幼い頃から感情表現は苦手だった。
だから、色とりどりのペンライトで埋め尽くされた広い会場で、うたプリアワードへのノミネートが決まったとサプライズ発表をされた瞬間も、喜びを分かりやすく示すことができなかった。
うたプリアワードとは、活躍が際立った新人アーティストに贈られる賞だ。年に一度などの定期開催ではなく、受賞するに相応しい新人が現れたときにノミネートが決まることから、幻の賞と呼ばれている。兼ねてより瑛一と社長は受賞を狙っていたから、その価値やノミネートの難しさは綺羅も知っていた。だが、いざノミネートが発表されると感情通りに身体が動かない。少しは笑えているだろうか。
「ナギたちは超スーパーアイドルだから当然だよね~! みんなもそう思うでしょ~?」
客席に向けてナギが問うと、歓声と同意の声が返ってくる。
「エンジェルたち~? ナギがもっともっと最高の景色を見せてあげるから、ちゃんとついてくること! わかったかな~?」
ホールに詰め込まれた数万の天使たちのコールを受け、ナギは会場中をぐるりと見渡す。甘い声は決して媚びない。王者の風格すら感じさせる小さな背中が頼もしい。薄くグレーがかった瞳が無数のライトを受けてきらめく。ナギは強い光を浴びるとさらに輝く。求められるほどに愛らしさを増し、見る者全てを虜にしてしまう。本当は飛び上がりたいほど嬉しいくせに、当たり前のような顔で微笑んだ。
「ねえ、綺羅からも何か言いなよ」
促され前に出る。無理に笑顔を作らず、客席に視線を移した。強い光を当てられているから目が眩んでよく見えない。でも確かに、手を取り合って喜んだり、中には泣いている者もいた。自分たちの活動が誰かの心を動かしたと思うと、かえって他人事のような錯覚を抱いてしまう。それくらい、奇跡のような出来事なのだ。
「エンジェルたちの……おかげだ。感謝する」
わああ、っと波が広がるような歓声が押し寄せる。潮は引かず満ちるばかりだ。
会場の中心に据えられたステージに向けて、瑛一を先頭に花道を歩く。
「俺たちHE★VENSのゴールは決してうたプリアワードではない。更なる高みへ。頂きを目指し進むのみだ」
瑛一の視線を浴びたアリーナ席の天使たちが総じて崩れ落ちていく。ある者は口元を両手で押さえ、ある者は握ったペンライトを地面に落とし、またある者は膝をがくがく震わせ床に倒れ込む。瑛一の振る舞いは畏怖さえ感じさせた。マイクを握っていない右手の人差し指を天へ突き上げると、何万もの瞳が天を仰ぎ見る。
「俺たちに着いて来い、天使たち。最高の楽園を見せてやる」
「よそ見なんて許さないんだからね~?」
とびきりの笑顔で客席を見つめるナギと共に瑛一の背中を追う。来週リリース予定の新曲のイントロが流れ出すと会場は一気に沸いた。
言葉で想いを伝えるには時間がかかる。だから音楽が好きだ。曲に乗せれば、言葉が淀みなく出てくる。歌い出しは綺羅だった。音楽を感じると目の前の景色がさらに鮮やかに見える。ここにある全てが愛おしい。手を振ると、歓声のボリュームが一段と上がった。やはり音楽は、自分が最も正直になれる方法だ。
「ご機嫌だね~、綺羅っ」
歌い終わるとセンターステージでナギがにこにこしながら小突いてくる。素直に「ああ」と答えると、ナギは目を丸くした。
「綺羅の気持ちは歌うとすぐわかるんだよね~。普段は無口で何考えてるかあんまりわかんないけど、歌うとすっごく楽しそう」
喜怒哀楽のコントラストがはっきりしているナギは、余裕すら含んだ笑みを浮かべた。綺羅は何を言葉にするべきか迷い、結局すぐには声にならない。
「綺羅」
瑛一がそっと肩を抱く。もう片方の手でナギの頭を撫でた。
「俺たちはいくらでも待つ。伝えたいことがあるならば、言葉にして伝えてくれ」
「……ああ」
マイクを強く握りしめる。熱を帯びた天使たちの視線が綺羅に集中する。瑛一のように、ナギのように、自分もこのステージの上で、光を放てているだろうか。
「瑛一に……手を引かれるようにして、アイドルを志した。音楽と……共に歩むことができて……良かった。この場に立てて……良かった。幸せだ……とても」
何色ものライトが揺れ、拍手が広がる。綺羅、とあちこちから名前を呼ばれる。夢見たことのない光景だったのに夢のように幸福だった。瑛一が一歩前に踏み出す。
「伝説は始まったばかりだ。覚悟はいいな? エンジェルたち!」
ライブ後の高揚感は身体に染み付いてなかなか取れない。控室に戻ると、ジャケットを脱いだナギが跳ね回っている。舞台上で当たり前みたいな顔をしていたのが嘘のようだ。
「やったー! うたプリアワードノミネートだ! これまでいーっぱい頑張ってきたもんねっ!」
勢い余って抱き着いてきたナギを抱き返してやる。綺羅も同じくらい感激しているが、舞台上でも舞台を下りてもやはり感情が外に表れなかった。ナギは綺羅の腕の中で器用にエゴサーチして、「みんなも超喜んでる!」と喜びの限りを尽くす。
「あ! 瑛二たちからLINE来たよ、おめでとうだって!」
「ナギ、気持ちは分かるがはしゃぎすぎだぞ」
「だって嬉しいんだもん! 二人だって一緒でしょ? ノミネートってことは~、受賞もほぼ確実ってことでしょ~?」
「俺も……嬉しい」
「ほら、綺羅も超喜んでる!」
「まぁ……そうだな。さすがはHE★VENS!」
「も~っ、瑛一だって大喜びじゃん」
綺羅もLINEを開き、三人からの通知を確かめる。
本当に良かった、と顔を綻ばせた瑛一の眉が、次の瞬間、ぴくりと吊り上がった。部屋の温度が急激に下がる気配がする。高らかな笑い声が聴こえたと思うと、姿を現したのはレイジング鳳だった。普通に登場できないのは通常運転だ。
「浮かれるでない、HE★VENSよ! さらに差を見せつけるのだ! 全てを凌駕し、頂きに君臨せよ!」
太く力強い声色とは裏腹に、サングラスから覗く瞳はひどく冷え切っていた。レイジング鳳は綺羅とナギに一瞥をくれ、そして瑛一の姿を捉えると離さない。
「……分かっているな」
「当然だ」
視線を絡ませ合い、その後二人同時に離す。レイジング鳳は嵐のように去って行った。
テレビ局で打ち合わせがある瑛一と別れ、ナギと二人で車に乗った。疲れが溜まっていたのだろう、発車するとナギはすぐに眠ってしまった。逆に綺羅は目が冴えていた。身体中にまだライブの余韻と興奮が駆け巡っている感じがする。
窓の外に流れる景色は、夜なのに煌々と賑やかだ。しんと静かな車内から騒々しい街の景色を眺めるのは興味深い。音が聴こえなくてもその喧噪がなんとなく分かる。夜になると海の音しか聴こえない、実家の周りとは大違いだ。
「……寝ちゃってた」
ナギは両目をこすって大きく伸びをする。前傾姿勢をとり、太腿に両肘を乗せると頬杖をついて綺羅を見上げた。
「ねえ、そういえば綺羅ってどうしてアイドルになろうと思ったの?」
「……どうして、そんなことを……訊くんだ」
「初めて会った日に聞いた気がするんだけど、よく覚えてなくって」
「それは、ナギが俺のピアノを聴いて……寝てしまったから」
そうだったっけ、とナギは気まずそうな顔をした。しかし話し始めるとより前のめりになってうんうん頷く。
「俺は、子どもの頃から……感情をすぐに言葉にするのが……苦手だった」
考え過ぎてしまう。考えてから声を発そうとすると、いつの間にか話題が変わっている。今と比べると、幼少期はさらに口数が少なかった。周りからは無口だと捉えられ、学生時代はクールな一匹狼という印象を持たれていたらしい。とは言え、そのせいで遠巻きにされていた自覚はない。日常生活に特別大きな苦労があったと言えば嘘になる。
「感じたことを……反射的に言葉にできる同年代を……羨ましく感じた時期もあった。俺の言葉を、誰かが待っている時間も……幼い頃は、苦痛だった」
例えば、卒業生を送る会の送辞などは原稿を用意して臨むから気が楽だった。でも、「皇君はどう思う?」と問われると、答えをまとめるのに時間を要してしまう。考えを整理して喋るスキルは成長するにつれて重宝されたが、小学生の時分の綺羅には枷でしかなかった。学校という小さな社会に放り込まれると人との付き合いは億劫になり、そんなとき、音楽に出会った。
「小学生の頃……姉がピアノを始めて……俺も勧められ……興味本位で弾き始めた。音楽は、自由で良かった。学校で……合唱大会の伴奏もした」
「綺羅、ピアノ超上手だもんね」
「初めは……ただの趣味だった。感情表現の……方法、でもあった。俺の実家は、代々高知の土地に続く……いわゆる、旧家で……長男の俺は……当然後継ぎとして、育てられた。俺自身、家を……継ぐ、意思があった」
それが揺らぎ始めたのはいつ頃か、もうはっきりと覚えていない。次期当主として社交場に連れられた頃は、子どもながらにこれがいつか自分の仕事になるのだと意識したし、小学校の卒業アルバムにも、将来は父の仕事を手伝いたいと書いた。さだめに背く気持ちはなかった。しかしいつからか、音楽が綺羅の深い部分を支配し始める。高校一年生の頃に行われた進路調査で、初めて用紙に記入する手が止まった。
「いつしか……音楽を仕事にしたいと……思い始めた。しかし俺は、迷っていて……迷うなら、まずはその世界を、見に行こうと思い……最初は、音大をいくつか見学に行った。その、途中で……瑛一に、出会った」
広島や神戸、大阪と、まずは比較的近くの音大の見学に行った。迷いをなかなか昇華できず、感情を吐き出すためにあの頃は何度かストリートピアノを弾いた。ヴァンと出会ったのもそれがきっかけだ。何校か回ってみたもののあまり違いが分からず、いい機会だからと東京へ足を延ばした。そのとき、瑛一と出会った。
「瑛一が放つ光は……強烈だった。これまでの……俺の世界には、ない」
堂々としていて、とにかく洗練された雰囲気。綺羅が思い描く東京の大人像とおおよそ一致していたから、アイドルだと言われて驚いた。
――きっとこの出会いは運命だな。
綺羅のピアノと歌を聴き、レイジング鳳の映像を見せ、共に歌い、最後に瑛一は言った。
綺羅にはアイドルがよく分からない。音大進学の方が親に説明するにも通りが良いし、音楽で生きていくならピアノだと考えていた。
「瑛一と共に、レイジング鳳の映像を見た。レイジング鳳の音楽には……心に何かを残す、魅力があった。俺はあのライブが、歌が……忘れられなくなった。それと、レイジング鳳の姿を見る、瑛一の横顔が……」
言葉を途中で止める。ナギは続きを促さなかった。
瑛一が父親に抱く感情は、今でも全て理解しているわけではない。憧れも憎しみも羨望も含まれているような気がする。
瑛一と出会い、レイジング鳳のライブに衝撃を植え付けられたあの日から、音楽の道を進むのであれば彼らの許で、と希望を抱くようになった。何不自由なく音楽と添い遂げられる瑛一を羨ましいとも感じた。しかし約束された未来があるのは綺羅も同じだ。それを投げ打って音楽を選ぶべきなのか。身体を巡る血の一滴までアイドル然とした、鳳瑛一と同じフィールドに上がってまで――?
瑛一とは連絡先を交換して別れた。その後予定していた大学の見学はどれも行くのをやめた。頭の中がアイドルと鳳瑛一で占められてしまった。
天秤はすでに傾いていた。高知に帰っても忘れられず、ピアノを弾きながら歌声を発した瞬間、あぁ自分はアイドルになりたいのだと天啓のように感じた。自覚すると鍵盤を押さえる指が軽くなった。
実は一度、皇家を継ぎたいと姉が父に話している姿を見たことがある。
真剣な眼差しだった。姉は地方政治を学び、高齢化が問題視される地元をどうにかしたいと考えていたようだ。しかし父は首を縦に振らなかった。姉は男ではないから。
家に対し、あれほどの――姉ほどの熱量が自分にはない。そう気付いたとき、綺羅は揺れた。音楽に対する想いの方がずっと上回っていたから。
「今は……音楽と、生きていきたい。今日見た景色を……ずっと見ていたい」
「うん、最高だったもんね」
無垢にナギが笑う。
「こんな世界も、あるのだと……瑛一が、教えてくれた……おかげ」
「ボクたち、もっともっと輝けるよね」
天使たちからの期待を受けさらにナギは輝く。瑛一は父親の理想を遥かに超えていく。そして綺羅は――ただ音楽を続けられたらいい。周りから見れば小さな目標に見えても、それだけで今は精一杯だった。
実家とはじきに決別しなければならない。だがそのときが来るまでは、都会の光にあふれたこの海で揺蕩うことをどうか許されたい。
