新調したソファが届いたのは、三十日の夕方だった。年の瀬だというのにご苦労なことだ、と家具メーカーと配送業者を(心の中で)労った。
腰を下ろすと大和の身体を包みつつ押し返してくる。新しいのと交換で持って行かれたこれまでのソファがいかにくたくただったかがよくわかる。座る以外の用途でもかなり重宝させてもらったし。
生放送以外の年末年始特番などの収録がやっと落ち着き、久しぶりに我が家をじっくり見渡した気がする。大和が留守にしている間も掃除は瑛二がこなしてくれているので特に変わったところはなかった。しいて言うならば、ラックの上の写真立てがいつの間にか無くなったことくらいだろうか。
ローテーブルの上に鍋用のコンロと鍋の素が置いてある。昨晩、明日は仕入れで早いからと先にベッドに入った瑛二が「ごま豆乳鍋っていうのが食べてみたい」と話していたのを思い出した。今晩はその予定だったのだろう。あの連絡さえ入らなければ。
昼過ぎにクイズ番組の収録が終わり、同じチームで出演していたヴァンとナギと話しているときに、瑛二からLINEが届いた。開く前からいやな予感がした。それは見事的中し、『兄さんと食事してきていい?』というお伺いに断る理由などなかった。
一人で自炊するのはおっくうだ。もともと瑛二と食卓を囲めるはずだった日は特に。
ヴァンはあと二本仕事を抱えていたし、ナギはそのまま帰省するからと慌ただしく出て行った。大和も夕方にはソファを受け取る段取りになっていたので帰宅し、新品の革の香りを嗅いでしまうと外食するのも面倒になる。
「……つくるか」
ごま豆乳鍋とかいうやつを。
鮮やかな色をしたパッケージと目が合い、ソファから立ち上がる。鍋用にカットした野菜もあるし、肉はとりあえずぶちこめばいいし、豆腐は手のひらに乗せて切ればいい。とにかく鍋は楽でいい。一人でも、なんとか作って食うかという気になれる。
感想は、なんだか女子が好きそうなやつ、という感じだった。偏見だが、豆乳って時点でまずそんなイメージがある。瑛二に見せてやるかと写真を撮ったが、適当に具材を投入しすぎて闇鍋みたくなったのですぐ消した。
風呂に入ってからソファに身体を預ける。ため息に近い疲れ切った声が思わずもれて、おっさんかよと自戒する。
瑛一の結婚が決まってからも、瑛一と瑛二は二人でよく食事に出かけた。互いに忙しい仕事の合間を縫って、月に四、五回程度。こういう時にしか着ない洒落たスーツに袖を通し、うきうきと出かけて行くのをなるべく無感情に送り出してやる。
そして日付を越える前に帰ってくる瑛二と決まってセックスする。兄への劣情を大和で晴らしているならばともかく、瑛一と会わない日と何の変化もなく見えるので今のところは素直に誘われるがままになってやる。
だから今日も、するのだろうと思った。
明日の仕事に備えてもう眠るべきかもしれないが、結局大和だって瑛二を抱きたくて仕方がないのだ。目はかなり冴えていて体調もすこぶる良かった。
時刻を確認しようとスマホを手にした瞬間、画面が点灯して着信音が鳴り始める。ディスプレイに表示された相手の名前は、鳳瑛一。
「……もしもし?」
「あぁ、すまない大和。今お前のマンションの下まで来ているのだが」
「なんでおまえが」
「瑛二がひどく酔ってしまってな。悪いが下まで来てくれないだろうか」
「すぐ行く」
珍しい。瑛二が一人で帰って来れないほど飲むなんて。家で飲んでいてもそんな姿、大和は見たことがなかった。
部屋着のパーカーの上になにも羽織らず、エントランスへ下りる。弟をおぶっていた瑛一は、大和の姿をとらえると瑛二になにやら話しかけた。その唇と、瑛二の唇が当たり前みたいに近くにあって勝手に心がちくりと痛む。
「悪いな、大和」
年末年始の仕事がひとつも同じにならなかったので、瑛一と会うのは久しぶりだった。
兄弟で食事に行っただけとは思えない、丁寧にセットされた髪や見るからに上質なスーツはこんな場所に似つかわしくない。グレーのコートに瑛二の両手がしわを作っている。
「仕事が落ち着いたら大和とも食事に行きたいものだな」
「瑛一のえらぶ店、なんつーか……肩こんだよな」
「じゃあ大和が選んでくれ」
「焼き肉食い放題」
「あぁ、いいぞ」
「まじかよ」
まじだ、とゆるやかに口元を綻ばせながら瑛一が瑛二を肩から下ろす。それを引き取るかたちで背中に抱えようとすると、首を横にぶんぶん振って拒絶する。あからさますぎてさすがにショックだ。
「やだー……、まだ、のめるよ……」
「瑛二、もうお前の家だぞ。酒なら大和に飲ませてもらえ」
「いやのませねぇから」
それに瑛二の家じゃねぇし――と思っているのは大和だけなのかもしれない。半永久的に瑛二が転がり込んでいるという体にするのはよろしくないので、周りはみんなルームシェアだと解釈している。
「こんななら瑛一の家、とめてくれりゃよかったじゃねぇか」
「瑛二が帰ると言って聞かなかったんだぞ? ほら、瑛二。しゃんとしろ」
兄に咎められてやっと初めて大和の肩にしがみつく。瑛一を主軸にしてまわっているであろう瑛二の世界が今日も恨めしくて仕方がない。だらりと両腕を大和の肩に預け、またこてんと寝入ってしまった。
「本当にすまない、大和」
「気にすんな。つーかいつも送ってくれてんだろ。ありがとな」
小さく跳ねて、瑛二を抱え直すと瑛一が一瞬目を丸くして、それから笑った。
「なんだよ」
「いや……大和と、瑛二のことで謝り合って、礼を言い合う日が来るとは思わなかった」
「そうかもな」
「まるで、大和も瑛二の兄のようだな。大和は面倒見が良いし、瑛二が懐くのも分かる。そうしていると思い出すな、大和がいつも――」
「……わり、冷えるからもう帰るわ」
踵を返すと、瑛一の返事はなかった。それもそうだな、とか、あぁおやすみ、とか言ってきそうなものなのに。気になって振り返ると目が合う。結婚したい男にも抱かれたい男にも毎年上位に食い込んでいるはずの余裕を持った美貌が、なぜか頼りなさげに小さく見えた。
エレベーターが閉まると、いやいや、と考えを正す。ああいう顔をしていいのはおれのほうじゃねぇか? なつくってなんだよ。兄さんってなんだよ。おれはこいつの――。
こいつの。
こいつの――なんだろう。
少なくとも兄ではないことだけは確かで、でもそれだけだった。
それに、瑛一は忘れてしまったのだろうか。HE★VENSが七人で活動していた頃、大和がしょっちゅうこうやって背中に負ぶっていたのは瑛二じゃない。
ベッドに瑛二を横たえる。確かにいつもよりアルコールの香りが濃く充満していた。
水とか飲ませたほうがいいかと思ったが何の反応もなく、とりあえずネクタイを解く。んん、と鼻にかかった声が無駄に色っぽくて、こんな声をあいつの耳元でも聴かせていたのかと思うと胃がひっくり返りそうなくらい苛立つ。
「ん……にいさん……?」
「ちげぇよ」
「んー……」
ころんと寝返りを打って大和に背を向ける。わざとでもそうでないにしても、それはねぇだろと思った。茶化すように「かんじわりーな」と耳元に吹き込むと、瑛二の両手がもぞもぞと動いているのがわかった。
「……まじか」
それはちゃんと目的を持って、シーツや衣服の上を這っている。じゅわっと焦がされたみたいに汗が噴き出てくる。瑛二は膝を曲げて胎児に近い格好で丸くなった。スラックスのボタンを外し、人差し指と親指でファスナーを下げる。
声をかければ覚醒するかもしれない。そうすれば途中でやめるかもしれない。でもやめてほしいのか、それともこの行為を見続けていたいのか、定かじゃない。息を潜めて生唾を飲み込んだ。
煩わしそうにスラックスと下着を下ろす。現れた瑛二の性器はまだ反応を示していなかった。
「ん……」
瑛二の自慰を、初めて見た。
なんてことない、ごくスタンダードなやり方。だから瑛二が「にいさん」と口にしたとき、自分でも信じられないくらいの乱暴さで瑛二の上にまたがった。
「にいさ、ん……、んぅ……」
「兄さんはいねぇよ」
「ん――……にいさん……っ」
「いねぇっつってんだろ!」
性器を擦り上げる両手をつかまえて、外したネクタイできつく縛る。力の加減ができなかった。また兄を呼ぼうとした唇を塞ぐ。拘束された手を動かしたがるのでシーツに押さえつけて縫い留めた。舌を絡ませ時々唇を噛んで、掴んだ手首に爪を立てる。もう優しくできない。
なぁずっと、おまえは「兄さん」で抜いて、妄想の中のあいつとセックスしてたのか、瑛二。おれにそばにいてほしいと言っておいて。
「くそ……っ」
ぶん殴りたい、わけじゃない。なるべく傷は付けずに大和を証明したい。あいつのことを全部この身体から追い出してまっさらにしたい。どうすればいい。
スラックスを両脚から引き抜き、くしゃくしゃに丸めてフローリングに投げる。このまま事には及べるけれど、それだけじゃいやだ。
「えーじ」
唇を離して名前を呼ぶと、ゆっくりと見開かれたすみれの色と視線が絡まる。なにがなんだかわかっていない表情で、やまと、と唇が動く。
「やまと……? っあ、ぁあ!」
足を持ち上げ繋がる部分に指を含ませた。逸る気持ちのまま性器を取りだし、まだ十分に慣らされていない口にぐっと押し付ける。
「あ、あ! なん、でっ、や、ぁ!」
「わすれてんのか……?」
「あっ……ん! あ、やだ、あ、ごめ、ごめんなさ……っ、あ、ぁあ!」
「ごめんとか言われてもな」
おれの前で、あいつで抜こうとしていた事実が変わるわけでもない。
先の方だけ飲み込ませた性器を、ぐっと深く突きたてる。それが瑛二に負担をかける行為だとわかっていたから、やった。おれのせいで苦しんでほしいと願ってしまった。
「あ、ぁあ、あ――ッ、いや、あ、あ」
まるで人間以外の動物みたいにがつがつと腰を振って欲望を、不満を怒りを嫉妬をぶつける。瑛二は眉間にしわを寄せつつ、それでも大和に合わせて腰を動かした。時間をかけて大和がそうするように慣らしてきた。なのになぜか、すごくはしたない行為をしているようで見たくなかった。
シャツの襟口に手を添える。
つやつやしたボタンを指の腹でなぞって、女のそれとは合わせが違うから脱がしにくそうで舌打ちする。まぁでも関係ない。これからされることを悟った瑛二は、喘ぎながら確かに「やめて」と懇願した。もちろんやめるつもりはない。
引きちぎると、音もなくボタンが散らばっていく。
瑛二の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ、嬌声は喉をひくつかせる痛々しい呼吸音と混ざってリズムを失った。
「泣きてぇのはおれのほうだ」
「あ、ぁ、あぁ……っ、っう、ぁ」
「なぁえーじ」
汗がぱたぱたと落ちる。真っ白な瑛二のシャツにも染みをつくる。もっと汚したい。ぜんぶ大和であふれ返らせて、洪水みたく壊して、なにも知らない瑛二と。
「おまえいつになったら忘れんだよ」
「っく、あ、ぁああ……」
「一生あいつを、ひきずって生きてくのか……?」
ひたひたに濡れた瞳と見つめ合う。もう瑛二は、そこに兄を見てはいなかった。喘ぎながら呼ぶ。やまと、と。
「ご、めん、なさい……っ、あ、あ、ぁあ……」
「おまえがごめんっつって、じゃあおれは、なんて言えばいいんだよ……なぁ、今も瑛二、おまえは、兄さんとおれをかさねて見てんのか……? おまえは……ッ」
「ちがう……っ」
「ちがわねぇだろ」
生理的にやってくる衝動に身を委ね、瑛二の中にどくどくと白濁を放つ。いやだよな、ふつう。好きな相手に重ねでもしない限り、こんなことされて嬉しいわけがなかった。
「瑛二」
キスをした。
身体を離し、衣服を身に着けて瑛二の手を縛っていたネクタイをゆるめる。瑛二は瑛一を愛している。痛いほどわかっていたのに勝手に期待してむかついて、ばかみたいだ。
上着を手に取って部屋を出た。肌を刺す冷気が痛いと思うのに、夜の街の寒さは微塵も感じられない。
「うわ、なんかめんどくさそうなでっかいの来た」
ヴァンのマンションのエントランスで部屋番号を入力し呼び出すと、カメラで大和の顔を確認していやそうな顔(こちらからは見えないけどきっとそうだ)をしながら解錠してくれる。二十階までエレベーターで上がると部屋の扉は開いていた。
「ワイさっき帰ってきたとこなんやけど」
「あぁ……わり」
「どしたん? とりあえず座れば?」
「……おう」
ソファに腰を下ろす。いつ来ても、物が多い割に整理整頓の行き届いた部屋だ。なかなか言葉を切り出さずにいる大和に、ヴァンが先に口を開いた。
「なんなん、暗いなぁ。めずらしいやん。……えーじちゃんに追い出されたんか?」
「ちげぇよ。いいからだまって泊めろ」
「偉そうやなぁ。それが人にもの頼む態度かいな。まぁ、やまちゃんらしくてええけど」
面と向かって言う気はないけれど、相変わらず果てしなくいいやつだ。手土産にビールくらい買って来ればよかった。ヴァンはリビングに客用のふとんを持ってくると「適当に敷いて」と枕をぼふぼふ叩く。
一緒に寝る?みたいな冗談はさすがに言わなくなった。変な軽々しさが消えたというか。そういえばヴァンも――。
「結婚すんだっけ、おまえも」
「うん。……やまちゃんは? ほんまに予定ないん?」
「ねぇよ」
片膝を立てて顔をうずめる。瑛二の顔が浮かんできた。どうしているだろうか。意識ははっきりしていたが、結構酔っぱらっていたのは事実だ。風呂場で寝こけたりしてなければいいけど。
同じ場所にいたくなくて飛び出した。けれどそれは一時的な感情で、きっと明日には家に戻るし、瑛二と顔を突き合せれば乱暴したことを謝るだろう。ただ少し頭を冷やしたかっただけだ。
「彼女の話題とかも聞かんもんなぁ。おらんの?」
「結婚、してぇやつならいる」
「え、そうなんや」
ヴァンが差し出したミネラルウォーターのペットボトルを有り難く受け取る。
「でも、ほんならえーじちゃんとは別々に暮らすことになるんや」
「おまえ、そういうとこ案外にぶいよな」
「…………え、ちょっと待ってそういうこと?」
飲みかけの水を噴き出しそうになったあと、ヴァンが肩を揺さぶってきた。えーちょっとほんま、ほんまなん、うわー知らんかった気付かんかったそんなんワイにははよ言うてやつれないわぁ……と畳みかけられたと思ったら、「やまちゃん」とやけに真面目な声で呼びかけられる。
「なんで今日ここに来たん」
ささいなけんかだ、と突き放すのは簡単だった。嘘はついてない。でもすぐ言葉にならなくて、ペットボトルの水をごくごく半分くらいまで一気に飲み干してから、向き合った。
「あいつがいつまでも昔の相手引きずってるから」
「おおう……そうなん」
「昔……っつーか、あいつは昔って思ってねぇんだろうけど……そもそもそばにいてくれって言ったのはあいつのほうなのによ」
「あの、そんなに端折って話されてもワイ全然話飲み込めてないんやけど……」
「とにかくけんかした。つーか、おれが怒って出てきた」
だん、とテーブルにペットボトルを叩きつけるように置いた。良さげなマンションだから、下には物音のひとつも届いていないんだろうとふと思う。
もし瑛二が女なら、結婚しようと大和は言うのだろうか。
瑛二と家族みたいなものになりたい。女と男じゃなくてもそう願っている。同じ家に帰って、色とりどりの日常を共にして、隣同士で未来を描いて。結構真面目に想像している。
たった一枚、紙切れを交わすか交わさないかの違い。
果たしてそうだろうか。
「寝る」
と、立ち上がって乱雑にふとんを敷きながら言った。足が出てしまうので二枚の毛布をずらしてかぶるとあたたかい。ふと、瑛二は大丈夫だよな?と心配がまた頭をよぎる。
服着て寝たよな? 部屋あたたかくして、腹出してないよな? 意地になってあいつまで飛び出してないよな?
「えーじちゃん、しっかりしとぉけど、昔から時々ちょっと危なっかしいところあるやん」
見透かされたようで、思わずヴァンを振り返る。
「一晩寝て反省したらちゃんと家帰りや」
好きなんやろ、と呪文のように説き伏せられる。
あぁ好きだ。大和だけが、瑛二のことを。どうにかなってしまうくらいには好きだ。
反省すべきは、本当に大和なんだろうか。
あいつにだって非がある。でもそう思ったって仕方がない。瑛二の心は瑛二のもので、大和には捻じ曲げることができないのだから。
「おやすみ。ワイ仕事納めたし昼まで寝るけど、鍵閉めんで出てってくれてええから」
頭をぐしゃぐしゃと撫でられて乱れた思考も複雑化する。
こんなにも瑛二のことが好きで。
じゃあ、その次はどうしようか。
翌朝自宅に戻ると瑛二の姿はどこにもなかった。
スーツのジャケットと、ボタンがちゃんと付け直されたシャツがハンガーにかかっている。他の衣服も一部を除いてクローゼットに整列している。仕事はイベントへの花の搬出以外は今日から休業で、瑛二は遅番だったはずだ。
たまたま早く家を出ただけか――まだ七時だけど。それとも誰かのところにでも転がり込んでいるのだろうか。
電話をかけたら案外すぐに繋がった。
「……大和? どうしたの?」
「どうしたのじゃねぇよ。心配すんだろ」
「先に出て行ったのは大和だよ」
「まぁ……それもそうか」
冷蔵庫から牛乳を取り出し、封を切ってコップに注いだ。勢い良く喉を潤す。その音に電話口で瑛二が小さく笑った。
「変なところにいるんじゃないし……あと、兄さんのところでもないよ。俺、もう子どもじゃないから、心配しないで」
いつ帰ってくるんだ、と訊きかけて気付く。
ここは別に瑛二が帰る家じゃない。ここで暮らしてもいいと言ったのも、鍵を渡したのも大和だった。そのくせ、二人で暮らしやすいように何かを変えたりしたことはなかった。いつ一人に戻ってもいいように。
「大和、電話してくれてありがとう」
「瑛二――」
ぷつん、と途切れてしまう。
通話終了を知らせる規則的な電子音が耳元に響いて煩わしい。冷蔵庫を背にし、ずるずると崩れ落ちた。ため息だけのつもりがだらしない声が出る。地球の真裏にまで届きそうだ。名前も知らないどこか遠い国へ。
謝らせてもくれないのかよ、瑛二。
それから、年が明けても瑛二は姿を現さなかった。
大和はとりあえず籠城して瑛二を待――ちたいところだったが、一日、二日には生放送のバラエティ、三日は事務所の年始イベントでそれどころではなかったのが現実だ。
実家で短い休暇を過ごしたらしいナギが「今日から瑛二うちに来るから」と教えてくれた。言っていいのかだめなのかわからない、という顔をしていたので「悪いな」ととりあえず肩をすくめておいた。その台詞はきっと適切ではなかったとあとになって思う。
家に帰ると、今日も瑛二がこっそり物を取りに戻ったりしてはいないだろうかと気配を探す。クローゼットから服は消えていないか、気に入りのバスソルトは減っていないか、ベランダのミントに水をやったりしていないか。どれも見当外れだった。思わずソファになだれ込む。
疲れた。
ものすごく久しぶりに、そう思った。
瑛二がいないとおれは疲れるんだな。理屈は通らないのに、そりゃそうだよなとしっくりくる。
まだ新品の匂いがするソファに寝転がっていると、くたくたながら大和の身体をゆったりと包み解いてくれた古いソファが恋しくなる。目を閉じるとまるで知らない部屋みたいだ。
瑛二。朝起きて、あぁ大和の部屋じゃないんだとぼんやりしたりしないだろうか。履き慣れたスリッパも、二人で眠ったベッドも――大和だって、しっくり馴染む替えはすぐに見つからないのに、瑛二。
付き合い始めた頃は、瑛一のことが一番でよかった。
二人は血の繋がった兄弟で、瑛一は瑛二のことを家族として溺愛していて、その愛に隙はなくて、瑛二の想いは届かない。そこに付け込んで、関係を持てるだけで大和はよかった。こんなにずぶずぶにはまってしまう予定はなかったし、これほど続くとは思っていなかった。でもどこかで終わることを考えもしなかった。ずっと無責任な関係だった。
――責任ってなんだろうな。
ぼーっと考えて、それから真面目に調べてもみる。それらしいことが書いてあるだけで、具体的になにをすることなのか教えてくれない。そういうことがききたいんじゃねぇんだよ。それとも大人なら、こんな難しいことも自分で考えないといけないのだろうか。むりだ。わかんねぇよ。だって自分の気持ちさえままならない。
一人でいると夜はこんなにも長い。兄と出かけて行った瑛二の帰りを待つときよりも、ずっと。
つまんねーし、疲れた。
待つものは必ずやってくる朝と変わり映えしない日常だけだから、眠りにつくのは一瞬だった。
繰り返す、やりがいがないわけでも大変じゃないわけでもない仕事やそれ相応の付き合い。やる気は普通にあるし、ただ過ぎ去っていくだけと言うには目まぐるしい毎日が、瑛二が隣にいないという事実だけを伴って駆け巡っていく。
正月ムードがすっかり消え、めでたい赤や金の飾りがピンク色のバレンタイン仕様にどんどん様変わりしていく頃、一本の電話があった。
「……瑛二?」
端末に表示される名前に、自分でも引くくらい過剰に反応してしまった。
「大和、明けましておめでとうございます」
「あ、あぁ……明けましておめでとう、ございます」
律儀に挨拶し合って、瑛二だけがくすりと笑う。
「今家にいる?」
「おう」
打ち上げと称した飲み会の三次会まで付き合わされ、結局五時までカラオケオールして帰って、シャワーを浴びたところだった。十代みたいな騒ぎ方を後悔していた頭を、瑛二の言葉が目覚めさせる。
「今から行ってもいい?」
「……おう」
「もうマンションの下にいるから」
電話が切れた。ソファから立ち上がり、スマホを握りしめたまま玄関前に立ちつくす。
鍵が刺さる音と、まわす音。瑛二は扉を閉めて笑った。
「玄関で待ってるとは思わなかったよ」
数日離れただけじゃなにも変わらない。いつもと同じ瑛二が部屋にいる。当たり前だった光景が戻ってきただけだ。
じっとこちらを見上げる瑛二に近付いて、抱きしめる。身体はしんと冷たかった。髪に顔をうずめると気持ちがいい。瑛二の匂いがする。
「大和、ごめんね」
両腕が当たり前みたいに大和の身体を抱き返してきた。
「こんなに離れたの久しぶりで、変な感じだった。ナギのこと何度も大和って呼んで怒られたよ」
「瑛二」
「うん」
腕をそっとほどいて、すみれ色の瞳を見つめた。
「おれがわるかった」
「ううん……大和は悪くないよ」
「でもあんなこと、するつもりじゃなかった。本当だ」
「わかってるよ。ずっと……俺が大和に甘えてたんだ」
背伸びをして、冷たい手が頭を撫でる。ごめんね、と耳元でもう一回ささやいた。
二度と瑛二と抱き合えなかったらどうしようかと怯えていた。心は虚無で、なにを見てもおもしろいと思えなくて、なにを食べてもあぁメシだなとしか感じられなかった。無味乾燥な日常がこのまま続いたらと考えると、全て投げ捨ててしまいたくなった。だから、瑛二と触れ合えるだけで満たされる。くっついているどの部分も瑛二なのだと思うと安心して思わずへなへなと崩れ落ちた。
「俺、話したいことがあるんだ」
一緒にずるずる引きずられて膝をついた瑛二が言った。
「大和、一緒に来てくれる?」
「きてって……どっかいくのか」
「うん、そんなに遠くじゃないから」
瑛二は頷いて微笑んだ。子どもにするみたいに頭を撫でられ、口からするりと快諾の言葉がこぼれ出る。一人で行かせるくらいなら、どこへだって一緒に行く。
コートを身に着けスニーカーに足を突っ込んだ。最寄りのコンビニに行くみたいなラフな格好にも、たばこの匂いがうつった髪にも瑛二は文句を言わない。
キーフックから家の鍵を外した腕を瑛二がつかむ。肩を引き寄せられ、前のめりになったところで唇が触れ合った。
「好きだよ、大和」
マンションの下に待たせていたタクシーに乗り込む。瑛二が運転手に告げた住所には聞き覚えがなかった。
どこ行くんだよ、と顔を覗き込む。二人で行くような場所はだいたい見当がつくのに、なめらかに滑り出したこの車に連れて行かれる場所がどこなのかわからない。シートに投げ出した大和の手の甲を撫でながら、瑛二は「兄さんの家」とはっきり言った。震える手を強く握り返す。
一帯では高級住宅地として知られる瑛一の暮らす土地に到着するまで、離れていた間の話をした。ソファを替えたと言うと、「早く見たいなぁ」と瞳を輝かせる。これから瑛一と会って、そのあとは大和の家に帰る気でいるのは確からしい。それだけでいいと思う反面、それだけじゃないどこかへ向かっているような気がした。
「なぁ、瑛二」
「ん?」
窓の外に視線をやる。半身を乗り出して大和を見つめる瑛二の姿がガラスにうっすらと映った。
「ベッドも、そろそろ買いかえようと思うんだけどよ」
「あ――うん、いいね」
「せまいからな、今の」
返事はない。見るからに高そうなマンションの景色が目の前を流れていく。ゆるやかな坂に差し掛かり、なんでいい家が集まってる場所は坂が多いんだろうな、とぼんやり考えているうちに、タクシーが止まり後部座席のドアが開いた。
HE★VENS全員で暮らしていた寮を出たあと、瑛一は高層マンションのずいぶん高い階に住んでいたはずだ。しかし到着したのは純和風の「お屋敷」と呼ぶにふさわしい立派な戸建てだった。隣との境目がわからないほど広い敷地に、渋い松の木が植わった庭。きっと瑛一の趣味じゃない。婚約者と暮らしている新居か、と察しがついた。
呼び鈴を鳴らすと瑛一自ら出迎えてくれる。コートを脱いで、広々とした客間の畳に腰を下ろした。厳かな雰囲気の木製のテーブルにコーヒーメーカーが不釣り合いでなんだかおかしい。
カップにコーヒーが抽出される音と、兄弟ののどかな会話とが穏やかな光景に溶けてほどける。瑛一の新居で二人がにこやかに会話をしていて、瑛二はわざわざここに大和を連れてきて、家を出る前、大和にくちづけた。このシチュエーションが飲み込めず、テーブルを挟んで交わす二人の会話が宇宙人の交信みたく聴こえた。
わかったのは、この家はやはり婚約者と暮らす新居で、彼女の父親から贈られたものだということだ。だだっ広い和室の天井を見上げながら、金持ちなんだなとぼんやり思った。調度の上品さも、ふすまを開けてすぐ広がる手入れの行き届いた庭も、床材のなめらかな艶も、同じ日本家屋でも大和の実家とはまた違う。相手は芸能人ではなく、どうやら瑛二とも親しいようだった。瑛二が女性を下の名前で呼ぶのを初めて聴いた。
「もう子ども部屋が用意されていてな」
カップを大和と瑛二の前に差し出しながら、瑛一が口元をふっとゆるめる。
「気が早いだろう。……確かに、二人で住むには広すぎる家だが」
「掃除とか大変そうだもんね」
「あぁ、まだ少し慣れない」
眼鏡の奥のきれいな紫を細くする。瑛二と大和に砂糖とミルクを勧めながら「ところで」と言葉をつむいだ。
「今日はどうしたんだ? 大和まで連れて」
立ち上る湯気で眼鏡がくもらないようカップを遠ざける。屈託なく笑顔をのぞかせる兄とは対照的に、瑛二の横顔は少しこわばって見えた。
「兄さんに話があって来たんだ」
膝に置いていた左手を、瑛二にぎゅっと握られる。もしかして、と横を見やると目が合って笑いかけられた。瑛一は弟の言葉とこの一連の流れを、なにがなんだかわかっていない顔で眺めている。
言うのか、瑛二。おれをここに連れてきて。
おそろしく冷えた手をしっかりと握り返した。
「……俺、兄さんのことが好きです」
その言葉を瑛二がどんな表情で伝えるのか、瑛一はどんな顔をして受け取るのか知りたくなかった。目をそらそうとしたのに、気になってできない。繋いだ手が小刻みに震える。
もし大和が瑛一の立場で弟にこんなことを言われたら、きっと笑い飛ばして、なかったことにするだろう。まず信じない。そして、なんの冗談だよと眉をひそめてはっきり嫌悪感をにじませる。
だから一瞬呆気にとられた表情になった後、すっと真顔に戻って瑛二を見つめる瑛一に驚いた。
「あのね、俺、小さい頃からずっと……兄さんのことが好きで、いつそれがそういう意味の「好き」だって気付いたのかもうわからないくらいで……でも俺、本当に好きなんだ、兄さんのこと」
「……瑛二」
なにか言いかけた瑛一を、瑛二が「兄さん」と制した。
「それでね、今日は今の告白と、お願いがあって来ました」
するりと手が解ける。横顔を見つめると、普段接しているより数倍精悍に見えてはっとした。瑛一によく似ている。正座した膝の上できちんと揃えられた右手に手を重ねる。瑛二がなにを言うつもりでもおれは肯定する。それを示したかった。
「小さい頃からずっと、兄さんが好きな気持ちは変わってない。だけど……大和が、俺の気持ち知ってて、一緒にいてくれたんだ。兄さんが好きっていう気持ちを大和は否定しなかったし、つらいなって俺が思った時、いつも優しくて、俺をずっと……好きだって、言ってくれた。俺、兄さんが好きで、一生このまま兄さんだけを好きでいるんだろうなって思ってた。でも、俺大和のことがだんだん好きになってて、たくさん嫌な思いさせちゃったのに、大和といたいって思うようになったんだ。だから――」
瑛二は浅い息継ぎをして、兄に向けていた強い視線を突然大和に注ぐ。息をのむ暇もなかった。
「大和と、ちゃんと、お付き合いしたいと思ってます。兄さん、いつかお互いに女の人と結婚して、一緒に旅行とか行きたいねって言ってくれてたのに、ごめんなさい。楽しみにしてくれてたのに……ごめんなさい。俺、アイドルよりもやりたいことができて、兄さんが期待してくれてる俺であり続けられなかったかもしれない。それに、兄さんがずっと俺たちの未来について楽しそうに話してた時に、俺は……兄さんのことが好きって思ってて、ごめんなさい……」
机に手をついて瑛二がゆっくりと頭を下げる。その振動でカップが小刻みに揺れてかたかたと音を立てた。
瑛一は呆然としていた。少なくとも大和にはそう見えた。細い黒縁の眼鏡を外し、まっすぐに弟の姿を見つめる。まばたきをして、ふるえる瞳から涙がすぅっと頬に流れた。精巧なアニメーションでも見ているような自然な動き。瑛二に悟られないうちにそれを指で拭い、瑛一は弟の名前を呼ぶ。雨の後、晴れた空から降り注ぐみたいにやわらかな声だった。
「顔を上げてくれ。少し、話をしよう――大和」
涙の跡も残っていない頬が軽く上がる。
「瑛二と二人で話がしたいのだが、良いだろうか」
「あぁ」
「時間は大丈夫か? 別室で瑛二を待っていてくれるか」
「わかった」
通されたのは先ほどの客間とよく似た和室だった。異なるのは、入り口の向かいが庭に面した縁側になっていて、日差しが差し込んでいることだった。空調の利いた室内では冬の寒さを忘れてしまう。
大和、と湿っぽい瑛一の声に呼ばれ、振り返る。
「少し……少しでいい。肩を貸してくれないか」
「……あぁ」
前髪に遮られた額が肩にあたる。
二人は仲の良い兄弟だった。大和と出会う前からずっと。だから瑛一の気持ちが大和にはわからない。それなのに、本当は大和が一番わかってやらないといけない気がするのだ。
「瑛二に、がっかりしたのか」
「まさか……」
「ちがうよな」
「……俺は、瑛二の気持ちを分かってやれなかった。この世で一番、俺がそばにいたというのに」
「ふつうわかんねぇよ」
「でも大和は知っていたんだろう」
「おれだって自分で気づいたんじゃねぇし……たまたまだ」
瑛一の手が左肩を掴む。きっと誰よりも瑛二に近い手の感触だった。彼らは唯一無二の兄弟だから。似てないと思ってはいても、誰よりも近くて誰よりも愛おしい存在で。
背中をぽんぽん叩く。上背のある鍛えられた身体は瑛二と全く違うものだった。
「瑛二のこと、あんまり一人にしてやんなよ。おまえならわかってるだろ」
「……そうだな。すまなかった」
顔を上げて眼鏡を押し上げる。ふすまを閉める時、困ったように笑う顔が瑛二のそれと重なった。
陽の当たるところに座り込み、足を崩す。窓を閉めていてもわかる外の冷気と陽光が溶け合い、ぬるくなった温度にまぶたが下がってくる。差し込んだ光に舞うほこりをぼんやり眺めたあと、身体が動きたがるのに任せて目を閉じた。
状況の処理が追い付かなくて、まだ感情が伴わない。
ただ瑛二が愛おしいと思った。それ以上も以下もない。
そばにいたい。それは瑛二の傷を癒したり、ぽっかり空いた穴をふさぐためだけじゃなくて、大和がつらい時にだって支えてほしいからだ。隣で笑っていてほしい。花が咲いた時もうまく育てられなかった時も、兄と会っている時も、いつだって帰ったら大和がいると思ってほしい。
愛も恋も好きという気持ちもどういうものか大和にはわからない。愛しているから、ただ好きでいる。それだけだ。かっこつけて語るような愛は持っていない。瑛二がほしがったとしても、たぶん無理だ。
とろんとした睡魔に誘われる。懐かしい畳の匂いか、眠りに適した穏やかな陽光のせいか、原因ははっきりしない。
肩をゆさぶる手のひらに揺り起こされた。
「……えーじ」
ずいぶん長い間眠っていたような気がする。そういえばオール明けだった。眠いはずだ。
隣に膝をついた人物はその輪郭で瑛二だとわかった。目を擦りピントを合わせる。長い睫毛を見上げてはっとした。
「泣いてたのか」
「ううん」
「目みりゃわかる」
頬に手のひらをあてて、親指でまぶたを撫でる。赤らんだ瞳からぽろぽろ涙がこぼれた。兄弟そろって感情に任せた泣き方をする。二人の似た部分を見つける度に胸がきりりと痛んで、でもそれだけじゃない。抱き寄せると嗚咽が漏れた。
瑛一が瑛二を傷付けたかったわけじゃないのはわかっていた。けれど「好き」という想いが噛み合わないことはひとに深い傷を負わせてしまう。大和はよく知っている。兄が好きで好きでたまらない瑛二のことが、好きだったから。
言わずに一生、気持ちを封じておくこともできただろう。
けれど瑛二はそうしなかった。
その覚悟を、無鉄砲さを、まっすぐすぎて危ういところを、愛おしいと思う。自分と似ているとも思う。そして、変わらないでいてくれ、と強く願う。
帰りの車は瑛一が手配してくれた。
玄関先で靴を履いてから瑛一と向かい合う。靴箱の上に置かれた盆栽に目をやりながら、瑛一は言いにくそうに「大和」と呼びかけた。
「なんだ」
「瑛二をよろしく頼む」
「あぁ、わかってる」
「もう「ごめんなさい」は禁止にしたんだ。瑛二が大和との関係で、自分を責めるようなことを言ったら叱ってくれ」
すっと右手が差し出される。これは約束なのだろうか。しっかりと握り返して頷いた。ゆびきりげんまん、じゃないけれど。
手を離したあと、今度は瑛二に呼びかける。強い瞳で兄を見上げる瑛二を、瑛一はゆっくりと抱きすくめた。
「お前を傷付けるかもしれない。でもこれだけは、言わせてくれ……瑛二、お前を誰より愛している」
「……俺も同じだよ、兄さん」
すまない、と瑛一が唇のかたちだけでそう言った。ごめんなさい禁止は瑛二だけではないのだ。瑛二の見えないところでその言葉を押し殺して、瑛一は目を伏せたまま唇を引き結んだ。
にいさん、と、子どもが初めて発する言葉のようにたどたどしく瑛二が口にする。
「俺、ずっとずっと、なんで兄さんの弟に生まれてきちゃったんだろうって思ってた。でも、きっと、兄さんが俺を弟にって願ってくれたから、俺は生まれてきたんだね」
「……瑛二」
「ありがとう兄さん。俺、兄さんの弟ですっごく幸せ。愛してるよ」
瑛一が泣き出しやしないか不安になった。けれど抱き合ったまま、瑛一はいつも通りの落ち着き払った声色で「ありがとう」とただ繰り返すだけだった。
兄さんとなに話したんだ、と、一生訊かずにいるだろう。だってわかっている。弟を心から愛している兄がいて、瑛一を心から愛している瑛二がいる。その気持ちが本物だと大和は知っている。だから訊かない。
帰りのタクシーでぴったり身を寄せ合い、どちらともなく手を繋いだ。二人きりになって、また泣いてしまったらどうしようと顔を覗き込むと瑛二がこちらを見つめて微笑む。熱の込められた瞳に吸い込まれそうで思わず「好きだ」と口にすると、運転手が肩をびくりと揺らして二人で笑った。
長い一日だった。まるでタイムトラベルをしてきたような不思議な感覚。家を出るまでは深い霧の奥でさまよっていたような気すらする。
部屋の扉が閉まると施錠より先に抱き合った。
ひとを想う気持ちが止められない瞬間というのは、本当にあるのだと気付かされる。求められてくちづけを交わすともうこれ以上何もいらない。一ミリも離れたくない。少しの隙間もなくくっついて確かめ合いたい。伝え合いたい。ただ好きだということを。
冷たかった唇がキスをすると確かな熱を孕んでいく。髪を撫でる。息継ぎの間に好きだと言葉にする。瑛二の顔が赤らんでかわいい。
「……俺も好き」
おずおずと切り出す唇に触れた。好き、なんていう言葉がこれほどに幸福なものだと知らなかった。ほんの少しだけ唇を離し、抱きしめたまま背中を壁につけさせる。間に挟まった腕を抜き、囲いをするように手のひらを壁に押し当てた。
「ずっと瑛二がほしかった」
「俺はずっと、大和のものだったよ」
「それは、身体だけだろ。もっとほしかった……心が」
空いた手を胸の左側にそっと重ねる。瑛二は困ったように笑いながら「難しいね」と大和を見上げた。
「だって身体は簡単に渡せるのに、心って、どうすればいいのかわからない。……でも、俺は大和に求められて嬉しいって思ってる。だから、ぜんぶぜんぶもらって。俺の全部、大和にもらってほしい」
「――おれのぜんぶは」
「俺がもらう。ほしいな、大和」
左の同じ部分に瑛二の手のひらが触れる。鼓動の速さまで伝わりそうだった。靴を履いたままの瑛二の身体を持ち上げソファに連れて行く。座らせて、覆い被さりキスをした。
確かに身体は簡単かもしれない。心はどう渡せばいいのかわからない。ひとが、ひとを手に入れるってどういうことなんだろう。大和にはいまだに答えが出せない。けれど、全て捧げたいと思っている相手が、全てくれるというなら喜んで貰う。それがまだ瑛二の全てじゃないとしても、今見えるものをすみからすみまで愛したい。唇を重ねながら本気でそう考えた。
厚手のダッフルコートを脱がせ、大和も上着を投げ捨てた。いつの間にか瑛二は、主にベッドや、ソファや風呂場なんかでするこの行為に怯えなくなった。それどころか瑛二が誘ってくることが増えた。性感が高まってわけがわからなくなると寂しさも埋まるのだろうか。だから最初の数回以外は瑛二が仕掛けてこない限り手を出さないことにした。二人の交わりは全て瑛二の望むことだと錯覚していたかったから。
ジーンズと下着を膝まで下ろす。瑛二は腰を浮かせてそれを手伝った。靴を履かせっぱなしなので布はまとわりつかせたままで、でも両脚の可動域はそれをするには十分だった。
ずっと無理だと思っていた。でも瑛二を想えば想うほど、今はどうしてかしたくて仕方がない。
性器の根元を指で支え、先端に初めて口をつける。
――うわ。
これをした後の瑛二とのキスでなんとなく知っていたはずなのに、ダイレクトに含むと正直きつい。すぐに口を離し、やっぱりできねぇかもと思ったのも束の間、「やだ」と短く否定をされて引き下がりたくなくなった。自分の中の、あるかもわからない嗜虐心に火をつけられる。
今度は奥まで咥えてみる。半ばやけになったが故の行為なのに、大和の口淫ですでに硬くなり始めたそこをかわいいとさえ感じた。だっておれに反応してる。こんなところまでおれを好きだって言ってる。
「うそ……あっ、大和、しなくていい、から……」
言葉とは裏腹に、性器はもうぱんぱんに膨らんでいる。しばらくしていなかったから達するのは早そうだ。一人でしていなければの話だが、確証はあった。大和と身体を結んでからというもの、瑛二がなかなか一人でいけなくなってしまったのは知っている。
「……すきだ、瑛二。痛くしたらごめんな」
先の方を含みながら舌で円を描く。これは男にしかないもので、つい昨日――いや、ほんの数時間前までは自分にはできない行為だと思っていた。だって、こんなの男がやることじゃねぇだろ、と。
でも違う。瑛二が好きだという気持ちの前にはなにも関係なかった。瑛二にされて大和が気持ち良くなれることを、同じようにしてみたい。
咥内での愛撫は先端に留め、根元からそこまでを筒を作った手のひらで扱き上げる。
「ん、ん――ぁっ……」
瑛二となにか話したいと思った。口でしたい、とも思った。その二つは両立してくれない。だから本能的にならなければならない方を野生の勘みたいなもので優先しているのだろう。
瑛二の熱を口に咥えたまま顔を上げて見上げる。されている瑛二の方がなぜか顔を真っ赤にして、目が合うと手を伸ばして大和の頭を押し返そうとした。たわむれなのか単に力が入らないだけなのかはわからない。とりあえず、この行為を諦めなければならないほどの力は入っていなかった。
「やまと、おねがい――このまま、出ちゃう、から……」
本心からではない(はずの)否定の言葉を、意味をまともにとらえず聴いていた。そんなことより、下から見てもきれいな顔はきれいなままだなんて思いながら。
手を離し、深めに咥え込む。耳のいい瑛二は音に敏感だから、水音をたてて吸引する。雰囲気より感覚を重視したい大和にも、じゅるじゅるといやらしい音と甘い瑛二の嬌声が混ざり合うのはたまらない。
「あ、あ、ぁ……っ」
かわいいと思った。今までだって何度も思って口に出してきたが、全然種類の違う何かがある。整った顔とか大きな瞳とか、男にしては華奢でほっそりとした手足とか、決して曲線的ではない体のラインとか。そういうものではなくて、もっと深い部分で瑛二を愛おしいと思う。こうして施して、尽くしてみたくなったものそんな心変わりの一つなのかもしれない。
含んでいるものに血が巡っているのがわかる。瑛二は腰を浮かせて耐えているようだった。
「大和、もうでる、いっちゃう……っ」
「……ほんとにイきそうだな…………」
放出を予期して口を放す。まだいかせるつもりはない。先端から先走りが溢れて瑛二は浅い呼吸を繰り返す。
「すげーえろいな」
「いかせて、大和……怒ってるの……?」
「怒るかよ」
いじめたい欲みたいなものは、どんどん増してきているけれど。
「がまんしてる瑛二がかわいいからしゃーないだろ」
「かわいく、ないからっ……いかせて……」
「もうちょいな」
裏側を舐め上げる。びくびく反応する身体も性器そのものも愛おしく思えて、おかしくなりそうなのは大和の方だ。下半身に蓄えた熱が質量を増して布を押し上げてくる。本当は今すぐにでも入りたい。それと同じくらい、瑛二をめいっぱい気持ち良くさせたい。
「あ、あ――、だめ、だめっ」
またしてもぱっと口を放し、射精を望む性器を空気に触れさせる。機嫌よく喘いでいた瑛二はソファのひじ掛けにだらりと腕を伸ばしてその上に頭を乗せ、大和を熱のこもった瞳で見つめてくる。そっとキスをする。途中なので舌は入れない。瑛二も求めてこなかったのですぐに離した。
そろそろか、とタイミングを見計らう。あと一回焦らしたら怒らせてしまうか泣かせそうだ。
「なぁ瑛二」
手で軽く扱きながら、倦怠感をあらわにした瑛二を呼ぶ。
「つっこむ方ってどんなかんじか、興味あるか」
「……ある」
と答えたあと、大和がしてるから、と付け加えた。
「じゃあおれの口で、してみようぜ」
再び咥内に含む。律動を模した動きを二、三回繰り返し「うごいてみろよ」と視線をやる。瑛二はぐっと腰を浮かせたり沈めたりを反復して、また顔を赤くした。一度喉の奥に当たりかけて、思わず息を詰める。
「むり、大和、わかんない……大和がして」
それでも先走りは次から次へと溢れてきて、瑛二が興奮しているのは明らかだった。
「や、もう、してほしい……大和、して……」
「ん、わかった」
根元を支え咥えなおす。初めてなのによく知っている気がした。もし瑛二が突っ込む方でセックスしたら、どんなことをされて気持ちいいと感じるのか。同じ男でもそれは微妙に違う。自分を可愛がるのではなく、相手を満足させるための行為。きつくきつく窄め高めながら、裏側に舌を這わす。
「んん――ッ、や、あ、いく……っ」
はっきりと頷いた。大丈夫。瑛二のものなら全部愛せる。口の中にたっぷりと吐き出された精を飲み込んだ。瑛二の一部を取り込んだ、そんな気がして誇らしかった。手のひらや腹の上に出されるよりずっと興奮する。太腿にくちづけながらスニーカーの紐を外した。
「ぁ、あ……くすぐったいよ……」
紐はするすると解け、靴はすぐ脱げた。横たわるのと座っているのの中間のような姿勢で足を放り出した瑛二に、カーペットに膝をついて覆い被さる。手を伸ばせば肩くらいまでは届くので、足の付け根にキスしながら下半身に身に着けたものをすっかり脱がせ、それからセーターと肌着をめくり上げる。部屋は暑いくらいで、けれど自分の服を脱ぐ時間が惜しかった。
「大和、あのっ、ベッドで続き、しよう……?」
「ん?」
「新しいのに、ソファ汚れちゃう」
「それもそうだな」
中途半端に服の脱げた細い体を抱え、寝室に寝かせる。男二人には少し狭いベッド。隣に寝そべり、再び服を胸の上の辺りまで上げた。瑛二の手のひらを誘導させて、自分で服を持たせておく。
乳首は、瑛二が最も弱い部分のひとつだった。それを知りながらあまり触れたことがなかった。膨らみのない胸を触ったところで感動もないし、挿入してからの一連の流れで瑛二が十分感じていることはわかっていたから省略した。前戯はただの準備に過ぎない。焦らすつもりで触れるだけの行為に興じることはあっても、それ以上の意味はなかった。
唇で感じられないほどの尖りを舌で確かめる。
「っひゃぅ、そこだめ……っ」
「すきだからもっとしてくれって聴こえる」
「や、ちがっ……あ、ぁ、やっ」
犬にでもなったみたいだ。舌で往復しているとそこはいやらしく主張を始めて瑛二の発情を伝えた。
「ぁ、あっ……」
「ここ、いいのか?」
「なめながら、しゃべらないで……、きもちいから……っ」
「ん」
的確に刺激を与えてやるとそこは次第にはっきりとした突起に変わる。そうなると唇で挟み込むだけで感覚がわかるようになって、ついばむキスをした。
もう片方は指で捏ねる。そちらもぴんと尖って、言葉以上に反応しているのが見て取れた。
「ん…………っ、あ……」
もっと密着しようと近付くと、下半身の昂ぶりが太腿に押し当たる。明らかな主張を、瑛二が見逃すはずがなかった。服を掴んでいた片手が下りてきて、パンツの上からゆっくりと撫で上げられる。
「大和も、興奮してるの……?」
「するだろ……ふつう」
尖ったところを爪で弾く。淡い嬌声と共に瑛二の腰が跳ねた。けれど右手は意思を持って大和のパンツのボタンとファスナーをきっちり開けて潜り込んでくる。下着の上から指先が流れるように形を示す。
「んっ…………」
「ぁ、あ、あ――」
いっしょにいきたい。ふとそう思って、性器を取り出す。二つ合わせて、二人の手で高めていく。乳首への愛撫を続けていようとするのを、瑛二の声に遮られた。
「……キス、して、ほしい……っ」
「――ん」
荒い息を塞ぐように唇を重ねる。腰が逃げないように抱き寄せ、もう片方の手を瑛二の手の甲に重ねて性器を扱く。一人でするのとは違う速さで、張り詰めた瑛二のものと重ねているとたまらなくなる。
「いっしょがいい」
キスの合間に瑛二がささやいた。頷いたものの自信がない。経験上、瑛二のほうが早いに決まっているから。
「えーじ、なんかえろいこと言えよ」
「へ……ぁ、あっ……だめ、わかんないっ……」
「いっしょにいくんだろ……」
「できない……っ、いじわるしないで……」
「それ、もっとえろく言ってみろって」
「い、いじわるしないで」
「わるくなった」
「そんな、ぁ、あっ! やっ」
堪えきれなかった瑛二の性器から白濁が吐き出される。少し遅れて大和も達した。ごめん、と瑛二が手を合わせる。こういう「ごめん」は叱らなくていいんだよな、とうんうん頷いてキスをする。
「大和」
「ん?」
「今日、その……最後まで、しないの?」
「やるにきまってんだろ。こういうの長いのいやか?」
「いやじゃないけど、でも大和と、その、繋がってる方が、安心できて好き……」
「……なにしてても安心してろよ」
くしゃくしゃと髪をかき乱す。可愛らしいことを言われて冷静でいられなかった。
鼻の頭にくちづけて、ベッドサイドの引き出しを漁る。部屋の照明に手を伸ばしかけてやめた。全部見ていたかった。
「もっと、もっと安心させてほしいな」
大和のパーカーのすそを引っ張って言う。そういう誘い文句に大和が弱いことを知っていて。
ローションを手のひらにこぼしながら、セックスはもう空いた穴を塞ぐための行為じゃないんだな、と思う。だからもう身体を重ねてごまかしたりしない。
「いつから」
「え……? ぁ、あ……っ」
ぬるついた指の侵入はスムーズだ。第二関節のあたりまでをまっすぐ埋めて、持ち上げた太腿にキスをする。
「いつからおれのこと……瑛一に言ったみたいに、思ってたんだよ」
好きになった、とはっきり言うのは恥ずかしい気がして言葉を濁した。
「あ、ぁっ、すき、じゃなきゃ……こんなこと、最初から、しないよ……っ」
「最初って、もうどんだけ前だよ」
「ん、あ、ぁあ……っ、でも――」
一本目はすぐ飲み込まれた。動かさずにいると「低温火傷」と瑛二が呟く。
「……みたいな、感じ。すごく、衝撃的なわけじゃなくて、じわじわって、気付いたら大和が好きだった。火傷はね、熱いってすぐわかるから、すぐ引っ込めることができるんだけど、俺のは低温火傷だったんだ」
「わかるような、わかんねぇような」
「低温火傷って、なかなか治らないんだって」
「治ったら困る」
治る、という表現の微妙な不適切さは置いておいて。
指を引き抜く動きをして、再び奥へ突き入れる。やわい嬌声に耳を包まれた。二本目も三本目も、淀みなく迎え入れてくれる。大和を覚えている場所。
「ぁ、あっ……きもちいい――……」
このままじわじわと、同じ温度で焦がしていきたい。セックスで引き起こされる微熱は長くは続かない。だから、そうだ。低温火傷のように気付かないうちに、瑛二に大和を刻み込む。
指をすっかり抜いて性器の先端を後孔に触れさせる。それだけで期待に喘ぐ瑛二がかわいくて仕方がない。
大和とが初めてだった瑛二はもうすっかりこの行為に慣れ切ってしまった。それが嬉しいような、悔しいような――けれどやっぱり幸せなことだと思うのだ。血の繋がりのない相手との関係にも、新鮮さばかり求めては疲弊する。
「あ、ぁ……っ、ん」
「ひさしぶりだな……なんか」
「ん、ぁあ……大和、はいって、きてる……」
「ちゃんとかんじてろよ」
広がった瑛二の両脚の間に身体を押し入らせてキスをする。同じ空間にいて、瑛二が求めればセックスをするのが当たり前の関係だったから、こんなに長い間交わらずにいたのは数年ぶりかもしれない。身体はちゃんと瑛二を覚えているのに、心はなんだか初めてのときみたいにどきどきした。どうすれば満足する? どうすれば瑛二を繋ぎ止めておける? そう考えた夜が、かつて確かに存在したから。
「好き……大好き、大和……大和」
「おれだってすきだ。もうわかってんだろうけど、すきだ、瑛二」
「あ、ぁっ……いつもより、すごい……んんっ――」
律動を待ち詫びた細い腰が先に動く。すげーえろいな……と見下ろしていると、ごめんと瑛二が謝った。大和も腰を振ることでそれに応える。
「や、ぁん! あ、大和っ、あ、ぁっ……!」
「やっぱ、下にだれが来たら、こまるな」
ベッドが古いのも相まってスプリングの軋みが耳に障る。
「な、にが……?」
「また話す」
「や、や、あっ……! ぁあっ」
「えーじ……すげーすきだ……」
細やかな抽挿を繰り返しながらくるぶしを持ち上げくちづける。触れる度に瑛二はびくびくと反応して嬌声のトーンを上げた。誰にでも見せられるのに誰にでも触らせるわけじゃない場所。だから欲情の種ははっきりと芽吹いてしまう。身を乗り出して膝にキスをした。
「ぁあ……っ」
「ここ、すきか?」
「なめられるの、好き、かも……」
「へえ」
キスして、慣らして、挿れて、出して。そんなセックスばかりしてきたから、瑛二がなにを好きかなんて聞くのは初めてだった。大和だって、こうするのは好きだ。瑛二の反応が良いならなおさら。
浅いところで抜き挿しして交わっていると、瑛二は細切れに喘いで口をぱくぱくさせる。砂浜に打ち上げられた魚みたいだ。ちゃんと水にかえしてやらないと。
ゆるやかなピストンのさなか、しだいに奥へ奥へと潜り込んでいく。抜いて少し離れて、身体を沈めて。挿入のタイミングで肌と肌がぶつかり合う、あの肉欲をかき立てられる感触が好きだ。
「あ、ぁ、あぁ……! あ――すき……」
「えーじ好きだもんな、セックスすんの」
「大和との、セックス、すき……っ!」
「そうだな……おれもだ」
「ぁ、ぁんっ、もっとさわって……、奥まできてっ」
つながったまま覆い被さり、くちづけを求める。汗が前髪をつたって瑛二の額を濡らした。触れられるところすべてが愛おしくて顔中にキスをする。その唇をするすると下ろしていって飴を転がすみたいに乳首を舐めながら、奥へ奥へと腰を打ち付けた。
「あぁぁ! や、あぁぁっ」
「ここ、すきだな、瑛二」
「ひゃぁぅ、やっ、すき……!」
「ここもすきだろ?」
「あぁぁんっ」
指の腹で胸の先端を撫でる。細い腰はぴくりと跳ね上がって電流を流されたみたいに小刻みに震えた。思わず、またいったかと思い見下ろすとそうではなかった。
ずいぶん慣らされて拡がった瑛二の中でも、質量を増した大和の性器が繊細な動きをするのは難しい。念入りに出して挿れてを繰り返し、スピードを上げていく。声がかわいい、と思うと同時に、もしかしてどこかの部屋に聴こえてしまっているんじゃないかと思うとたまらなくなった。誰にも聴かせたくないのに。
きゅうきゅうと締め付けられて大和もそろそろ限界が近かった。自ら足を広げて男の欲望を銜え込む瑛二の姿に、この上なく興奮する。受け入れられている。許されているのだとわかって。
ぬるぬると動きやすくなった瑛二の中へ、激しく腰を振ってピストンを繰り返す。
「あっあっ! んやぁあッ!」
「クソ、やべぇ……」
「ぁん、あぅ……っ! いっちゃう、やまと、いくっ!」
「いいぜ、いけよ、えーじ」
「きもちぃ、あ、あ、ぁんっ、ひ、あぁぁぁぁっ!」
中心で反り返った性器からびゅっと白濁が飛び出て腹を汚す。瑛二がいった、と頭では理解できているのに、動きを止めることができなかった。だってもっと気持ちのいい絶頂を瑛二も大和も知っている。
「ゃ、だめぇ、とまって、やまと……っ」
「まだここで、いっただけだろ」
「あぁぁんっ」
性器をぐりっと親指で撫でると甘やかな声をあげる。いくら清純そうな顔をしていたってもう全部知っている。瑛二がなにを望んでいるのか。
膝裏にくちづけながら性器をゆっくり引き抜いた。ずず、と出ていく間にも「んぁぁっ……」と鼻にかかった嬌声に耳をくるまれ落ち着いていられない。
瑛二の身体をシーツにうつぶせにすると、結合を乞うように尻が高く持ち上がる。まだ一度も解放していない大和の熱はさらにむくむくと質量を増してその様子に悦んでしまう。
「いれるな、えーじ」
「うん……っ、きて」
入口にぴたりと押し付け、ぬるぬる円を描く。瑛二の精がぱたぱたシーツに落ちる音が官能的だった。後孔に添わせるとあたたかい中は飲み込むように大和を受け入れてくれる。
時間をかけて奥まで貫く。内側の粘膜が欲しがって収縮を繰り返し、恐ろしいほどに気持ちがいい。
「あ――えーじ、すげーいい……」
「俺も……きもちい……、大和が、俺のなかにいるんだって、わかってうれしい……」
「すきだ、えーじ……」
「俺もだいすき……、んっ、あ、ぁ……っ」
背中にキスしながら律動すると、ほのかに赤い花が咲いていく。
「あ……もう、そんなっ、おっきくしちゃだめ……っ」
「自分じゃわかんねぇよ」
「ん、ぁあんっ!」
腰を打付ける度、二人分の体重を支えるベッドがぎしぎし音を立てて軋む。必死に両手でシーツを掴み喘ぐ瑛二を犯しているようで、けれど紡がれる言葉はこの行為に喜び狂う男のそれだった。片手で腰を掴み、もう片方で膨れ上がった性器をさする。射精まではすぐだった。白濁にどろどろと手のひらを汚されても、獣みたいに激しく腰を振った。
「ぁあ! ぁん! あ――ッ! やまと、またいっちゃう、んぁああっ!」
重ねた身体が震える。絶頂を迎えた瑛二ははぁはぁと荒い息をして、もうなにもできないくらい脱力しているのに小さな動きが性感帯になった体中を刺激した。
「えーじ、おれもいかせてくれよ」
「え、あ、ぁぁぁん!」
「ごめんな、すげぇ敏感になってんの、知ってんのに」
「や! ぁん! 絶対わざと、してる、ぁぁっ……!」
「そりゃわざとすんだろ……すげーかわいい」
なにより後ろでいった後、貪るように大和をしぼってくるのが好きなのだ。もう腰を突き上げていられないへろへろな身体を相手にするのは少しかわいそうだが、それでもほしい。
「ぁ、あ、ぁぁんっ、やだ、またきちゃう……っ」
「おれももうむりだ……!」
腰を激しく揺さぶりながら夢中で瑛二の名前を呼ぶ。どれだけ瑛二を愛しているか知らせるようにどくどくと欲望を注ぎ込んだ。瑛二の性器からも白濁が飛び散りシーツを汚す。
あいしてる。
借り物みたいな言葉でささやくと、瑛二もはっきりとその五文字を口にした。
あいしてる、大和。
「さっきの、下に来たら困るって何?」
狭い浴室でシャワーを浴びながら瑛二が首を傾げた。
「あぁ。上、ちょっと前にこしてきただろ。そうじの音とか走りまわる音がけっこうよく聞こえるから、うちの音も下にも響いてんだろうと思ったんだよ」
「それは……そうだね」
「今はいねぇし、入ってきたらこっちが出りゃいい話だ」
この部屋に愛着がないわけではないけれど、瑛二とセックスできなくなる方がずっと大問題だ。仮にも大和は芸能人なわけで、瑛一やヴァンからもっとまともな場所に住んだ方がいいと何度も言われてきた。
「大和は引っ越ししたいの?」
両手にボディソープを泡立て、瑛二が首から順に洗ってくれる。されるがままに直立した。こういう、恋人同士みたいな行為に今さらどきまぎしてしまう。さっきまでもっといやらしいことをしていたのに。
「俺はこの家、好きだな」
「おれだってきらいじゃねぇけど、せまいしな」
「広い家ってどこにいればいいかわからなくなりそう」
それは少しわかる。例えば瑛一の新居みたいな屋敷に住むことになったら確実に持て余してしまう。それはあまりにオーバーとしても、大和だって狭い家で大きくないソファに瑛二と寄り添っているのがいい。肘を包んだ手が下りてきて指を絡める。短く切り揃えた爪を一通り撫でられた。
「でも、お風呂はもうちょっと広い方がいいよね。一緒に入ったらぎゅうぎゅうになっちゃう」
「部屋、探しにいこうぜ。次オフかぶんのいつだ?」
「大和がオフの日、俺も休み取るよ」
「オーナーは自由だな」
「みんなに任せられるように教育してきたからね。――おへそ、くすぐったくない?」
「……ん、平気だ」
くるくると人差し指に撫でられる。しっかり割れた腹筋を慈しむように両手をすべらせ、それから下降する。行為が終わって通常の様子に戻った性器を扱く手付きで触るものだから、欲望はすぐに膨らんだ。
「おっきくなってきた」
肩口に頬を寄せた瑛二が大和を見上げる。
「しゃーねぇだろ……瑛二が、そういうふうに触るから」
「洗ってるだけだよ」
「……しらねぇよ」
裏の筋を指の腹に撫で上げられ、意思に反して性器がびくびくと反応してしまう。思わず息を飲み、瑛二の肩を抱き寄せる。もう戻れない。犯してやる。視線を絡めると瑛二が先に口を開いた。
「もう一回しよ?」
返事より先に、鏡の脇の棚に置いてあるチューブを手に取った。手早く中身を手のひらに垂らして、瑛二の身体を引き寄せる。正面から抱き合った状態で、ぬるつく手で尻を割り開かせて後孔に指を突っ込んだ。さっきまで大和の性器に解かれていたそこはすぐに受け入れる。それどころか、ベッドで出した大和の体液がとろとろ逆流してきた。
「ぁ……大和、いれて、大丈夫だよ」
「んな感じすんな」
「指も、好きだけど……ぁあっ」
三本を揃えてくちくちと動かす。とろけたそこはすでに柔らかい。足の付け根の辺りに押し付けられた瑛二の性器も興奮を示して先走りをこぼし始める。
「じゃあ入れるな」
「うん……っ」
壁に両手をつかせて腰を支える。
「ぁぁ、ん――――」
起ち上がった性器を押し進める。とん、と最奥に当たると瑛二が高い声で喘いだ。右手をまわして性器を握り込む。
「あぅ、ぁっ」
「感じるとこ、いっぱいあるな……えーじ」
「んっ……奥、きもちぃ……」
「ここだろ」
腰をまわすように使ってそこを抉る。大和は全部知っている。瑛二の気持ちはよくわからなかったのに、身体のことはすみずみまでわかる。もうずっと。
呼吸と同じリズムで律動すると、瑛二の腰もゆらゆらと動いた。一緒の方が気持ちいい。ぐっと潜り込んで、抜ける動きをすると繋がったところから大和が放ったものがこぼれてくる。ぐちゅぐちゅと耳を犯す水音に快楽の水位が上がる。
「あぁ、あっ、ぁあん……」
「腰、すげぇうごいてんな……えろすぎ」
「や、ぁ、あぁ……!」
「ちゃんとついてこいよ」
「え、ぁ、ぁあ!」
片手でしっかり腰を支え、激しく腰を振った。
「あっ! ぁ、あんっ、っく、ぁ……ッ」
内側を押し広げた先端で円を描き腹の中を探る。どこも全て瑛二の好きなところ。ひとつ残らずそうなるように二人で変えてきた。喘ぎながら瑛二は大和の動きに合わせて腰を動かし、甘ったるく喘いで射精した。どろどろと白濁が指の間を伝って落ちる。
「えーじ、わり、もうちょいな」
「うんっ……うん、大丈夫、だからっ……」
「ほんとかよ……」
達したばかりの性器から手を離し、腰の動きもゆるやかに変える。激しいばかりがいいんじゃない。奥から染み出してきて、気付けば落ちてくるような繋がりがほしかった。
「えーじ……顔、見たい」
張り詰めた性器を抜いて正面から抱きしめる。見つめ合ったすみれ色の瞳と赤く染まった頬がきれいだ。
瑛二の指が大和の熱を擦って解放させてくれる。キスをして、たっぷり舌と舌を絡ませ合って、高ぶった欲望は愛おしい手のひらの中であふれだしていく。
好きだ、大好きだ、そばにいたい、いてほしい。言葉の代わりをするように、きつく抱擁で伝える。
ベッドで戯れのように抱き合って何度もくちづけを交わしたあと、眠りに落ちかけた意識を瑛二の言葉が覚醒させた。
「大和はどうしてずっと俺のこと好きでいてくれたの?」
「おまえが兄さんのこと好きなのに、理由はあんのかよ」
「そっか、そうだね」
「瑛二のこと、すげぇきらいだって思ったことだってある」
大和より瑛一を優先させるとき。こちらの気持ちなんて考えもせずに瑛一の話ばかりするとき。楽しそうに出かけたのに泣きながら帰ってくるとき。そんな時はいつだって腹が立った。いちいち腹を立てる自分の心の狭さにもっと苛立った。
俺は、と瑛二が呟く。
「兄さんのこと嫌いって思ったことはないけど、自分が苦しいから嫌いだって思いたいときは何回もあったかな。でも嫌いになれるわけないんだよね」
「そうかもしんねぇ。瑛二のこと、どうでもいいって思ったことはねぇな。結局いつも気になってんだ」
「……ありがとう、大和」
胸元に瑛二が顔をうずめる。甘い茶色の髪を指で梳きながら見えもしないもののことを考えた。
どこかにふたがあって、それを開けてみたら瑛二の心を占めているものの割合が見えるなら。
その何割が大和で、どれだけが瑛一なんだろう。
今日一日でそれが変わったなんてことはないはずだ。
ただ大和が知らなかっただけで、瑛二から大和に向いている感情の割合はきっとそれなりにある。それを増やしていくよりは、瑛二が持つ全てのものをまずは愛したい。瑛二の中にいる瑛一の記憶も存在も、全部だ。
忘れなくていいよな、瑛二。
兄のことが好きで、だからこそ辛かったことも、それを大和は隣で眺めるしかなかったことも。心を通わせずただ慰め合った夜のことも。泣いていたことも笑ったことも。
傷口はふさがない。
もうちっとも痛くないよと愛おしく思う日が来ることを、隣でずっと待つだけだ。
