純真と刹那

 自分はあまり感情が顔に出ないタイプだと思っていたが、その少年を前にして、綺羅は驚きを隠せなかった。

「すまない。もっと早く話しておくべきだったな」

 瑛一が眉尻を下げる。驚いているのは綺羅だけではない。向かい合った少年も大きな目をさらに見開いて「ほんとだよ!」と瑛一に詰め寄った。
 小学五、六年生といったところだろうか。光を受けずとも自ら輝く瞳に艶やかな唇。顎のラインや耳の形、首から肩にかけての曲線までが優美で見惚れてしまう。淡い桃色の髪が愛らしい顔を引き立てる。一見少女と見紛うほど可憐な印象の少年は、声もハイトーンで喋り方まで愛くるしかった。
 改めて自己紹介を、と促され、綺羅は彼の目線に合わせて腰を折る。

「皇……綺羅だ。よろしく、頼む」
「ボクは帝ナギ。こちらこそよろしく」

 差し出された手のひらと握手を交わす。小さい手。しかしながら握力はそれなりに強く、綺羅もしっかりと握り返した。
 レイジングエンターテインメントには寮が完備されており、自宅から通えない者はそこに住む――と瑛一から聞いていたが、建物をまるまる一棟用意され、そこに初対面の少年と二人きりで暮らすとは想像していなかった。

「瑛一は? 瑛一は一緒に住まないの?」

 帝ナギと名乗った少年は、建物内の案内をする瑛一にべったりだ。綺羅はその後ろをついて歩く。子どもらしくて可愛い所作が彼にはとてもよく似合っていた。

「俺もすぐに合流する予定だ。二人で暮らしてもらうのは一週間程度だろう」
「そっかぁ。でも瑛一ぃ、ナギの他にも声かけてたなら、教えてくれてても良くない?」

 それについては綺羅も同意見だ。二人で暮らすとなるなら尚更。瑛一があっけらかんと「話したつもりだった」と言うものだから、ナギは面白くなさそうに頬を膨らませる。
 一通り説明を終えると瑛一は帰ってしまい、残された綺羅とナギはそれぞれ部屋に向かった。三階の角が綺羅、その隣がナギ。他にも個室がいくつかあるが、どこも空きになっているようだ。部屋には最低限の家具が揃えられており、窓を開けると小さなバルコニーがついている。与えられた自室とはいえ馴染みがないせいで落ち着かず、窓を開けて外に出る。二月の冷気がカーディガンとその下のニットを貫通して肌を刺す。

 思えば、瑛一が自分以外にも声を掛けていると予想しておくべきだった。それがかなり年下であることや、とてつもなく広い寮を用意されることは予想外だとしても、瑛一が自分にしか声を掛けていないはずがないのだ。
 窓から眺める街は故郷とは比べ物にならないほど煌々と明るい。高いビルや遅くまで何本も走っている電車は高知には数少なく、実家から見える景色といえば皇家の分家や商店街、どこまでも続いていそうな広い海だった。見知らぬ建物が無数に広がる景色に、これまで縁のなかった土地に来た感覚を強く覚える。

「あ」

 からからと窓の開く音がして、隣の部屋からナギが顔を出す。一瞬気まずそうな顔をしたものの、部屋に引っ込まずバルコニーに出てきた。何見てたの、とナギも眼下の灯りを見ながら問いかける。

「知らない……街」
「綺羅ってどこから来たの?」
「……高知だ」

 ためらいなく名前を呼び捨てにされ、驚きから返事が遅れてしまう。しかし嫌な気はしなかった。君は、と問い返すとナギは少し声のボリュームを上げて笑った。

「君って! ナギでいいよ」
「……では、ナギは」
「ボクの出身地は石川。高知って行ったことないな。でも知ってるよ。鰹に、土佐犬に、坂本龍馬!」
「物知りだな」

 えへへと誇らしげに笑う。年相応に子どもっぽい――と思ったところで、彼の年齢を知らなかったと思い出す。

「ナギは……いくつだ」
「十一歳、五年生。綺羅は?」
「十七だ」
「ふーん……」

 そんな年齢で一人東京に出てきて寂しくないのだろうか。気になったが、何か複雑な家庭事情があるのかもしれないから安易に訊く気にはなれない。何よりナギ自身が気丈で明るい。初対面の綺羅を前に取り繕ってそう振舞っているだけかもしれないが、それならばやはり彼の真意を問うようなことを唐突に訊くのは良くない。
 ナギは手すりに両腕を乗せ、その上に頬をついて綺羅を見やった。

「綺羅も瑛一に誘われたんでしょ?」

 も、と言うからにはナギもそうなのだろう。頷くと、ナギの視線は何か含みを持たせたものに変わる。じろじろと舐めるように見つめられ、鑑定されているような気分になった。
 強い風が吹きつけ、ナギが身を縮こまらせる。
 綺羅がくしゃみをすると、ナギは寒さに震えつつ笑った。

「話すなら中で話さない? 風邪ひいちゃう」

 それぞれ部屋を出て、一階のリビングスペースに向かう。途中キッチンでナギが戸棚や冷蔵庫を漁った。

「インスタントコーヒーはあるけど、やかんがどこにあるかわかんないや。また瑛一に聞いとかないと……あ、冷蔵庫にオレンジジュースある。綺羅、飲む?」
「ああ……すまない」

 テキパキとグラスを用意するナギに、手伝いを申し出る隙もなかった。
 リビングにはピアノやビリヤード台が用意されていて、部屋の中央に広いテーブルとL字のソファが置かれている。グラスを二つテーブルに置いたナギはソファに無造作に座って、話の続きを促した。

「で、綺羅はどんな風に瑛一に誘われたの?」
「どんな風に……というと……」

 道案内をしてもらい、声が聴きたいと言われピアノと歌を聴かせた。社長の現役時代の映像を見て、二人で歌を歌って、そして――。

「……運命、だと」
「ええ⁉ 瑛一、ナギにはそんなこと言ってくれなかったのに!」
「いや、それ以前にも……色々あって……」

 つまらなさそうに唇を尖らせる姿が愛らしい。同じアイドルを目指す仲間でも、彼は瑛一とも綺羅とも違う雰囲気をまとっていた。一言で表すならば、とにかくかわいい。仕草や目線の一つ一つが目を惹く。立っているだけで絵になる瑛一とはタイプが異なり、動いているさまから目が離せなくなる。
 ナギはオレンジジュースの入ったグラスを両手で包みながら「まぁ、瑛一ってそういう人だもんね」と柔らかな口調で言った。

「綺羅はどう見てもクール系だし~? 瑛一もかっこいいでしょ? かわいい系はボクのものだよね~。三人並んだときのバランスも良さそう。身長差が結構あるから、横並びよりちょっと重なった感じのほうがいいのかな。綺羅はどう思う?」

 突然構想を語られ、綺羅はすぐ応対できなかった。彼もついさっきまで綺羅と共に暮らすとは知らなかったはずで、よくこの短い期間でそんな姿が思い描けるものだと感心してしまう。綺羅の口数が少ないのを性分だと理解したナギは言葉を続けた。

「あ、でも三人で超かっこいいパフォーマンスをするのもいいよね。ナギのギャップにみんな夢中になっちゃうこと間違いなし! 綺羅がかわいいのもたまにはいいかもしれないけど……うーん、ちょっとイメージとかけ離れすぎか」
「まだ……人数が増える可能性も……あるかもしれない」

 話をそらすとナギは頬杖をついて「確かに」と顔を上げた。

「ていうか、そもそもボクたちグループになるのかな? ボク、鳳瑛一ってソロデビューすると思ってたんだけど」

 ナギはどうやらアイドルやこの業界に詳しいようだ。綺羅も一応「アイドル」と呼ばれるものについて調べたり曲を聴いたりしたものの、きっと本質がまだよく分かっていない。昔はソロで歌うアイドルが多く、最近はグループを組んでデビューするケースが多いらしい。しかしグループに属しながら一人でCDをリリースするケースや、グループを抜けてソロ活動をする者もいて、結局のところ形態はあまり掴みきれなかった。というよりも、実際何でもありなのだろう。
 ジュースを飲み干したナギは、ソファに深く腰掛けて伸びをする。

「ねぇ、綺羅はなんでアイドルになろうと思ったの?」
「……ナギは?」
「ボク? ボクは……知らないこととか、見たことないものにいっぱい出会いたいって思ったから。何が起こるかわかんないドキドキ感とか、そういうのをいっぱい感じたいし、ナギがファンをドキドキさせたいとも思う。とにかく、楽しそうだからかな」

 ナギが瞳を輝かせる。ドキドキしたいし、させたいという彼の夢はきっと叶うだろう。ステージに立つナギに頬を紅潮させて歓声を送る観衆の姿が容易に想像できた。

「俺は……音楽が……好きだから」
「歌、習ってたの?」
「歌は……経験がない。ピアノを……習っていた」
「そうなんだ」

 ナギは部屋に置かれたピアノを視界に認めると、「弾いてよ」と幼い子どものように綺羅の腕を掴んでせがむ。断る理由はなく、綺羅はピアノの正面に座った。初めて来る場所なのに、ピアノの前では落ち着くから不思議だ。蓋を上げ、布をめくって鍵盤に触れる。しっかり調律されているのが分かった。
 好きな曲はあるかと訊いてやれば良かった、と演奏を始めてから気が付いた。
 ショパンのバラード第四番。これは綺羅の好きな曲だ。
 目をやると、ナギは前のめりになって綺羅の手元を一生懸命覗き込んでいた。ピアノを聴き慣れない者にとって、興味の対象がその技巧になる心理は分かる。もっとテクニックが光るような曲を選んだ方が良かったかもしれない。ナギは演奏の途中で首をうとうとと上下させ始める。

 激しい表現を避けて子守唄のように穏やかな演奏を続けた。しばらくして横目で様子を伺うと、曲の中盤で完全に寝落ちたようだった。
 ピアノを弾く手を止めて隣に座る。まだ自分のグラスに残っていたオレンジジュースを飲み干し、ナギの身体を抱え上げた。それでも目を覚まさない。全体重を預けられてもナギは軽かった。起こさないように慎重に階段を上りながら、起こして自分で部屋に行くように言えば良かったのでは、と思い至る。しかし、彼は六つも年下なのだ。その意識から、あまり厳しく接することができなかった。

「ん……? パパ……?」
「…………違う」

 むにゃむにゃと寝言をこぼすナギにはっきりと否定したあとで気付く。やはり彼は寂しいのかもしれない。
 子ども扱いすると嫌がられそうだが、実際まだこんなに幼い子どもなのだ。綺羅が小学生の時分には、親元を離れて暮らすなんて考えられなかった。もしそのときに瑛一に出会い誘われていたとしても断っていただろう。そもそもナギの親はよく了承したものだ。こんなに愛らしい息子が自分たちの手元を離れることに何らかの感情は動かないものか。いや、ナギの将来を考えるからこそなのか。そうだとしたら合点はいく。でも。
 ナギの部屋はほとんど綺羅の部屋と同じ家具の配置になっていた。ベッドに寝かせようとすると、両手が強く綺羅の肩のあたりを掴んだ。仕方なく声をかける。

「……ナギ。掴まれると……困る」

 華奢な肩を揺さぶると、ようやくナギは目を開けた。唇がまたかすかに「パパ」と動いた気がした。

「えっ……?」

 声にはならなかったが、ナギの唇は間違いなく「誰」と発した。無理もない。

「ボク、もしかしてピアノ聴きながら寝ちゃってた……?」

 ナギが咄嗟にごめんねと手を合わせる。

「気にして……ない。俺の方こそ……起こして……すまなかった」
「ううん。運んでくれてありがとう」

 乱れた髪を撫でるとナギがはにかんだ。おやすみと挨拶を交わし部屋を出る。
 新しい家、新しい仲間、新しい空気。弾きっぱなしの状態で放置していたピアノを思い出して一階に戻る。この家はどこも知らない匂いがする。新しいベッドで果たして眠れるだろうか。
 新しい環境に胸が震える。久しぶりの感覚だった。綺羅が育ったのは田舎の小さな町だから、新しい出会いは少ない。世界はこれほど広いのかと思い知らされる。東京の眩しい明かりに、また別の土地からやって来た少年。そしてこれからさらに綺羅の世界は広くなるだろう。それは恐ろしいようで楽しみでもあった。
 鍵盤に臙脂の布を被せて蓋を閉める。今度はどの曲を弾いてやろうかと考えながら。