクシーじゃなくて、うちのプライベートの車、まわしてもらったんだ」
「家の……って、あのなげぇやつ?」
「そう」
「リムジン呼んだのか」
「事務所の車、空きが少ないみたいで悪いかなって……。じゃあ、また明日」

 到着したエレベーターに乗り込み、瑛二が小さく手を振った。行かせたくないとは思っても、部屋に帰れば冬馬がいて妙に気を遣わせてしまうし、これ以上変な話を吹き込まれても困る。扉が閉まり切ってから部屋に戻ると、玄関にまだ冬馬が立っていた。風邪ひくぞ、とスニーカーを脱ぎながら諭しても室内に戻ろうとしない。

「どうかしたのか」
「兄貴さ、俺思ったんだけど」
「なんだよ」
「突然じゃました俺が言うのも変だけど、今日この部屋俺に貸して、兄貴も鳳さんと帰るっていうのは?」
「……おまえ天才か?」
「まぁ兄貴の弟だから」

 かぎはポストに落としとけ、と言い残してスニーカーに足をつっこみ再び扉を開ける。エレベーターは一度下がってまた上がっていたようで、上階を示していた。間に合わない。階段をすべるようにして下っている最中で、スマホも財布も忘れたことに気が付いた。まぁいいか。

「瑛二!」

 エントランスを抜けたところで追いついた。無駄にエレベーターから出入り口が遠くてよかった。

「大和、どうしたの? 忘れ物してた?」
「おれも帰る」
「……ほんとに?」
「あぁ。おれも乗せてってくれよ……うわ」

 まじでリムジン停まってる、と一瞬おどろいた。あまり人気のないところで良かった。テレビに出る職業だけど、プライベートで妙な注目を浴びるのは嫌いだ。
 一度撮影で使用して乗ったことがあるだけだが、車の内装は記憶に濃く残っていた。おれの恋人ってこう見えてボンボンなんだよな……と思い知らされる。瑛二自体は父親や兄と比べると庶民的な感覚をして、高級嗜好というわけでもないので忘れていた。

「落ち着かないよね」
「あぁ……おちつかねぇ」

 メンバーたちと暮らす事務所の寮までおよそ20分。二人きりでいられるタイムリミットはそれだけだ。
 広い車内で隣り合って座り手を握る。瑛二が肩に頭を預けてきて、大和も首を傾けた。
 これだけの広い車内なら、ふつうにできるよな……と想像力をたくましくさせてすぐに打ち消す。だめだ。この車が瑛二のものならともかく、瑛二の親父のものなんだから。声が響くリスクがある寮の個室もNG、となると、今日も我慢しなければ。
 ……できるか、と自問する。
 できない。せっかく追いかけて来たのに。
 そっと唇を額に落とす。瑛二はどう思っているんだろう。言葉にすれば簡単なのに、セックスしたいかなんて無粋な気がして訊けない。まるで初めての恋みたいに。

「大和、俺……」

 瑛二の唇が確かな含みを持たせて首筋に触れた。

「ごめん、もう我慢できない……」
「おれもできねぇよ。瑛二、運転手、おまえんとこの親父のお抱えかなんかか? このままホテル寄れっつったら怪しまれるか?」
「うん、たぶん。だからこのまま、ここでしたい」
「……いいのかよ」
「大丈夫」

 密着していた身体を離すと、瑛二は室内にある受話器を上げた。運転手らしき人物の名前を呼ぶと、すぐにつながる。

「申し訳ないんだけど……俺がまた電話するまで、適当に走っててもらえますか? ……うん、お願いします」

 リムジンの車内でなんて、普通に生きてればすることはないだろうな、とぼんやり思った。中高生の頃にそれなりに妄想したプレイの中にもこんなものはなかった。しかも恋人の親の車って。実家暮らしの女の家でするよりずっと燃える。瑛二がまだ学生の年齢とはいえ、こんな経験もうすることはないと思っていたのに。
 かばんからタオルを取りだして、瑛二が戻ってくる。隣じゃなくて、大和の膝の上へ。

「大和、車で……って、したことある……?」

 キスの前に訊かれ、記憶のふたを開ける。大和は自分の車を持っていなかったけれど、そういえば年上の彼女と2、3回――と答える前に、唇を押し当ててふさがれる。

「ごめん、やっぱり、聞きたくないから言わないで」
「気にすんなよ」
「気になるよ。でも昔のことは変えられないし……そんな大和が、俺は好きになったんだから……。だから、今までの彼女さんたちとしなかった、すっごいこと、いっぱい俺としてね」
「……すげぇ殺し文句」

 効いた、どころじゃない。今すぐ窓を開けて言葉にできないこの感情を叫んでしまいたい、けれど誰にも聴かせたくない。
 身体を引き寄せキスをする。くちの外で舌を触れ合わせると気持ちがいい。頬に落ちてくる髪を耳にかけてやる。耳の裏側をくすぐると甘ったるい声を出した。感じるんだな、とわかって心のすみにメモをする。また今度、じっくり可愛がってみよう、と。今は無理だ。早く繋がりたくて。

「大和……もう、脱いでもいい? 気持ち良くて、あの、ぬるぬるしてきちゃった……」
「ん――ほんとだな……。キスしただけで」

 パンツと下着をまとめて脱がせると、ぴんと勃ち上がったそこはもう先走りをこぼし始めている。初々しくてかわいいと思っているけれど、からかうように「えろいな」と茶化すしかできない。だって本当に思っていることを全部口にすれば、歯止めが利かなくなる。

「久しぶり、だから……」
「そーだな……自分で抜いてねぇのか?」
「……うん」

 こくりと頷く。そっと扱いてやると喉をひっくり返したような高い声で喘いで、祈りみたいに両手を合わせる。

「大和に、して、ほしかったから……」
「っ……、でも一週間もほっとくなって」

 せめて、おれをオカズにオナニーしろと冗談ぽく言える性格だったら。また責める口調になって、瑛二がごめんと条件反射みたいに謝って、怒ってねぇよとキスして……。こんな応酬が嫌いじゃないけれど。
 大和も、と呟いて瑛二がぐっと首を傾けて見下ろす。ジーンズの上からでもわかるほど主張した性器に気付くと、早く出してやらねぇとと思う。同時に、風呂に入る前でよかった、とも。一歩間違えれば寝間着のスウェットでリムジンに乗るところだった。

「出してあげなくて、平気……?」
「今んとこは……そのまえに、おまえだろ」
「あ、っあ……」

 男の性器に美醜があるならば、瑛二のそれは「美」の中でも上の上くらいの位置づけなんだろうとぼんやり思う。自慰も最小限しか経験したことのないらしい性器は色からして子どものようで、でもサイズはそれなりに立派だ(鳳の血だろうか、想像したくない)。童貞の頃に世話になったAVの類に清純派JKとか素人ものとかが多かったのは事実で、限りなく白に近いピンクの乳首に慣れ親しんだせいだろうか。それに近い色をいやらしいと、きれいだと感じてしまうのは。

「やらしいな、おれの手、べとべとにして……」
「だって、きもちいから……」
「顔みりゃわかる……えろい顔になってんぞ」
「そんなの……っん、ぁ!」

 先走りを潤滑剤の代わりにして後孔に指を潜り込ませる。瑛二と付き合う前までこんなところに突っ込むなんて考えたことすらなかったのに、今ではされている瑛二より楽しんでしまっている気がするから不思議だ。いろんなものを瑛二に変えられてきた。生活習慣から、性的な部分まで。

「あぁっ、ゃっ……だめ、だめいっちゃう……!」
「いいぜ、いけよ」

 高める速度を上げると白濁がぴゅっと飛び出る。手のひらとタオルでなんとかカバーして、ぬるついた指でもっと奥を探っていく。

「――あ、ぁ!」

 中指でひらいたところに人差し指を含ませる。必死にしがみつかれて、柔らかい背もたれに二人で沈み込んだ。すげぇな、リムジンって。調度の質が良いから下手なホテルより心地いい。

「えーじの好きなとこ、こするな」

 見上げて、宣言するとこくこくと頷く。半開きになった口に指を咥えさせたい。けれど後ろを探る手と腰を支える手しかなくて足りなかった。鍛えてもこればかりは手に入らないのが悔しい。
 二本で奥を擦ると、細い身体は逃げるように跳ねた。支える手で腰を押さえる。しだいに腰が上がってきて、大和が壁を背に囲われるような体勢になっていく。絶景だ。

「あぁぁ、ん、そこだめ……」
「きもちいいんだろ、ここ」
「んっ、や、ぁ、いいから、早くいれて……」

 指を揃えて引き抜く。そのうごめく感覚にも声をあげて感じてくれるのだからもうかわいくて仕方がない。
 膝の上に乗ったまま、瑛二の手がベルトを外し、ジーンズの前をくつろげるのを手伝った。

「すごい勃ってるね……」

 根元を軽くこすりながら瑛二が笑う。

「これって、俺が、その、腰……下ろしたらいいんだよね」
「そーだな……できそうか?」
「ん、ちょっと、こわいけど……っあ……」

 切っ先がほんの少しかする。これだけでも感じてしまうようで瑛二は目をぎゅっとつむった。じれったくて、でも無理強いはしない。大和の身体を支えにして、瑛二が自ら結合を果たそうと動いているこの光景がたまらない。
 いじらしい様子をじぃっと見つめていると、目を開けた瑛二と視線が絡んでやわらかく微笑まれた。なんだいまの、と思っているうちに、鼻にかかった喘ぎ声(というよりうめき声)と共に半分くらいが瑛二のなかにぐっと収まる。

「一回先まで抜いて、もっかい……奥までいけるか?」
「ん……」

 そろりと抜けて、ゆっくりと挿っていくのがわかる。懸命な抽挿によって少しずつ奥へ奥へと進む。動きはゆるやかだが、いつもよりずっと瑛二は協力的だった。普段から決してされるがままというわけでもないけれど、恥じらって目を伏せたり、見ないでと怒ってみたりするのが、今日はどうだろう。やけに色っぽくつやつやした瞳が大和を見つめる。

「ぁ――、ん……」
「なんだよえーじ、いつもより興奮してねえか?」
「わ、かん……なぃっ」
「おやじの車でセックスして興奮するとか……ガキだな」

 そっと前髪をかき上げてやる。おそるおそる大和を受け入れる粘膜に早く飲み込まれてしまいたくて腰を軽く揺すった。

「ひゃっ……! や、ぁ」
「このへん……すきだろ」
「や、あ、だめ、俺が、動くから……っ」
「むりすんなって」
「むりじゃな、っ! や……っ!」

 突き上げると上に乗っかった身体が跳ねる。シートからずり落ちそうになり、瑛二を抱えたまま腰掛け直す。少し重心を後ろに倒し、また下から動こうとすると瑛二が小刻みに腰を前後に揺らした。

「そーすんの、きもちいいのか?」
「うん……大和、は……?」
「えーじがかわいいなとおもって見てる」

 思わず口にすると、密着した瑛二の身体に火がついたのかと思うくらいかっと熱くなる。だって仕方がない。幼くて純真で一途で、大和にないきれいなものをたくさん持っていて。それを懸命に捧げてくれる姿に、他の感情なんてない。
 円を描くように腰を揺らす瑛二を見つめ、頭を撫でた。

「今日……もしひとりで帰っても、ひとりでせずに寝るつもりだったのか?」
「そんなの……わかんない……」
「わかんなくねーだろ、もうむりってかんじじゃねぇか」

 主張した性器を擦り上げる。びくびく脈打っているのがわかる。

「ぁ、ぁう、さわっちゃ……や……」
「じゃあ、自分でさわれよ」
「え……」
「えーじがじぶんで出すの見たい」
「や、やだ……」
「いっしょにしてやるから」

 ほら、と手を取ると瑛二は夢中で自分の性器を扱き始める。約束通り手を添えるだけの手伝いをしながら、その姿を眺めた。細い腰を持ち上げて軽く浮かせ、ゆるゆると奥を突いては漏れる甘ったるい嬌声を耳に封じ込める。

「あ! あ……っ」

 ぴゅく、と放たれた白濁が大和の服を汚す。そんなものに構っている余裕はなかった。

「あ、ぁ、ぁ、ぁっ……!」
「おれもだしてぇ……」
「や、ぁ、ぁん……いいよ、だして……っ」

 大和の肩を掴んで、今度は上下に動いてくれる。口はきゅっと締めつけてくるのに、中はやわらかく絡みついてきて大和も声が息でとどまらない。すげぇ……と呟くとさらに窄められて絞られていく。どくどくと打つ動悸が大和のものか瑛二のものかわからなくなりそうだ。

「あっ、あ、あぁ、大和、俺、また――……」
「く……っそ――あぁ……ッ」
「んっ……」

 シートに深く沈みながら抱き合い、腹にまた生暖かいものを感じた。ふーっと深く息を吐き出し瑛二が脱力したのも束の間、中にたっぷりと欲望を注ぎ込む。瑛二にしか見せられないもの。見せたくないもの。いつだって初めてみたいに大切にしたいもの。

 

 結局、「そろそろまずいんじゃねぇか」と大和が渋々声をかけるまで、瑛二は身体を密着させたまま離れる気はないようだった。
 しっかりと衣服を身に着け直し、手を繋いでキスをする。唇なくなっちゃいそう、と瑛二がつぶやいたのがなんだか愛おしくて、けれど重ね合っていくうちに、確かに今触れているどこまでが大和のものでどこまでが瑛二のものかわからなくなっていく。

 もうずいぶん長い間車は一定の速度で走り続けている。運転手にはすでに怪しまれているだろう。そろそろ終わりにしなくてはならない。

「……はい、寮に向かってください。お願いします」

 受話器を置いて瑛二が戻ってくる。当たり前みたいに大和の肩に頭を預け「10分くらいで着くって」と唇を尖らせた。

「燃えちゃったね」
「ん?」
「父さんの車で、するの」
「……あぁ」
「俺は、子どもだから」
「根にもつなよ……またやりてぇか?」
「ううん、俺、大和の部屋の方が好き」

 大和は口をつぐみ、瑛二の肩を抱き寄せる。

「すぐには無理だけど……、俺、ちゃんと大人になるから、待っててね」
「瑛二はそのままでいろよ」
「どうして? ……あ、清純派が好きだから?」
「ばか、ちげぇよ」

 くすくす笑う唇をふさぐ。こいつ、清純派の意味わかって言ってんのか? 確かに瑛二はカテゴリ分けするとそこに分類されるだろうけど。
 車はゆるやかなカーブのあと、なめらかに停車する。外側から扉が開けられ、くっついていた身体を離すと瑛二に腕を引かれた。寒くて寄り添っている風を装わず、大和と手を繋いだまま「ありがとうございました」と運転手に礼をする。大和も倣って軽く頭を下げた。


 互いにシャワーを済ませ、大和の部屋のベッドでぬくもりを分け合うように抱きしめ合う。眠っていると思っていた瑛二が「いつか」と呟いた。

「俺も、兄さんとか……父さんに、大和とのこと、話せるのかな」

 そういえば冬馬は二人の関係を驚くほどすんなりと受け入れた。改めて考えると、稀有なことなのかもしれない。あのレイジング鳳が冬馬と同じような態度をとることはないだろう。まず、立場が違うし。

「むずかしいかもな」
「ん……そうだよね」
「あいつ……冬馬、ちょっと変わってるし」
「でも嬉しかったんだ。俺、大和と付き合っていいんだって思えたし……大和が教えてくれない大和のこと、教えてくれたし」
「どうでもいいことばっかだったけどな」

 短い髪を指で梳く。あんなことが嬉しいのかと思う反面、あんなくだらないことだから良かったのだろうとも思う。
 いつか、打ち明けるのだろうか。
 瑛二の父親はどんな顔をするだろう。瑛一は? メンバー間で、という点で瑛一は黙っちゃいないだろう。一発くらいぶん殴られたっていい。瑛二といられるのならば。


 すうすうと規則的な寝息が聴こえた。
 誰かといて、こんなに心安らぐのは初めてだ。弟の言う通り、大和にはもったいないできすぎた恋人。
 額に唇を寄せて、大和も瞳を閉じた。
 ふたりで現実にしていく「いつか」の夢を見て。