HE★VENSのファーストライブは都内で行われた。
十分なメディア露出と、レイジング鳳のネームバリューもあり事前告知は万端、チケットは発売後五秒で完売となった。ネイビーに銀色のラインをあしらった三人揃いの衣装に身を包み、瑛一は今日の進行を再確認する。楽屋では綺羅が本を読み、ナギは着替えを完了した直後から自撮りに勤しんでいる。二人のいつもと変わらぬリラックスした様子に安堵したのも束の間、瑛一は、自身に湧き上がってくる妙な緊張感に気付き焦っていた。
――緊張している? 俺が? どうして。
準備は万全だった。振りも歌詞も完璧に入っているし、リハーサルもつつがなく終えた。この緊張感はそういった不安から来るものではない。では何だと言うのだろう。
幼い頃から父や講師たちに様々なことを教わってきた。歌やダンス以外に、音楽の全体像を掴むため他の楽器演奏も身に付けたし、マナーや立ち振る舞いなども徹底して教え込まれた。しかし彼らは初舞台を踏む際の心持ちを教えてはくれなかった。鳳瑛一には緊張など許されていないというのだろうか。
開演があと三十分に迫った頃、楽屋内のモニターにぱっと会場の様子が映し出される。早くも客席に着席しているファンは多く、高揚感に満ちたざわめきが聴こえた。モニターの正面の椅子に座っている綺羅の背中に飛びつき、ナギがその様子を覗き込む。
「すごい、もういっぱい入ってる~っ!」
客席には点々と明かりが灯っている。早くもペンライトを点けている者がいるようだ。ハートにヒビが入ったデザインになっているのは父のこだわりだった。自身の『LOVE IS DEAD』にかけているのだろう。レイジング鳳直系のグループであると表すために。瑛一はそれを拒まなかった。
「瑛一、もしかして緊張してる?」
振り返ったナギに覗き込まれる。顔に出ていただろうか。取り繕っても仕方がないので素直に「少しな」と答えると、ナギは驚いたようだった。
「意外。瑛一って緊張とかしないと思ってた」
「滅多にないことだ。俺自身も驚いている」
「初ステージは一回きりだもんね。ボクはエンジェルのみんなに会えるのが楽しみ」
「……ナギは……強心臓」
「え、綺羅も緊張してるの?」
「あぁ……。でも俺も……楽しみな気持ちは……同じ」
綺羅の微笑みは確かにぎこちなかった。しかしいつもより早口になっていることから、緊張以上の高揚感が伝わってくる。
ナギは瑛一の右手を握り、それに続いて綺羅が左手を取った。そして綺羅とナギが手を繋ぎ、三人で小さな輪を作る。
「今日はいっぱい楽しもうね。三人と、エンジェルたちと」
「瑛一の緊張は……素晴らしいステージを作りたいという……責任感の表れ」
「頼りにしてるし、ボクたちのことも頼ってよ、リーダー」
スタンバイお願いしまーす、と号令がかかる。人生で一度きりの初舞台が始まる。
「……至上の音楽をエンジェルに捧ぐ。いくぞ、HE★VENS!」
*
「ナギ、リボンが曲がっているぞ」
三人での初めてのライブを前に緊張しているのに、瑛一は衣装の些細な乱れに目敏く気付いた。衣装担当のスタッフがそばにいないとわかると、自らナギの高さまで腰を折ってリボンの左右の長さを揃えてくれる。
瑛一と綺羅の首元に締まっているのはネクタイだが、その結び方が異なる。他にも袖の形に違いがある。揃いの衣装でもよく見るとデザインが違う感じにしたいと、ナギが発案したのだ。
「ありがとう、瑛一」
「これで完璧だ」
瑛一は背筋を伸ばし正面を見つめる。目の前にある扉が開けばそこはもうエンジェルたちの待つステージの上だ。客席の声がうっすらと聴こえてくる。
ナギは隣に並んだ瑛一を見上げた。
――やっぱり、レイジング鳳に似てるなぁ……。
今の、ではなく、現役時代のレイジング鳳に。血が繋がっているから当たり前だけど、ステージを前にした瑛一を見て、改めて感じた。意志の強い瞳、すっと通った鼻筋、華やかなのにくどくないパーツの配置。上品さでは瑛一がかなり勝っている気がする。ナギがライブ映像で見たレイジング鳳は、どこか粗暴な印象があった。けれどそれが元々の顔立ちの美しさと複雑に調和していて、そのアンバランスささえ彼の魅力でもある。その面影は、今の社長にはどこにも残っていないけど。
「どうした?」
視線に気付いた瑛一がナギを見やる。綺羅も不思議そうにナギの顔を覗き込んだ。
「ナギも緊張してきたのか?」
「ぜーんぜん! 綺羅は? ちょっとは緊張解けた?」
「そう……言われてみたら……さっきよりも楽しみな気持ちが……増してきた」
「さすがは綺羅」
瑛一が誇らしげに笑う。舞台を前にして緊張が薄らいでいくのはなんとなく綺羅らしい感じがした。実は一番豪胆なのは綺羅なんじゃないかと、ナギは思っている。
「あーっ、もう早く始まらないかなぁ。やっとナギたちのファンに……エンジェルに直接会えるんだ」
期待に満ちた声は聴こえてくるのに、扉が開かないとその姿は見えない。
SNSや事務所に届くファンレターを通じてファンの声は届いているけれど、リアルタイムでその熱を感じられるのが楽しみで仕方がなかった。自分の歌に、ダンスに、表情に、どんな反応を示してくれるのか。早く知りたい。求めてくれるなら、もっと応えてあげたい。ここには予定調和が一つもない。だから面白い。
客席から聴こえるおしゃべりの声がひときわ大きな歓声に変わった。照明が落とされ、舞台中央のスクリーンに映像が流れ始める。この映像が終われば扉が開く。初ステージの幕が上がる。
心臓が大きな音で鼓動を鳴らすのがわかった。これは緊張ではなく期待だ。早く。早く。一秒でも早く。
ずっと会いたかった。ナギの一挙一動に表情を変えたり声をあげるエンジェルたちの姿はまるでナギの心の高鳴りを映す鏡だ。
ゆっくりと扉が開く。色とりどりの光の波が見える。先陣を切る瑛一に倣って歩き出した。ここには瑛一の、綺羅の、そしてナギの夢がある。
*
歌やダンスのレッスンを重ね、準備万端整えた。感情を言葉にするのは得意ではないから、挨拶で何を言うかも事前に用意しておいた。しかし、客席に広がるペンライトの光や浴びせられる大歓声はシミュレーションできておらず、綺羅は言葉を奪われた。ピアノを人前で弾く機会は何度か与えられてきたが、その客席の様子とはあまりにもかけ離れている。まだ登場しただけなのに、感慨深い気分になってしまう。
隣を見やると、瑛一も普段よりあどけない表情で客席を見渡していた。瑛一は綺羅やナギより長い間、デビューし舞台に立つことを夢見続けてきたのだ。幼い頃からレッスンを重ね、芸能界入りしたもののアイドルデビューを果たせずにいた期間が続いた。瑛一の目標の一つが今ここで達成されている。そう思うと深く染み入るものがある。
瑛一と綺羅が言葉を失ったのは一瞬だった。しかしそのぎこちない間を察知したナギが言葉を繋ごうとしてくれる。一歩前に出て大きく手を振った。
「ナギの――ナギたちのエンジェルのみんな、会いたかったよ!」
歓声はさらに厚くなり、口々に名前を呼ばれたナギが嬉しそうに手を振ったり頬に手をあて愛らしいポーズを取ってエンジェルを喜ばせる。続いて瑛一が客席に手を差し出した。舞台裏での緊張はどこへ行ったのか、覇王の如く堂々たる振る舞い。
「天使たち! 今日こうして集まってくれたことに心から感謝する。HE★VENSの鳳瑛一だ。そして――」
手で促され、綺羅も前に出る。無数の視線が注がれるのは怖くない。ここに集まった天使たちは綺羅を理解しようとしてくれて、紡ぐ言葉を待ってくれると知っている。
「皇綺羅だ。言葉にするのは……得意ではない。その分音楽で、天使たちに想いを……伝えたい。今日は……よろしく」
「宇宙一カワイイ帝ナギだよ! 今日はナギのウルトラミラクルな魅力から、みんな目を離さないでね~っ?」
挨拶しながらナギが駆け寄り綺羅の腕を掴む。ぎゅっと抱きつかれたままナギを真似てポーズを取ると、また新たな歓声の波が起こった。自分の魅力を十分理解したナギの振る舞いに感心した。何より、自分も天使たちの声に応えていかなければと思わせられる。切磋琢磨し、素直に尊敬できる仲間がいることが誇らしい。
「この手でエンジェルたちを至高の音楽の世界へ連れて行くと約束しよう!」
一曲目のイントロが流れ始めると、早くも最高潮かと思われた客席のボルテージはさらに上がった。すごい。ピアノのコンクールとは全く違う。目の前の音楽に身を委ねるのではなく、ステージの上のアイドルと客席のエンジェルたちとが一体となろうとする感覚。これまで飽きるほど練習してきたダンスも歌も違う曲のように感じられた。三人が作り上げる音楽に呼応する声がある。瑛一は言葉で客席を盛り上げ、ナギは様々なポージングで客席からのリアクションに応える。綺羅は一音一音に意味を込め歌う。それ以上は今の自分に必要ない。伝えたいものは、受け取ってほしいものは、全て音楽の中にある。だからそれを届くように歌にするのみだ。
*
アンコールの声が響き続けていた。
ジャケットを替えるだけの瑛一は素早く着替えを済ませ、シャツのボタンやスヌードに手こずる綺羅とナギより先に舞台袖で控えた。ペンライトの明かりが見える。
舞台に上がる前の緊張が嘘のように、今はこのライブが終わってしまう喪失感が胸に積もる。来週には名古屋公演もあるが、きっとアンコールの声とこの寂しい気持ちは今後セットで瑛一の心に表れるのだろう。別れが惜しいと感じられるのは幸福だ。
至福の邂逅。世に数多のアイドルがいる中で、こうして天使たちに見つけられ、ステージに立っている。それが得難い幸運であることも、誰も教えてくれなかった。しかし教えられなくて良かった。自分の心で感じられたから。
着替えを済ませた綺羅とナギが隣に並ぶ。背中に回された二つの腕に頷いた。
ここは夢の出発点だ。
背負うものは天使たちの期待のみ。あとは自由な音の世界へ。光あふれる方へと踏み出す。ここにいるのはアイドル・鳳瑛一だ。自分は他の何者でもない。
ダブルアンコールを終えても、HE★VENSを求める声はしばらく止むことはなかった。
