じゃんけんのとき、いつも最初にパーを出す癖に気付いたのはつい最近のことだ。でも癖はすぐに直せないからこそ癖なのであって、今日も清々しく五本の指を開いて出した。掛け声は「じゃんけんぽん」ではなくて「分かれましょう」の方だが。
三、二、二、と七人がきれいに分かれる。ゆっくりとまわって下りてきたゴンドラの扉をスタッフが開き、まず綺羅、ナギ、ヴァンの三人が乗り込んだ。賑やかな空気もつられてのぼっていったように訪れた沈黙を「先に乗るね」と瑛二の声がやわらかく破る。
「おう」
いってらっしゃーい、と手を振るスタッフに見送られ、二人を乗せたゴンドラは空を目指しのぼり始める。
観覧車に乗るのなんて何年ぶりだろうか。閉園後の遊園地とはいえ、園内の球場からぞろぞろ出てくる人々の姿や街灯で、地上は明るく騒々しく見えた。
「どんなこと言うか、大和はもう考えた?」
「あんまぴんときてねぇ」
「俺もそうなんだ」
事の発端は、シャイニング事務所のアイドルたちと合同で行う遊園地とのコラボ企画だった。
パネル用の撮影やコラボフード、そして目玉の一つとなるのが、観覧車のゴンドラで聴くことができる限定ボイスメッセージだ。その収録のため、まずはエンジェルたちが見る景色を俺達も同じように見なければ、と瑛一の発案で、閉園後にこうやって乗せてもらっているわけである。
「たしかに、夜景はすげぇよなぁ」
ぐるりと振り返り見下ろすと、なるほど景色は悪くない。女子が好きそうなかんじだと思ったし、大和自身都会の明かりは嫌いじゃなかった。だれもいないのにぽつんと灯っている地元の薄暗い明かりより、だれかが「そこにいる」と思わせてくれる街明かりの方がずっと自然な気がして。
向き直って瑛二の横顔を見つめ、窓にくっつけた手のひらを見つめて思う。チーム分けのじゃんけんでパーを出したのはわざとだろうか。おまえおれのこと好きなのか――と訊いたらどんな顔をするだろう。……おれも好きなんだけど、とも。
「観覧車って、すっごくロマンチックだよね」
東京の賑やかな夜景に瑛二が紫の瞳を輝かせる。その虹彩に瑛二の見ているきれいな全てが映っているようで、目が離せなくなった。瞳がくすりと笑う。
「大和はジェットコースターとかの方が良かった?」
「まぁ……おれが乗るならな。でもジェットコースターじゃコメントとったってちゃんときけねぇだろ」
「てっぺんに登ってる間に聴くとかかな。落ちるぞ、気合い入れてけーって」
「わるくねーかもな」
「うん、でもやっぱりエンジェルたちには、こうしてゆっくり景色を楽しみながら俺たちの声を聴いてほしいよね」
ゴンドラは今、だいたい十時の位置くらいだろうか。小さく開いた窓から風の音を聴きながら二人で景色を眺める。ファンに向けてなにを話そうか。瑛二と二人きりで漂っているこの沈黙は心地が良いから、無理して言葉を紡ぐ必要はないんじゃないかと思ってしまう。
「観覧車っていえば……やっぱりデートの定番だよね」
うちの事務所見えねーかな(社長の像がやたらぎらぎらしてるし)と目を凝らす大和とは対照的に、瑛二は窓の外を眺めながらコメントに使う言葉たちを巡らせているようだった。
「二人きりになれるし、密室だし、静かだし……あ、でも、普段はこの観覧車の真ん中のところにジェットコースター通ってるから、あんまり静かじゃなかったりするのかな……」
「ジェットコースターのってるよりはずっとしずかだろうな」
「うん。……あ」
くるりと背後の窓を振り返る。他のメンバーとはゴンドラを一つずつ空けて乗っているから、前を行くかごは無人だった。前後のゴンドラが視界からふっと消え、ちょうど頂上に差し掛かったのだとわかる。
「デートだと、てっぺんでキス、したりするんだよね」
小首を傾げて問う瑛二に、心臓がどくんと跳ねるのが手で触れているかのようにわかった。
言葉の余韻を飲み干している間にもゴンドラは下降を始めようとする。だめだ、待ってくれ。
腰を浮かせ、向かいに座る瑛二に覆い被さるようにしてガラスに手のひらをつけた。観覧車で壁ドンとか、する日が来るなんて思ってもみなかった。
距離をとって見つめ合う。身体中の血と熱を集めたように真っ赤になる顔がかわいい。顎を持ち上げると、はっとした瑛二が両手を胸の前でぶんぶん横に振った。
「一般的に! ……だから、あの、違うんだ、今のは一般的な話で……その……」
空気に触れている瑛二の両手は力を持たないのに、押し返されたように向かいの席に戻って腰を下ろす。赤らんだ顔をじっと見つめていると、いたたまれないみたいにふいと視線をそらされてしまった。
「キス」
と、たった二文字を放つ。
ガラスに指先をつけて外を眺めようとした瑛二の肩がぴくりと揺れた。
「すんじゃねぇの。……一般的には」
誘われてるかと思った。とは言葉にせず、うつむく瑛二に身を乗り出して近づく。潤んだ紫の瞳に映り込んでしまいそうなほど顔を寄せると真っ赤な頬がさらに熟れていく。
どうしてだろう。いつもはもっと、子どもみたいに健やかで、そのへんのねことか犬っころみたいにただかわいい、それだけなのに。突然食べごろの果実の色香を纏うからどきどきしてしまう。
がまんしたくない。
でも、それ以上に瑛二と、たった十五分の秘密をもっとちゃんと味わいたい。
「えーじ」
まるい頭に触れて髪を梳く。
「今、たのしいか?」
「え?」
「観覧車じゃなくて……おれと、二人でこうしてんの、どうだ? たのしいか?」
「うん。……楽しい、すっごく楽しいよ」
「……そうか」
ほっとしてしまうのは気のせいじゃない。おれだけが楽しくて、おれだけがラッキーだと思っているなんていやだ。
うなだれているようにも見えた瑛二が顔を上げて、今度こそ、唇が重なってしまうかと思った。
もうあと少し近づけば、キスになる。
はぐらかしたいわけじゃないのに「あ」と声が出る。頬に手を伸ばす。
「はーーいありがとうございましたーあ!」
生まれた静寂を破ったのは、営業時間外でも明るいスタッフの声だった。
「……着いちゃってたんだ」
「みたいだな」
ガチャガチャと鍵を外す音。観覧車って、密室に閉じ込められて「ゆっくり」を強いられる割に下りるときは妙に急かされる。
先に下りた瑛二が、くるりと振り返って照れくさそうに微笑んだ。
「しちゃうかと思った」
キス、と、音にせず伝えてくる。
階段を下りればきっとヴァンとナギがやいのやいのと言い合いをしていて、それを綺羅が黙って眺めている。「いつも」に帰れば戻れない。
「おれは、するつもりだった」
腰を折って耳元で囁いた。瑛二がなんと答えるか知りたくて。
同じ気持ちであってほしい。そう思うのは、瑛二のことが好きだからだ。
大和、と瑛二が両手で腕を引く。ゆでだこみたいに赤い顔。林檎なんてかわいい比喩は似合わない。
「もう一回、乗らない?」
世界に、ぱぁっと色が付く。こんな初々しい感情は知らない。正直言って恥ずかしい。でも、これってつまり、同じことを思ってるってことだよな。掴まれていない方の手で瑛二の肩を抱いた。今はまだ、ただの仲間同士の触れ合い。そして期待に満ちた、触れ合い。
