HE★VENSメンバーが暮らす寮は全体的に洋風なつくりだが、一階の奥の方に広い和室と、庭を眺める縁側がある。和室の用途は不明で、メンバーが立ち入っているのを見たことがない。だから格好の昼寝場所だった。嗅ぎ慣れた畳の匂いが心地良い。
薄い座布団を半分に折り頭の下に敷く。開けておいた障子の間から外をぼんやり眺めると雨が降り始めていた。梅雨の季節だ。そういえば、ヴァンが湿気で髪のセットが決まらないとか騒いでいたような。どんな心境の変化なのか、数ヶ月前に突然始めたオールバックは似合っているが、きちっと立ち上げるのはなかなか難しいらしい。
うとうとしかけた頃、足音と名前を呼ぶ声が聴こえる。
「大和、レッスン始まるよ」
目を開ける。襖の間から瑛二がひょこっと顔を出していた。
「んな時間だったか」
「夕方からの予定だったけど朝からに変更って昨日伝えたよ」
「あー……そうだったかもな」
バネを使って上半身を起こす。瑛二は外を見やって「降ってきちゃったね」と呟いた。
瑛二は穏やかで、抜けている部分はあるが年の割に落ち着いていて、今まで周りにいなかったタイプだ。学生の頃に同じクラスにいても、たぶんほとんど会話しなかっただろう。優等生で、でも生徒会とかに立候補するような積極性はなくて、周りからの頼まれ事は断れなくて。クラスで飼ってるペットの魚にひっそり毎朝餌をやっていて、掃除の時間にふざけて始まる野球ごっこには混ざらない。自分とは正反対だ。
事務所のレッスン室に着くと、ヴァンだけではなく瑛一もいた。
「一時間ほど時間が空いていてな。見学させてもらうぞ」
「よっしゃ! ワイめっちゃ上手くなったから、よぉ見といてな」
「ああ、それは楽しみだ」
「三人で毎日練習してる成果見せたる――あっ、始めるなら始めるって言って!」
おしゃべりの間に曲を流し始めると、ヴァンは慌てて所定の位置につく。レッスンに使う曲は全て瑛一たちがリリースした曲で、六人用の楽曲はまだ存在しなかった。でもそんなことは気にしていられない。まずは瑛一たちに追いつかなければ話にならない。
アイドルなんて未知数だったが、やってみると歌もダンスもあまり苦手分野じゃないとわかった。大和はもともと身体を動かすセンスがある方で、歌も聴いているうちになんとなく歌えるようになる。
「瑛二、ターンが遅れているぞ」
「はい!」
瑛一が手を打ちリズムを刻む。前を向いたまま後退するステップで進行方向を見失い、瑛二は立っているはずのセンターから大きく外れた。
「ごめんなさい! もう一回やらせて」
「焦らんでええで。ワイらやまちゃんみたいに後ろに目ついてないんやから」
「おれもついてねぇよ」
「ついてるみたいにまっすぐ下がるから。な、えーじちゃん」
「確かに」
「まっすぐ下がってりゃ右や左にぶれたりしねぇだろ」
なんやそれ、と笑いながらヴァンが音楽をかけ直す。瑛二のターンも、後ろに下がる移動も今度は上手くいった、と思ったら瑛一が手を打ち鳴らす。
「瑛二、やはりターンの回転が足りない。最後で勢いを止めるからその後の動き出しが遅れるんだ。ターンの二小節前から始めてくれ」
二小節前ってどこだよ、と訊く前に音楽が始まる。瑛二とヴァンの動き出しに合わせ、身体をぐっとひねる。瑛一が音楽を止め、また同じところから。ターンが揃うとその後の大きな移動でまた「ストップ」と号令がかかる。
「ここは本来俺とナギのパートで、俺の振り付けを瑛二、ナギのものを大和が担当している。だから俺と同じようにしては間に合わないぞ。そもそも瑛二と大和とでは歩幅が全く違うだろう。それを考えて少し早めに移動を開始し――……瑛二、息が上がっているな」
「う、ううん、大丈夫だから、続けて」
「そんな調子で続けても良い成果は得られないぞ」
「はいはいえーちゃん。ワイもだいぶギリやわ。ちょっと休憩せーへん? 時間ないとこ悪いけど」
「だらしねぇな」
「みんなやまちゃんみたいな体力ゴリラと違うねん」
「だれがゴリラだ」
「てなわけでちょっと休憩ってことで?」
と、軽く瑛一に目配せする。瑛一は腕時計に視線を落としたあと、そうだなと頷いた。一度レッスン室を出ようと大和が立ち上がると、さっきまでへばっていた瑛二は兄の元に駆け寄った。
「兄さん、さっきの移動なんだけど――……」
兄弟の姿を横目に部屋を出る。雨音は強さを増していた。
ウォーターサーバーで紙コップに冷水を汲み、ロビーのソファに腰を下ろす。備え付けられたテレビはドラマの再放送をしていた。実家で見たことがある気がする。兄が――日向龍也が出ているドラマだった。テレビを消そうとリモコンを探すが見当たらない。勝手に操作できないようにしているのか、テレビ本体の電源ボタンには封がしてあった。音はかなり絞られていて、雨が窓を打ち付ける音の方がよく聴こえる。
水を一気に飲み干し、ぼんやりテレビを眺める。母が熱心に見ていたからなんとなく覚えている。
日向龍也は教師役で、友情だの家族愛だの恋愛だの生きる意味だのを説くのが偉そうに見えて、大和はどうも気に入らなかった。画面に日向龍也の姿が映る。今の大和とちょうど同じくらいの年齢のはずだが妙な貫禄があった。生徒役でオーディションを受けたがそちらは全く手応えがなく、教師役を受けてみないかとプロデューサーに声をかけられ決まったらしい。冷徹にも熱血的にも見える鋭い瞳が、瞬きせず生徒たちをじっと見つめていた。
――遠いな、まだ。
たまたまちょっとダンスができるからといって、喜んでいる場合じゃない。
目指す場所はもっと上だ。
早く超えたい。早く倒したい。思いばかりが急いてどうしようもない。
このドラマが放送されたのは、日向龍也が歌をやめて半年ほど経った頃だった。作曲家であるパートナーが亡くなって、もう歌わないと決意した頃に撮影が始まった。
大和は会わなかったが、日向龍也のパートナーは実家に一度来たことがあったらしい。兄の仕事のパートナーであり親友でもあった男の死は大和にとっても衝撃的だった。彼が亡くなったあと、実家にふらりと帰ってきた兄が窓の外を眺めていたあの憔悴しきった後姿は今でも覚えている。あれは、雨ではなく、雪が降る寒い日だった。
「お兄さんを見ていたのか?」
気が付くとドラマのエンディングが流れていた。瑛一が隣に座り長い足を組む。
「んなわけねぇだろ」
「四年前に放送されたドラマだったか。若さ故の葛藤が描かれた良い作品だったな」
「だから見てねぇって。テレビの消し方わかんねぇからつけっぱなしだったんだよ」
そうか、と本気で取り合っていない様子で笑う。同い年なのに、この余裕の差は何だ。
「そろそろ次の仕事行くのか」
「ああ。あまり共にレッスンできずにすまないな」
「しゃーねぇだろ、おまえらいそがしいんだしよ。ちゃんと寝てんのか」
「心配ない」
「つかれねぇの」
「天使たちの笑顔を見ていれば疲れなど全て無くなってしまう。ここは俺がずっと立ちたかった舞台だ。立ち止まるわけにはいかないからな」
メディア向けのような百点満点の回答が瑛一の本心だと知っている。まるで精巧に調整されたサイボーグだ。ファンが望む発言、ファンが望むパフォーマンス、ファンが望むアイドル・鳳瑛一。
エンディングが終わり、次回予告が流れる。次が最終回のようだ。
「大和はお兄さんが嫌いなのか?」
「……きらいだ」
「執拗に追いかけるものだから好きで好きでどうしようもないのかと思ったぞ」
「好きじゃねぇ。同じ場所で、あいつと戦いたいだけだ」
右手に持っていた紙コップを強く握りしめると、容易にぺしゃんこに潰れた。
「……でも、とおいな」
気付けば『テレビの中の人』になっていた実兄。テレビの中で日向龍也は自分じゃない誰かの役になり生きている。歌をやめても輝くステージの上に立っている。振り落とされない。紙コップみたいに押されただけでつぶれたりしない。
「六人で行こう」
瑛一は凹んだ紙コップを預かると、ゴミ箱に捨て高らかに言った。
「お前の兄がいる――いや、それ以上の高みへ」
再び隣に腰を下ろす。甘い中低音がクリアに聴こえた。雨音は今も強いのに、瑛一の言葉の前では存在を失ったようにただのBGMに成り下がる。品の良い瞳が、レンズの奥で野心を湛えて光る。デビューしてアイドルとして人前に立つようになってから、瑛一が纏うオーラは一層圧が強くなった。時に威圧感さえ放つ強烈さを、大和は良いと思う。
「おまえら兄弟、仲いいよな」
何気なく話を変えると、瑛一の瞳に慈しむような温かさが戻ってくる。
「当然。瑛二は俺の自慢の弟だ」
「なんつーか、すげぇよな。同じグループとか、おれは無理だ」
「同じグループに弟がいるというのは、俺自身まだ少し不思議な感覚だ」
「そうなのか。でもおっさんに……社長に、決められてたんだろ」
瑛一は困ったように眉を下げると「ああ」と短く返事をする。親に決められた道を歩く心境は、大和には想像できない。
「瑛一はちっせぇ頃から歌とかダンス習ってたんだろ。でも瑛二はほとんど未経験つってた。それってなんでだ?」
「……さぁ。親父の方針だろう」
瑛一の表情は動かなかった。しかし、嘘をついているとなんとなくわかった。深く追求するつもりはない。
「確かに瑛二は俺のように歌やダンスは習っていないが、母にピアノを教わったはずだ」
「そうなのか」
「ああ。母はピアニストだったんだ」
「へぇ……音楽一家っつーやつか」
複雑な感情が絡み合ったような表情で瑛一が頷く。
「何にせよ今は同じグループで同じ夢を追っている。瑛二と俺の育った環境は違えど、今は同じ場所で共に研鑽を積む仲間だ」
ケンサンを積むってなんだよ――とは訊けなかった。たぶん、がんばってるってことだとニュアンスは通じたから。
瑛一は天を仰ぐと「ただ」と声を潜めた。
「今となっては、同じ経験をしたかったとも思う。結果、こうして共にアイドルになるのならば――」
黙って目を閉じた。しとしと降りになってきた雨の音が、今度はやけに耳につく。
子どもの頃、瑛一がどんな教育を受けてきたのか大和は知らない。でも、自分が祖父に喧嘩を教わっていたとき、野山を駆け回っていたとき、学校の帰りに木登りをして陽が沈んでいくのをぼーっと見ていたとき、瑛一はすでに夢に向かって走り出していた。具体的に何――と想像できなくても、それくらいわかる。日向龍也が大和の知らない間にアイドルの世界に飛び込んでいたのと同じだ。
「べつに、それでいいだろ」
自分に言い聞かせるように断じた。
「兄弟だからって、今一緒にやってるからって、同じにならなくったっていいだろ」
同じ舞台で戦いたくて大和もアイドルを選んだ。でもそれは全く同じになるためではなくて――あいつになりたいわけではなくて。ただ超えたい。そのためには、アイドルになるのが手っ取り早かった。
瑛一は目を見開いて、意外そうな顔をした。
「おまえと瑛二はちがうだろ。……おれだって、あいつみたいになるつもりはねぇよ」
「……その通りだな」
ふっと小さく息を吐く。どういう感情なのか、大和には掴めなかった。
「瑛二は完璧を目指すことなく、のびのびやるのが良い。……親父もそういう風に育てたわけだからな」
ありがとう、とさらりと礼を言って立ち上がる。そのまま瑛一は出て行った。
窓の外の雨は止まない。
しっかり伸びた瑛一の背中に、なんとなく、訊くことができなかった。
じゃあ『おまえは』完璧になりたいのか。
それって苦しくないのか、と。
レッスン室から音が洩れている。瑛二がステップの確認をしていた。
「一緒に練習するか」
「いいの?」
「移動のかんじ、相手がいた方がわかりやすいだろ」
音楽に合わせてターンし、ビートを刻みながら後退。右手で拳を作り口元に当てる。瑛一が普段やっているより半拍早く瑛二は動き出し、歩幅の違う大和と並んだ。
「できた! やっぱりこの感じなんだ。兄さんの言ってた通りだ」
「ここの移動ながすぎるよな」
「うん、でも兄さんは瞬間移動みたいにさっと動くんだよね。やっぱりすごいな」
「瑛二もあんだけ足長けりゃふつうに動けると思うぜ」
「俺と兄さん、二十センチくらい違うからね。考えて移動しないと」
「おまえ成長期きてそれか?」
「今から来る予定。多分だけど」
瑛二の声がしぼむ。化け物みたいにでかい父親と、百八十を超えた兄がいるのだからもう少し伸びてもおかしくない。日向家も両親共に長身だからか、四兄弟揃って百八十オーバーだ。もしかすると瑛二たちのところは母親が小柄なのかもしれない。
「でも、身長のせいにしちゃだめだよね。兄さんは背が高いから手を抜いてるわけじゃないんだし……俺だって頑張らなきゃ」
「なぁ、おまえ、瑛一みたいになりてぇのか?」
ステップの確認をする瑛二に尋ねる。
瑛二はえっと驚いて、すぐに両手を胸の前でぶんぶん振って否定した。
「俺は兄さんみたいになれないよ」
小さい頭も横に振る。謙遜ではなく、本当にありえないと否定しているようだった。
「兄さんは完璧だから」
「……完璧、な」
もう一回やろう、と瑛二が音楽をかける。それに付き合って踊る。
瑛二と自分は正反対だと思っていた。性格だけじゃない。兄と仲がいいところ。兄が大好きなところ。育った環境が形成した、兄弟観の全てが違うと思っていた。でも瑛二も、同じにならない、なれないと自分に言い聞かせている。こんなに違うのに、瑛二は素直で明るいのに、同じ場所を目指しているような気がする。
踏み出した一歩の大きさは全く違う。でも気付けば瑛二が横に並んでいる。一緒に汗をかいて、手を伸ばして、その先にあるのは似て非なる互いの壁だ。
おまえたちは完璧になりたいのか。完璧であれと命じられているのか。問うことはできない。きっと彼らも答えをまだ持っていなかった。
