原石の鼓動

「はいOK! お疲れ様でしたー」

 プロデューサーの声が響くとスタジオ内の空気が緩む。共演者と労いの言葉を交わし、私服に着替えると緊張も解けた。夏頃からついた担当マネージャーには先に事務所へ戻ってもらう。今日はこれ以上仕事もなく、電車で帰るつもりだった。
 中学生の頃にレイジングエンターテインメントの所属になり、メディアへの露出が増えたのは成人してから一年経ったつい最近のことだ。
 レイジング鳳の息子、いわゆる二世タレントとしての活動は決して楽なものではないはずだが、瑛一はまだそれを体感する段階にいない。音楽関係以外の仕事をあまりやらなかったらしい父に対して、瑛一の仕事はほとんどが音楽関係以外ばかりだからだ。メンズ雑誌のモデル契約が一社、深夜放送のトーク番組が不定期に数本、程度。周囲から向けられる「あのレイジング鳳の息子なんだって」という好奇の視線にはもう慣れてしまった。
 マスクと伊達眼鏡を装着してテレビ局の外に出る。すっかり秋に色づいた木の葉が風に撫でられ音を鳴らす。木々のざわめくような音が好きだ。弧を描いて舞い落ちる赤い葉の軌道を目で追いながら、思わず足を止めた。
 赤く熟れた木々を見上げていたのは瑛一だけではなかった。真新しいベンチに腰掛けた子どもが一人、頭上の秋色を眺めている。少年だ――おそらく。というのも、小学校高学年くらいと思われるその子どもの容姿があまりにも愛らしかったから。髪はくすんだペールピンク。見開かれた大きな瞳を邪魔しないよう上向いた長い睫毛。閉ざされた唇は喋るとき、歌うとき、どんな風に動くのだろう。最上級の各パーツを神様が最も上機嫌なタイミングで配置したみたいに整った顔立ちに見惚れ、そして、少なくとも彼より大人である自覚が瑛一をはたと我に返らせる。

「迷子か? それとも誰か待っているのか?」

 腰を折って問いかける。少年は大きな瞳のピントを瑛一に合わせると、挑発するように小首を傾げてみせた。さっきと違う角度から眺めても隙のない美しさ。子役だろうか。それならどうしてこんなところに一人で座っているのだろう。少年は何度か瞬きしてから口を開いた。

「鳳瑛一?」
「俺を知っているのか」
「うん。テレビで見たことある。ボクの両親、レイジング鳳のファンだったんだって」
「ずいぶんと難しい言葉を使うんだな」

 声までも可愛らしい少年の口から飛び出す「両親」という単語に苦笑する。すると彼は見るからに不機嫌そうに「あとボク迷子じゃないから」と唇を尖らせた。

「修学旅行で来てるの」
「修学旅行?」
「勘違いしないでよね。今、自由時間だから」

 集団行動を勝手に抜け出しているわけではない、と主張したいらしい。

「自由時間は一人で行動しても良いものなのか?」
「だって、クラスのみんなが行きたいって言うところに興味なかったんだもん。みんなも同じだと思うよ」
「それでテレビ局に?」
「そうだけど?」

 もう一度、探りを入れるような視線を寄越してみせる。
 出てきたばかりの局を振り返り、一人でこんなところに来たいと考える小学生の心情を想像してみる。巨大な球体が据えられた構造やこだわり抜かれた縦横比は建築物として評価されているし、観光スポットとして人気が高いのも知っているが、それならば敷地外のこんなところに座り込んでいるのは不思議だ。

「もっと近くに行かなくていいのか? 一般向けに開放されたブースもあるはずだが」

 少年の答えは無視だった。きっと、これ以上関わるなという意味だろう。けれど一度声をかけた手前このまま一人にしておくのは気がかりだった。

「ずっとここに座っているつもりか?」
「……関係ないでしょ」
「喫茶室でジュースでも飲まないか」
「知らない大人にはついて行っちゃダメなんだよ」

 か細い足を揺らし、少年は歌でも口ずさむように言った。そうだ、彼にとって瑛一は知らない大人で、同じように瑛一からしても彼は見知らぬ子どもなのだ。
 賢そうな物言いをしておきながら、彼はその大人と子どものどちらが優位に立ち得るか知らないのだろうか。無言で隣に腰を下ろし、わざと尊大な態度で脚を組むと少年の怪訝そうな視線がのぼってくる。

「何?」
「どこから来たのか知らないがここは東京だ。子どもが一人で遊ぶ場所じゃない。俺がお前の知り合いだと騙り、無理やり連れ去るくらい容易いことだぞ」
「……そんなの」

 視界の端に捉えた少年の肩が小刻みに震える。膝に抱えたリュックサックの持ち手を握りしめ、小さな拳をゆっくり開いた。

「そんなのわかってるよ。ナギが、一人じゃなんにもできない子どもだってことくらい」
「ナギ?」
「なんでもない」
「君の名前か」
「……そうだけど」
「年齢は? 修学旅行で来ているのならば……六年生か?」
「五年生。ボクの学校、受験の都合とかで一年早いんだって」
「ああ、なるほど」

 背を丸めて目線を合わせてみる。彼の――ナギの目に映る景色を見てみたくなった。

「どこから来たんだ?」
「……いろいろ訊くなら、先にそっちのこと話すのが筋じゃないの?」

 やはり大人のような物言いをする。Wikipediaを見た方が早いと答えると、ナギは不満そうにため息をついた。

「悪かった。今の答えは良くなかったな。俺は鳳瑛一、二十一歳。今は都内にある事務所寮で暮らしているが、ナギの年の頃は山梨に住んでいた」
「へぇ……。東京にはいつから住んでるの?」
「上京したのは中学にあがるタイミングだな」
「はやっ」

 ナギは目を丸くする。初めて彼の正直な表情が垣間見えた気がした。あと一年半ほどで瑛一が上京した年齢に到達するナギには、現実味を帯びて響いたのだろうか。
 自分がナギくらいの年齢の頃はどうだっただろう。早すぎると思った? 嫌だった? それとも嬉しかった? 当時の感情はもう思い出せない。

「俺の場合は、父親がああいった立場だからな」
「お父さんにお願いしたの?」
「その逆だ。……いや、真逆ではないが……とにかく、俺を上京させたのは父だ」
「嫌々ってこと? じゃあ瑛一は、今の仕事キライ?」
「好きか嫌いかと問われたら当然好きだな。そもそも、アイドル以外を考えたこともなかった」
「ねえ、アイドルってどんな感じ? 楽しい?」

 抽象的な問いかけに、言葉に詰まる。そもそもアイドルとしてデビューするために上京したものの、それらしい仕事をまだ何一つしていないのだ。半ばはぐらかすつもりで「興味があるのか」と問うと、ナギは膝に置いた小さな両手に視線を注いだ。

「ナギね、毎日面白くないんだ。……でもどうして面白くないか、ちゃんとわかってる」
「……なぜ?」
「ナギの世界が狭いから。学校の勉強も、家族や学校の友達との会話も全部。全部足りないし、退屈なんだ。テレビの中の人たちって、いつも楽しそうでしょ?」

 背後にそびえ立つ建物を振り返る。この可憐な少年に世界はどう見えているのだろう。

「テレビの中って、いろんな人がいろんなことをしてる。いろんな場所に行っていろんな話をして、ナギが知らないことを知ってる人がたくさんいるんだ。人を夢中にさせることができる人がいっぱいいる。ナギももっと面白いって思えることがしてみたい」

 大きな瞳が夕陽を受け薄紅に色付く。まるで夕刻を閉じ込めたような二つの虹彩は瞬きの度に落陽を映して色を変えた。きれいだ。彼を表現する言葉がそれ以外に思いつかない。
 ゆるやかな曲線を描く細い肩に触れると、ナギは目を丸くして瑛一を見上げる。目が合ったばかりに、瞳から夕陽の色が消えてしまった。

「ナギ、俺と共にアイドルをやらないか」
「え?」
「人々の心を掴む素晴らしい仕事だ。アイドルは絶対にナギを退屈になどさせない」
「ちょっと待ってよ。いきなり何なの?」
「いいや俺は待たない。ナギは間違いなくアイドルに向いている」
「……変な人」

 呆れたようにため息をつく。
 小さな彼が眩かった。何かに憧れる気持ちが。自分もそうなりたいと願う気持ちが。胸をときめかせる希望に焦がれ好奇心をにじませた瞳が羨ましかった。

「大人はみんな、今はまだ他にやることがあるって言うよ」
「勉強か? 同世代の友達とのお喋りか? そんなもの、アイドルを目指しながらいくらでもできる」
「キミが言うと説得力あるね」
「そうだろう」

 きゅっと唇を上げてナギは笑う。この世の恐ろしい部分など何も知らない不敵な微笑み。瑛一にもこんなときがきっとあった。例えば、父のようなアイドルになれると信じていた幼い時分。
 鞄から手帳を取り出す。薄く罫線が引かれたページに電話番号とメールアドレスを書いて切り離した。

「もしナギがアイドルの道を選ぶのならば力になりたい。いつでも連絡してくれ」
「……どうしてボクを誘ってくれるの? ボクのこと、なんにも知らないのに」

 もう一度、疑問めいた視線を瑛一に投げかける。ナギの問いかけはもっともだ。
 口を開くのと同時に、二人の間に割って入る声があった。

「あっ! ナギくんいたーっ!」

 声の主は一人ではない。ナギと同じ年頃の女の子が数人。ぱたぱたと駆け寄ってきては「知ってる人?」「もうすぐ集合だよ」「何してたの?」と口々に投げかける。

「友達か」
「うん、クラスの子たち。もう行かなきゃ」
「ああ、気を付けて」
「じゃあね」

 電車に乗るナギたちとは同じ方向だったが、大回りをして通りでタクシーを拾った。過ぎていく景色を窓の外に眺め、アイドルは楽しいかとナギに訊かれたことを思い出す。
 今の自分自身を楽しめているのか、アイドルという仕事を楽しんでいいのか、瑛一にはよく分からない。父はアイドルを楽しんでいたのだろうか。答えはきっとノーだ。だから迷いがある。レイジング鳳の息子として生まれ、その自我が芽生え、レイジング鳳のようなアイドルに憧れてから、一度もアイドル以外の道を考えなかった。やらされている感覚はさすがにない、けれど。
 夕陽は傾き、後部座席の窓へとまっすぐ注がれる。目を閉じると眩しいナギの瞳が思い浮かぶ。
 あのきらめきをそばに置きたい。そして、可能性を磨いてやりたい。
 同時に、未来への希望を抱いた彼から、自分がいつの間にか忘れてしまった何かを取り戻したかった。
 まだ原石でしかないナギと共に輝けるのではないかと思った。

「社長がお呼びです」

 事務所に着くや否やスタッフを通じて呼び出され、最上階の社長室に到着する頃にはすっかり陽が落ち切っていた。
 父が話すことといえば仕事の話ばかりで、最近その大半はシャイニング事務所絡みだ。シャイニング事務所社長のシャイニング早乙女と父との間にある因縁は深い。父が『LOVE IS DEAD』で千九百万枚のリリース記録を打ち立てたあと、デビュー曲の『愛故に……』を二千万枚売り上げ、記録を塗り替えたのがシャイニング早乙女だ。

「瑛一」

 部屋の最奥の椅子に腰を下ろした父は入口に背を向けていた。葉巻の先端から上がる煙が見える。

「早乙女学園の存在は知っておるな」
「……ああ」

 シャイニング早乙女が創立した、アイドルと作曲家の育成を行う学園。
 今や売れっ子タレントである一期生の日向龍也や月宮林檎が教師を務め、卒業生からは毎年数名のアイドル・作曲家が事務所所属となり活躍している。
 今年の入学生の一覧を四月に父親から受け取ったが、興味がわかず一度も目を通していなかった。これまでの卒業生の中では、寿嶺二という男がやや抜きん出た人気があるのみで、それほどパッとした印象を抱いていなかった。
 父は椅子を半回転させて瑛一に向き直ると、一枚の用紙をデスクに投げて寄越した。何者かのプロフィールのようだ。上部に書かれた名前は、七海春歌。早乙女学園の作曲家コース現役生、Aクラス所属……と経歴が続く。

「この女がどうした」
「今年の早乙女学園にも脅威に成り得る者は存在しない。どういうことかHAYATOが素性を隠し在籍しているようだが、今のあやつは取るに足りんわ。しかし、その七海春歌という作曲家志望の小娘の元に、どうやらパートナーを希望する者が六人集中したようでな」
「それほどの実力者だと?」
「聴いてみたくはないか? 七海春歌という女が作曲した楽曲」
「興味はあるな」
「……お前はもう一つの可能性に気付かんか?」
「可能性?」

 父は瑛一から七海春歌の経歴書をひったくった。

「この小娘が一人を選べぬ場合だ」
「それは……全員自滅するだけだろう」
「だからお前は甘いのだ」

 手袋を嵌めた指で、父が薄い紙を裂き始める。

「可能性は全て考えて潰せ。小娘が全員を選ぶとしたらどうなると思う」
「…………グループでのデビューか?」
「あり得ぬ話ではない」

 音もたてず書類はあっという間に細かく千切られ、白い羽根のように広いデスクの上を舞い、落ちる。父は思い出したように「ところで」と言った。

「瑛二とは連絡を取っているのか」
「ああ……。この間の瑛二の学校の夏休みには二人でロンドンに行ったが……それがどうかしたのか」

 目的なく話を振ってくるわけがない。であればこの話題の着地点は……と考えると、父が答えるより先に一つの可能性に突き当たった。中学を卒業するタイミングで、瑛二も東京へ呼び寄せようとしているのではないかと。

「……まさか」
「何だ、その反応は」
「いや……。やはり、瑛二のことも……」
「あやつもわしの息子だ。しかも間違いなくお前より高い潜在能力を有している。アイドルとして羽ばたかせずしてどうするというのだ」
「……まるで俺たちはあんたの手足だな」
「四月だ。四月に瑛二を上京させる。分かったな」

 有無を言わせぬ口調で断言する。この事務所では社長が黒と言う限りそれは黒なのだ。盾突くことは許されない。実の息子であっても同じだ。
 大きく息を吐き、父は葉巻を灰皿にねじ込み火を消した。もうこれ以上話すことなどない、その合図。
 社長室を出て、夜景を捉えた窓ガラスに映る自身の姿をぼんやり眺める。瑛二――そして、七海春歌。父に目を付けられた相手は決して逃れられない。顔も知らない女と愛する弟を想いながら、瑛一は小さくため息をついた。


 山梨で瑛二と暮らしていた母が亡くなったのはそれからすぐのことだった。
 久しぶりに帰った実家は何も変わっていなかった。
 上京してから一度も帰らなかったことを後悔してももう遅い。
 泣きじゃくる瑛二に、東京で一緒に暮らそうと、ただそう言うしかできなかった。