眩光

 自分は他人と比べて行動力がある方だと気付いたのは、小学生の頃だった。

目に映る物事に果敢に飛び込んでいけるのが長所で、通信簿でも積極性をよく褒められた。いろんなことに興味があったから様々な委員会を経験したし、中学一年生の頃はありとあらゆる部活に体験入部した結果、野球部に所属した。

 大人になっても知らないものへの興味は失せず、飲み会やコンパのお誘いも断ったことがない。社会に出るとそれは「付き合いが良い」という評価になるが、したいことをしているだけだから、誰かに付き合っている感覚はなかった。

 アイドルになると決意して上京すると、お誘いの連絡はさすがに途絶えた。新しい生活の中でそれをいちいち寂しいとは感じなかったが、勤めていた会社の同僚から久しぶりに連絡が来たときは嬉しかった。

「あ、ヴァン~」

 会社勤めを続けていたら決して関わらなかっただろう、一回り以上年下の少年に呼び捨てで名前を呼ばれる。しかもこっちに来てと手招きまで。

中学生になってもまだまだあどけなさを残したナギにヴァンはめっぽう弱かった。リビングのソファに向かうと、シオンと一冊の本を広げている。

「今から出かけるの?」

 ナギが視線を壁掛け時計に向ける。時刻は午後七時。ナギにとっては出かけるにしては遅い時間だろう。

「コンビニ行くならプリン買ってきてほしいんだ~。ナギの分と、シオンの分も!」

「もう夕飯食べたんやろ。そんなん食べたらえーちゃんに怒られんで」

「だからヴァンにお願いしてるんでしょ~?」

 二人がソファに座り、ヴァンは立ったままだから、二人の視線は自然と上目遣いになる。タイプの違う愛らしい顔に見つめられると屈しそうになるが、気を強く持った。

「あかんあかん、ワイもえーちゃんに怒られたないもん」

「え~っ」

「あとコンビニ行くんちゃうねん。ちょっと出かけてくるわ」

「こんな時間に?」

「ワイは大人やから」

「なんだぁ、つまんなーい」

 唇を尖らせ全力で不満アピール。ナギは公私を問わず自分の表情を上手に操ってみせる。

「ヴァンとしゃべると面白くなくなっちゃうから、もうしゃべるのやめよーっと」

「関西人におもんないとか言うんはキツいでナギちゃん」

 ヴァンが思い通りに動かないとわかると憎まれ口を叩く。いつもの戯れだから相手にしたくないのに、弱いところを突いてくるのが痛い。

「……ヴァンと話すと、自身の面白みが欠落するのか……?」

「せーへんせーへん、本気にしたらあかんよシーちゃん」

 ほな行ってきます、と挨拶すると二人揃って手を振り送り出してくれる。平和で愛おしい光景に思わず頬が緩んだ。

 

 久しぶりに飲もう、と元同僚の吉田から連絡があったのは二週間前のことだ。

 勤めていたのは別の支店で、飲み会のときに同じ大学、同じ学科に通っていたと判明して親しくなった。会社を辞めた理由は直接伝えていないが、誰かから耳に入ったのだろう。待ち合わせた居酒屋で一杯目のビールを飲みながら、吉田は朗らかに笑った。

「びびったわ! 桐生院がアイドルって!」

「せやろ! てかちゃんと話せんくてごめんな」

「ほんまやで。結構仲良いと思ってたのに」

 仕事で東京に来ていると思っていたが、吉田はTシャツにジーンズというラフな格好だった。どうやら仕事で来ているわけじゃないらしい。考えを見透かしたように吉田は「オレも辞めんねん」と切り出した。

「おー、そうなんや」

「海外で仕事することになって」

「いいやん」

「桐生院が辞める少し前まで時々一緒に飲ましてもろとった社長おったやん、酒井さん」

 当然覚えている。特別親しかったわけではなく、職業病みたいなもので人の顔と名前を覚えるのは得意だった。はいはいと相槌を打つ。

「声かけられて。で、一緒に働くことになった。そしたら急にシンガポール勤務やで。桐生院がおったら、声かけられたんは桐生院やったと思うけど」

「ないない、ワイそういう野心ないし」

「いやー、野心あったやろ。ギラギラしとったで」

 でも海外とか考えたことないし、あんま興味もないし――と言いかけて、今から行く奴に言うべきじゃないなと考え直してやめた。

 今後の話はそこそこに、飲みの席では思い出話に花が咲いた。

飲み会で起こった珍事件や社員会でのハプニングを掘り返してはげらげら笑った。生産性のない過去の笑い話は気楽で良い。

注文した料理を全て平らげ、一区切りついた頃に「そういえば」と吉田は思い出したように言った。

「桐生院、会社辞める半年か一年くらい前に、彼女できたって言うてなかった? まだ付き合ってるん」

「や、上京するタイミングで別れたわ」

 彼女なんて響きは懐かしすぎて忘れていた。恋愛禁止だとはっきり言われた覚えはないが、今の生活が充実しているからそちら方面への関心が薄れている。

 当時付き合っていた彼女とは、互いに遠距離が耐えられそうにないから後腐れなく別れた。そっちはどうなん、と会話の流れで話を振る。

「結婚すると思う」

「え、おめでとう」

「まだ正式にプロポーズしてへんけど、シンガポール一緒に来る? って訊いたら、行くわーって」

 そっかー、と曖昧な返事をしてジョッキに口を付ける。

一緒に来るかと訊くなんて、ヴァンにはそんな発想すらなかった。あのとき訊いていたらどうなっていたんだろう。いや、一緒に来たいなら自分から言えばいい話で――と、一年以上前の別れを振り返ったって意味がない。ただ自分が淡白過ぎた気がしたのだ。決してどうでもいい相手ではなかったはずなのに。

 店を出て、駅の方向に二人で歩いた。事務所から割と近くてヴァンは歩いて帰れる距離だったが、二軒目に行くなら行くでいいし、帰るつもりなら駅まで見送るつもりだった。飲み屋街のネオンの間から夜空を見上げながら、吉田が「もう二十七やって、オレら」と口にする。

「なぁ、シンガポール、お前も行かへん?」

「え……」

 声が漏れたのは不注意だった。想定外のお誘いに単純にびっくりした。

「いや、誘われたんは吉田やろ」

「桐生院めっちゃ気に入られとったやん。付き合い良かったのもあるけど、仕事で認められてた。オレも一緒におまえと働けたら嬉しいし。酒井さん人員足りてへん言うてたし」

「ワイ、アイドルなるって決めたから」

「……あんま言いたくないけど」

 向き合った男の目が据わっている。酒のせいだ。でも冗談を言うつもりじゃないと、しゃんとした口ぶりからわかった。

「アイドルとか、ほんまになれるん? 確かに桐生院は顔ええし、会社でも人気あったし、なんとなく……わかるで。でもそういうの、成功するのなんか一握りやろ?」

 どうして自分は酔い切れなかったんだろう。酔ってしまえば、こんなの軽いノリにして笑って受け流しておしまいにできるのに。妙に冷静に元同僚の男を見ていた。ヴァンは何も言えず、「うーん……」と肯定とも否定ともつかない相槌を打った。

「なあ、また一緒にやらへんか? おまえと仕事したいねん。おもろいやつやし」

 出かける前、ナギに「面白くなくなる」と言われたのを思い出す。やっぱり今日はプリンを買って帰ってあげたい。ナギとシオンに――仲間に早く会いたい。

 きっぱりと断りを入れようとしたとき、雑踏に紛れて一際目を引く男を遠くに見つけ言葉を失った。マスクと目深に被った帽子で変装しているが――いや、露骨な変装をしているからこそわかる。変装男もヴァンに気付き、黙って近付いてきた。声を潜める。

「……綺羅ちゃん、こんなところで何してるん」

「今、帰りだ」

「電車?」

「違う。ナギに、おつかいを頼まれて……コンビニでタクシーを下りて……歩いて帰ることにした」

 ビニール袋を掲げてみせる。どうやら綺羅に白羽の矢が立ったらしい。

「あかんで、こんなとこ一人で歩いてたら」

「そう言うヴァンは……」

 綺羅がすいと視線を横にずらす。

「前に勤めとった会社の同僚の吉田。……ええと、同じ事務所の綺羅ちゃん」

 紹介を受け、綺羅があたりを気にしつつ会釈をする。

「うわ、めっちゃ美形。てか知ってるわ。皇綺羅……くん、やんな」

「はい」

「すごっ! ほんなら三人でもう一軒行っちゃう?」

「アホ、未成年や」

「あー、そうか。確かに若いな」

 もう一軒という誘いはボケだとすぐにわかった。しかし綺羅は焦って目を泳がせる。断ってくれ、と懇願するのが伝わって面白い。吉田は笑いながらヴァンの肩に手を回す。

「いやー、新卒より若い子とアイドルって、どんな人生やねん」

「……何が悪い?」

 呆れたようなイジリのような吉田の発言に、瞬発的に言い返したのは綺羅だった。

 ヴァンは笑い飛ばすつもりだった。失礼やなー、と困った顔で背中を軽く叩けば終わる話だ。でも綺羅は前髪とマスクの間で瞳を光らせ、怒りを露わにしている。

「待って待って綺羅ちゃん。今のはなんていうか……ノリみたいなもんやから。吉田は友達やし、悪気あって言ったんじゃないで」

 吉田の腕をほどき、綺羅の両肩を押さえてなだめる。掴みかかるような勢いではなかったが、静かなのがかえって恐ろしい。綺羅は瞳に灯した怒りをすっと消して押し黙る。決まりが悪そうに「すまん」と吉田が手を合わせた。

「今のはオレもなんか、思ってもないっていうか、ノリが行き過ぎたっていうか……とにかくごめん」

「いいねん、なんとも思ってないで」

 気にしていないのは本当だ。吉田の言葉に悪気がないのは会話の流れでわかっていたし、この程度の応酬で笑い合うのは日常茶飯事だった。でも、綺羅が本気で怒ってくれて嬉しいと感じてしまっている。まっすぐな性格が眩しい。

「ほんならもうお開きにしよっか」

 別れを告げると、吉田も「せやな」と頷く。綺羅が視線でヴァンに何かを伝えようとしてきた。もう一軒行くんじゃないのか(二人で)とでも言いたいのだろう。気にせず吉田の肩を叩き、この場を切り上げる。

「無理やろって思われるかもしれんけど、ワイ、アイドルやりたいねん。やから、ここで頑張るって決めた」

「うん。……なんかいらんこと言ったかも。ごめんな」

「ええって。ワイもそっちの立場やったら、同じこと言ってたかもしれんし」

 アイドルを目指してなかったら。

瑛一や綺羅やナギや――メンバーたちに出会ってなかったら。

 ほなまた、と手を振る。

 頑張って、と吉田は屈託のない笑顔で腕をぶんぶん振った。

「応援するから!」

 無理やろ――と心の底で笑われていたとしても、その言葉は純粋に嬉しい。

 吉田の姿が見えなくなるまで見送ったあと、綺羅を振り返る。顔がほとんど隠れていても、解せないと言いたそうな顔をしているのがわかった。言葉は少ないのに感情が手に取るようにわかりやすくて面白い。

「……もう一軒と……言っていた」

「だって綺羅ちゃん一人で帰されへんし」

「一人で……帰れる」

「いやいや」

「俺の……せいか」

 ヴァンの言葉を何でもかんでも真面目に受け取る。それが微笑ましくて茶化してしまうのはヴァンの悪い癖だ。違う違う、と改めてちゃんと否定した。

「綺羅ちゃんと喋りたかったから」

「……さっきは……すまなかった」

「いや、綺羅ちゃんは悪ないで。悪いんはあいつとワイ」

「ノリ、というものが……理解……できなかった」

 歩き始めると、ビニール袋がスラックスと擦れてしゃらしゃら音を立てる。

「ただ……失礼だと……感じた」

「うん。ノリやとしても、あれはあいつの本心やったと思うし」

「……なら、どうして……ヴァンは笑っているんだ」

「こうやって自分が、二十六にもなってアイドル目指してなかったら、ワイも一緒に笑ってたかもしれんし」

「俺は……そうは思わない」

 自虐めいた言葉を綺羅が強く封じる。

 綺羅の使う言葉には力がある。適当に喋っていないから。気持ちを整理して、これを言うべきか精査して、そして音にするから、綺羅が言うことは根拠に裏打ちされている。だから綺羅に自分を肯定されると誇らしい気持ちになる。

 それに比べて自分はどうだ。なんでも適当に喋っている気がする。その場が盛り上がればそれが正しいみたいに。相手を選んで冗談と本音を使い分けているつもりではあるけれど、綺羅を前にするとそれすら情けない気にさせられる。年齢を重ねてしまったばかりに、その場しのぎではぐらかす方法を、ヴァンはいくつも知っている。

「……ありがとう」

 礼を言って、夏の夜空に浮かぶ色の濃い半月を見上げた。

「ワイ、いい人間に映ってるんやな。綺羅ちゃんには」

「そうでも……ない」

「え?」

「ヴァンは、可笑しくないときでも笑って……時々、変だ。それに……軽々しいヴァンの言葉が……理解できないこともある」

 細い川に架かった橋を渡る。水面に映った月が揺れる。ヴァンは何も言わず、愛想笑いもしなかった。その必要がないと思えた。必要な沈黙。

 でも、と綺羅が呟く。

「ヴァンは……人の夢を笑わない」

 綺羅の瞳が、言葉が、時々怖い。自分に見えない何かを見透かされているようで。自分はこういう人間ですと必死で繕っている仮面を簡単に剥ぎ取られてしまう。でもそれが心地良くて不思議だった。

 ピアノが聴きたい、と綺羅に言った。

 プリンが食べたいとナギがおねだりをするときみたいで、自分みたいな大人が、と少し恥ずかしくなる。でもいいのだ。いくら大人ぶって見せても綺羅には見抜かれているだろうから。

 綺羅はビニール袋を胸の高さに掲げ「これをナギに届けてから」と答えた。

 

 

 綺羅の指が鍵盤をなぞる。初めて会った日も、綺羅はピアノを弾き、ヴァンはそれを見ていた。音楽の良し悪しはわからなかったが、ただ上手いなぁと思った。それと、とびっきりのイケメンや、とも。

 あの日から綺羅の印象は変わらない。ミステリアスだがまっすぐで、冗談を理解できないところがいい。言葉を大切に扱い、感情が意外と表情に出やすい。それが綺羅の可愛いところだ。

 ヴァンは人の夢を笑わない、と綺羅は言った。

 自分の夢を含めるとどうだろうか。

 少しだけ、自信がない。

 人生は一度きり。だから真剣に、やりたいと感じたことに向き合いたい。アイドルになりたい気持ちは本物で、そのための努力をしている自負もある。それでも夢を掴めるのは一握り――吉田の言う通りだ。だから、その一握りになるしかない。

 ピアノを弾く綺羅をじっと見つめる。そのうち視線に気付いた綺羅が顔を上げ、目と目が合う。演奏が止むとあたりはしんと静かになった。

 珍しく、沈黙を埋めるために綺羅が唇を動かす。

「俺は」

 次の言葉を継ぐのは思ったよりも早かった。

「ヴァンは……努力していると思う」

 声にせず頷く。

「報われると……思う」

 もう一度、頷く。

「俺は……」

「ありがとう、綺羅ちゃん」

 嬉しいのに、嬉しいから、簡単には笑わなかった。それより、目を細めずまっすぐ見つめていたかった。綺羅がいつもそうするように。

 無理して笑わなくていい。明るくなくていい。

 月のように静かでも、こんなにも眩しい。