集合時間の三十分前、人気のない共有スペースにエアコンを入れておく。九月の真昼間はまだまだ暑い。暑いのと同じくらい寒い場所も苦手なシオンのためにブランケットをソファの端に置き、瑛二はしばらくその場に座って空調の効きを確かめた。そうこうしているうちにメンバーが集まる。一人一部ずつ手渡されたのは、曲名が空欄の楽譜だった。
「うたプリアワードで披露する楽曲だ。シャイニング事務所の七海春歌が作曲を手掛けた」
兄がデモテープを流す。ええやん、とヴァンが感心した様子で呟くと、全員同意して頷いた。主旋律と簡単な伴奏のみだったが、重厚な中に疾走感がほとばしる構成が気持ちいい。曲が終わると輪の中心で兄が脚を組み替えて言う。
「編曲はこれから、うちの作曲家によって行われる。うたプリアワードのための三人歌唱用と、この曲に関しては七人用のアレンジも発注されているそうだ」
「ほんま!? じゃあワイらも正式にパートもらえるってこと?」
「ああ、その予定だ」
「よっしゃ! 嬉しすぎる!」
「楽しみだね、シオン」
「ああ……!」
「むずかしい言葉とか漢字がねぇパートでたのむぜ」
「歌詞や曲名はまだ決まっていない。今日はそれを皆で考えるためにこうして集まってもらったんだ」
テーブルにそれぞれ楽譜を広げる。自分たちで作詞をするのは初めてだった。まずは方向性を決めるため、単語やテーマを出し合っている最中に「それにしても」とヴァンが口を開いた。
「七海春歌やったっけ。向こうの作曲家。めっちゃいい曲作るなぁ」
「うんうん、俺も一回聴いただけですぐに気に入っちゃった」
さっき聴いたメロディを瑛二が口ずさむと、ヴァンも声を重ねる。
「燦然と煌めく、光の如し旋律……」
「シオンも気に入ったんだ。確かに曲がすごいのは認めるよ? 見た目は普通の女の子って感じだったのにね~?」
ナギが両足をぶらぶらと揺らす。
「ナギちゃんたちは会ったことあるんや」
「たまたまだけどね。ST☆RISHと一緒にいたの」
「へえ、いいなぁ。ワイも会いたなってきたわ」
「興味津々だな、ヴァン」
「うん。今までのHE★VENSの曲の中でもダントツで好きかも……っていうのは、レイジングの作曲家の皆さんに悪いか」
焦ったように頭を掻く。兄は微笑み「俺も同じだ」と頷いた。
「真偽は不明だが、七海春歌の作る楽曲についてはシャイニング早乙女によって独自の研究が進められているらしい」
「研究?」
綺羅とナギも初めて聞く話なのか、身を乗り出した。
「七海春歌の作る曲には、何でも幸福感を分泌する作用があるとか」
「なんだそれ、あやしくねぇか」
「信じがたい話ではあるな。シャイニング早乙女はそれをハッピーパルスと呼ぶそうだ」
「ハッピー……パルス……」
「はあ……まぁ、うそみたいな話というか……ツッコミどころ満載やな」
「しかし興味深いと思わないか? 七海春歌という女」
その言葉に全員が揃って首を縦に振った。兄は彼女が早乙女学園の在学生だった頃から目を付けていたらしいけれど、予想通り、ST☆RISHの作曲家となった彼女に業界人からかなりの注目が集まっていると聞く。
「そんなにすげぇのか、そいつ」
「作る曲で人を幸せにする効果があるって、それがほんまなら大したもんやで」
「……つまり、そのハッピーパルスを……俺たちも今回……享受する……ということ」
「ああ。七海春歌の曲は素晴らしい。我がレイジングエンターテインメントに引き抜きたいくらいだ」
眼鏡のブリッジを押し上げる。兄の言葉はただの夢ではなく本気だと知っているからぞくりときた。野望に満ちたその瞳の色が瑛二は好きだ。楽譜にペンを走らせていたナギが顔を上げる。
「ナギもあの子ほしいなぁ……。奪っちゃおうよ、瑛一」
「そうだな……必ず手に入れる」
「二人ともずいぶんご執心やなぁ。えーちゃん、ワイもまた今後会わせてえな」
「ああ、七人で正式にデビューしたあとでな」
「ほんま、いつになるんやろ」
自虐めいた言い方になりそうなのを、軌道修正して明るくひとりごちる。
シオンが加入した今も変わらず、HE★VENSは表向きには三人組グループだ。
うたプリアワードに出るのも三人で、その後に決まっている仕事も全て三人で引き受ける予定に変わりなかった。うたプリアワードを受賞すれば世間からの評判や注目度が上がり、三人の露出機会はさらに増えるだろう。いつどんな風にHE★VENSは七人グループだと発表するのか、瑛二には予想もできない。
楽譜に向けていた視線をすっと上げ、兄がゆっくりと口を開いた。
「……歌詞の話し合いをした後で、話そうと思っていたのだが」
場が静まり返る。沈黙を嫌がった大和が「なんだよ」と乱暴に訊いた。
「社長の判断で、瑛二、ヴァン、大和、シオンの四人には、別のレッスンメニューが用意されることになった」
海外だ、と兄は続けた。言葉の意味がわからず、思わず「え?」と聞き返す。
「四人にはしばらく国外でレッスンを受けてもらう。社長の知り合いの講師の元だそうだ」
「父さんの……?」
「しばらくって……具体的にいつまでか決まってるん」
「未定だ」
「レイジングのオッサン、いっつも勝手だな」
「でも……それがワイらに必要って判断されたんやろ」
「今のおれたちじゃ足りねぇってことかよ」
「そういうことやろな」
大和は長く息を吐いてソファの背もたれに寄りかかり天を仰ぐ。しゃーないか、と額を押さえながらヴァンは笑ってみせた。瑛二は――どうしたら良いのかわからなかった。力不足を嘆くよりも混乱が勝る。目が合った兄に「すまない」と眉尻を下げて謝られ、あわてて首を横に振る。
「父さんが決めたことだもんね。だったら……間違ってないと思う。俺たちにとって必要なことなんだって」
瑛二に拒否権はないとわかっていた。隣に座るシオンの右手が小刻みに震えている。心配いらないと伝えたくて、それをぎゅっと握りしめた。弱々しく、シオンも握り返してくれる。大丈夫だ。兄を、そして父を信じている。
「不安だと思うが――」
「大丈夫だよ!」
瑛二とシオンに向けた兄の言葉を途中で遮った。
「天草も……瑛一が言うのであれば従おう」
シオンも小さく頷いた。握り合った手と手の力が強くなる。ヴァンの声が明るく割り込んできた。
「え、えーちゃんワイには? ワイにはなんか言ってくれへんの?」
「おまえはだまって行きゃいいんだよ」
「つめた! やまちゃんには聞いてないんやけど!」
「うるせぇ、おまえは大人だろうが」
するりと手がほどける。シオンは瑛二にしか聴こえない声で「問題ない」と呟いた。
「ヴァンも、大和も……瑛二も、我の傍にいる。安心できる」
「……うん」
もう一度手を捕まえて、強く握った。そうしていないと瑛二が震え出してしまいそうだった。それを悟ったシオンも柔らかく握り返してくれる。眼鏡の奥の兄の瞳が不安そうに瑛二を見つめている。もう小さな子どもじゃないのに、いくつになっても心配性だ。自分自身へのおまじないも込めて「大丈夫」と念を押す。
「俺、兄さんと……みんなとアイドルになるって決めたから、絶対に挫けないって決めたから、だから大丈夫だよ」
垂れてきた髪を耳にかけ、瑛二は再び楽譜をめくる。
七人で歌う曲がある。それで十分だ。不安とか寂しいとか、そんなのは贅沢な感情だ。
兄の視線に気付かないふりをして、出発前に髪を切りに行かないと、と関係ないことを無理やり考えた。
