Wistaria Duo

 兄が七人目として連れて来たのは、天使のような少年だった。

 肌もふわふわな髪も光を受ければ透き通りそうなほど白い。シャープな顔立ちに長い睫毛に縁取られた鮮やかな紫の瞳が際立ち、近寄りがたい印象を受ける。ゆるっとした衣服を着ているからか、身体の細さを強く感じた。

「瑛二、シオンに色々と教えてやってくれ」

 お前が教育係だ、と兄が微笑む。大役にプレッシャーを感じたけれど、瑛二は喜んで引き受けた。

「鳳瑛二です。よろしくね」
「瑛二とシオンは年齢も近い。仲良くな」
「うん。シオン……って、俺も呼んでいいかな」

 目が合う。そして、すっとそらされる。流れるような動作が美しかった。軌道に沿って白い光の線が描かれているみたいだ。兄さんや綺羅もきれいだけど、それとはまた違う、触ったら壊してしまいそうな儚い美しさ。
 そっぽを向いたシオンは「構わぬ」と返事をした。意外と低く、厚みのある声。

「俺のことも瑛二って呼んでくれたら嬉しいな」

 シオンは頷いて返事をする。ソファで資料をめくっていたナギが顔を上げ、会話に入ってきた。

「シオンはちょっと人見知りなんだよね~。でも大丈夫だよシオン。一緒に住んでる中でも、瑛二は特に優しいから」
「……ナギが言うのであれば、そうなのであろう」
「瑛二と仲良くね?」

 念押しのような言葉にシオンが頷く。仕事だからと二人が出て行くと、リビングは突然静かになった。

「じゃあ、まずは部屋を案内するね」

 二階の空き部屋がシオンに割り当てられていた。やって来たばかりのシオンの部屋にはベッド以外まだ何もない。いつでも抜け殻にできそうな真っ白な空間とシオンの姿は妙にしっくりきた。物であふれた部屋はきっとシオンにそぐわない。

「荷物は送った? いつ届く予定なの?」
「何も要らぬ」
「え? あぁ……そうなんだ」

 あまり家具を置かないタイプなんだろうか。部屋のレイアウトは個人の自由だから、瑛二が口を挟むのは良くない。でも観葉植物の一つでもあれば、癒しになっていいと思うけど……と言葉を選べずにいると、背後から明るい声が飛んでくる。

「せやったらワイと家具買いに行こーや」

 線の細い肩がびくっと揺れる。朗らかな声の主は「ごめんごめん」と手を合わせた。

「ごめん、驚かしてもーた? ……って、そんなびびらんといてや」

 シオンはうずくまり丸くなる。そんなに怖かったのだろうか。
 大丈夫だよと手を伸ばす。手と手が触れ合った瞬間、シオンが消えてしまうんじゃないかと思った。それほど細くて頼りない。

「なに新入りいじめてんだよ」
「いじめてへんわ!」

 大和も輪に加わると、華奢な肩がまた震える。獰猛な野生動物にさらされた小動物みたいだ。細い手を強く握った。

「大丈夫。ヴァンは明るいだけで怖くないし、大和も大きいだけで怖くないよ」
「大きいだけってなんだよ」
「明るいだけちゃうで! おもろいとか優しいとか、ワイのいいとこもっと紹介して!」
「えーっと……シオン、行こっか。他に案内したい場所があるから。二人ともごめんね。またあとで」

 二人をかわして一階に下りる。シオンの肌は驚くほど白いから、顔が少し青ざめるだけで心配になった。

「ごめんね、いきなり大きな声出すからびっくりしちゃったよね。二人とも驚かせようとしたわけじゃないから」
「……強烈な陽の気であった……」
「シオンはにぎやかなの苦手?」
「不慣れだ」
「そっか……」

 苦手なわけではないし、これから慣れていくかもしれない。前向きな返答にも聴こえた。
 寮を出て事務所内の施設をいくつか案内し、再び寮の敷地に戻る。シオンは瑛二が投げかけた質問の回答以外に口を開かなかった。無理に喋らせるのもコミュニケーションの方法として違うと思うから、無言を楽しんで歩いた。話す声がなくても、葉と葉の擦り合う音や鳥の声が心地良い。

「俺、事務所の食堂でお昼食べようと思うんだけど、一緒に食べない?」

 食事に誘うだけなのに、なぜか緊張してしまった。断られる気がしていた。予想通り、シオンは目を伏せてかぶりを振った。申し訳なさそうな表情に、瑛二も罪悪感を覚える。迷惑だったかな。お腹空いてなかったのかも。瑛二は誘われると断れない性格だから、きっぱりノーと返事ができるシオンは立派だと思った。
 お昼からのレッスンに一緒に出よう、と約束して一旦シオンと別れた。
 大きく息を吐く。人見知りというほどじゃないけど、人に何かを教えたり、打ち解けていない相手と二人きりの時間は、瑛二もあまり得意ではない。何を話したらいいのかわからない。
 教育係はヴァンの方が適任だったんじゃないかと悶々としてしまう。せっかく兄さんが任せてくれたのに。
 昼食を済ませ、約束通り待ち合わせ場所に着くと、すでにシオンが待っていた。

「ごめんね、お待たせ。シオンはお昼なに食べたの?」
「不要だ」
「え、食べてないの? 食べないと力出ないよ」

 今のはちょっと説教臭かったかな。いちいち気になってしまう。
 シオンは何も言わない。あぁ、やっぱりいらないことを言っちゃったんだ……と凹んでいる暇はなく、二人でレッスン室に向かった。
道中、リビングでヴァンと大和が録画した音楽番組を見ていた。HE★VENSが出演している。画面を見つめ、シオンが足を止めた。

「……瑛一と、ナギ」
「あと綺羅ちゃんな」
「三人はもうデビューしてるんだよ」
「デビュー……とは、斯様な物か」
「えっ、と……世に出てる? っていうのかな、CDデビューって定義すると、CDを出すことだけど……ちょっと違うか……」
「真面目やなぁ、えーじちゃん」
「ちゃんと説明しようと思うと難しいね」
「でもメジャーデビューって意味やったら、えーじちゃんの説明でだいたい合っとるな。ほんまはワイら七人でHE★VENSやけど、世間的には、今は三人でHE★VENSってことになっとる」
「瑛一やナギと、天草は異なる……?」
「今はまだ、ってことだ。レッスン行こうぜ」

 大和が立ち上がり、録画を停止しテレビの電源を消した。四人でレッスン室に向かう。

「うーん、シオン、シオン……やっぱりシーちゃんがええかなぁ? おんちゃんってのもありやなあ。やまちゃん、どっちがいいと思う?」
「好きにしろよ。つーかやまちゃんってのやめられねぇのか」
「残念、やめれませんー。えーじちゃんは何がいいと思う?」
「え、俺? 今までのヴァンの感じなら、シーちゃんになるのかな……?」
「よっしゃ、あとは本人に聞いてみよ! な、どう? どう? 何がいいとかある?」
「そなたの好きな様にするが良い」
「んー、シーちゃん一票、その他二票かー」
「俺の答え、シーちゃんに投票したことになってるんだ……」

 昼からは歌のレッスンだった。ピアノの横に三人で並び、部屋の隅で膝を抱えるシオンを振り返る。

「シオン、一緒に歌わない?」

 瑛二とヴァンと大和と、そして歌の講師と、四人分の視線がシオンに集中する。シオンは膝に埋めた頭を横に振って答えた。

「そうだよね。シオンはレッスン初めてだし、今日は三人で……」
「なに甘やかしてんだよ瑛二」

 大和がいらだった様子で頭を掻いた。ずんずんとシオンに近付くと腰を折り、視線を合わせる。対するシオンは顔を背けた。

「おまえなんのためにここにいんだよ。やる気ないなら出ていけ」
「まぁ落ち着きいや。どうどう」
「こんなんならおれは今日パス。一人で走り込みでもしてるほうがよっぽどいいぜ」
「え、大和……」

 両側からヴァンと肩を押さえたが、それを振りほどいて大和は部屋を出て行ってしまった。頭に血が上りやすいのも、決めたらすぐ行動に移すのもいつものことだ。こうなってしまうと誰が止めても無駄だった。ヴァンは慣れた風に笑って伸びをする。

「あーあ、ほんま短気やな。やまちゃんのことは気にせんでええよ。腹減ったら戻ってきて、晩食べたらころっと機嫌直るやろうから」
「……天草は…………」

 膝を抱えた細い身体がいっそう小さくなる。怖かっただろうなと心中を察した気持ちでいると、シオンは突然立ち上がり部屋を飛び出した。

「え!? シオン!」
「あーもう、揃いも揃って短気ばっかりやなぁ」

 ヴァンは困ったように笑うが、瑛二は笑っていられなかった。

「俺、追いかけるよ」
「いっぺんほっといてみたら?」
「でも……」

 事務所は広いから迷子になるかもしれない。そうじゃなくてもシオンはここに来たばかりで心細いはずだ。教育係の俺がそばにいてあげないと。レッスン室を出ようとすると、ヴァンに腕を掴まれる。

「終わってからにしよ。一人になりたいんかもしれへんし。な?」
「……うん」

 シオンへの心配と、これから七人でやっていけるのか不安な感情と、兄に任された役割を果たせなかった自己嫌悪と。いろんなものが混ざり合い、頭がいっぱいになってしまう。気持ちを切り替えるために頬を軽く叩いた。


 レッスンが終わって寮に戻る途中、走り込みから帰ってきた大和と鉢合わせた。

「大和、シオン見なかった?」
「あいつどっか行ったのか。見てねぇよ」
「……あんな風に言ったら誰でも怖がっちゃうよ」
「でもあいつだって、アイドルやるつもりで入ってきたんだろ。ならやる気がねぇのは意味がわからねぇ。おまえだってわかるだろ」
「シオンはやる気がないわけじゃないと思うけど……」

 初めてのレッスンでどうすればいいかわからなかったのかもしれない。でも、その理由は大和には通用しそうにない。実の兄を超えるためアイドルになりたいと飛び込んできた大和は、初回から物怖じせずレッスンに参加していた。アイドルになりたいなら練習すべきだと言う大和の理屈は間違っていない。押し黙るとヴァンが間に割って入った。

「やまちゃんは言い方を考えなあかんな。あとはワイがお説教しとくし、えーじちゃんはシーちゃんのことよろしく」
「はぁ? なんでおれが説教されねぇといけねぇんだよ」
「だから言い方が悪い言うてるやろ」
「んなのいちいち考えてられっかよ」
「口に出す前にもうちょっと考えーや」
「んなの知らねぇよ」

 言い合いながらひらひらとヴァンが手を振る。うんと頷いて寮へ急いだ。小競り合いの声がいつまでも聴こえていた。
 もぬけの殻のような部屋にシオンはおらず、リビングやダイニングを探したあとで庭に出る。瑛二が育てている立葵の向こう側に、白い影が見えた。
 細い骨組みのベンチに膝を抱いて丸くなり、頭や肩には小鳥がとまって微かな声でさえずっている。少し離れたところから黙って見ていると、一匹、また一匹と鳥たちが集まる。鳥の鳴く声が風の通り抜ける音と溶け合って心地が良い。シオンが顔を上げると、そこだけに光が降り注いでいるみたいに明るかった。切れ長の目を閉じる。鳥のさえずりにシオンが声を重ねた。
 まろやかで低く、鳥の声に調和する美しい声。日本語でも英語でもない歌詞は、他のどこかの国の言葉なんだろうか。
 兄がシオンを連れて来た理由が、歌声を聴くとすぐにわかった。

「……シオン」

 背後から声をかけると、驚いた鳥たちが一斉に飛び去る。シオンが振り返り、あたりは急に木々がざわめく以外の音を失った。

「隣、座ってもいい?」

 黙って頷く。

「シオンは音楽が好きなんだね」

 淡く透き通る薄紫の瞳は瑛二をじっと見つめている。

「俺も音楽が好き。歌うのが好き。同じだね」
「……同じ」
「うん、同じだよ」
「同じ……ではない。天草と、そなたは」

 目を伏せる。色素の薄い睫毛が白い肌に影を落とした。

「瑛一も、ナギも……そなたも、天草より遥かに眩い」
「……まばゆい?」
「目が眩む程の光だ」
「兄さんやナギはともかく……俺は、そんなことないよ。兄さんたちと比べるとまだまだだから」
「天草の心には闇が広がっている……」
「闇……? 不安ってこと?」

 詩的な言い回しの翻訳は難しい。それに話の飛躍が激しくて、瑛二はついていくのがやっとだった。

「天草の存在は……完璧な物に傷を付けてしまわぬか」

 シオンの言う『完璧な物』はHE★VENSを指すのだろう。それはもしかしたら『三人のHE★VENS』かもしれない。最後の一人としてグループに入ったことをきっと気にしているのだ。その気持ちは瑛二にも理解できる。アイドルになるために育てられた兄だけでなく、圧倒的なオーラを纏った綺羅やナギに初めて会ったとき、いつも皆を気遣い一つにしてくれるヴァンの優しさに触れるとき、目標に向かって進み続ける大和の背中を見るとき、仲間の姿に憧れると共にほんの少し気後れした気持ちを抱いてしまうから。こんな俺が一緒にいてもいいのかと悩んでしまうから。

「兄さんやナギ、綺羅、ヴァン、大和……俺たち六人も、順番に集まったんだよ。俺がここに来たとき、もう兄さんと綺羅とナギは一緒にいて、一緒に練習しても、三人はもう完成されてるように見えた。実際、三人でデビューしてるしね」

 先に三人でデビューすると聞いたときも、あまり驚かなかった。むしろ三人のレベルについていけていない申し訳なさが勝った。三人のデビューは、より一層頑張りたい理由になった。

「でも、皆で歌うと楽しいんだ。練習についていけなくて、俺だけ全然だめだって思っても、ずっとここにいたい、皆でやりたいって思うから、頑張れるんだよ」
「天草の目には、そなたは既に光を放っている様に映る」
「それなら俺にだって、シオンがさっき歌ってた姿、とってもキラキラして見えたよ」

 風に吹かれ木々が擦れ合う音が聴こえる。シオンは瑛二の手に一瞬触れ、すぐに手を引っ込めた。

「シオンの気持ち、俺もちょっとわかる気がする。あとから入って、みんなの足を引っ張っちゃったらどうしようって……。でもだから何回でも練習するんだ。大好きな仲間と、大好きな音楽を一緒にするために」

 ゆっくりとシオンが目を見開いた。硝子片が散りばめられたような虹彩の輝きに吸い込まれそうだ。

「そなたからは慈愛の光を感じる」

 陽光を遮るようにまた目を閉じる。細い腕が伸びて、瑛二の服の裾をついと摘まんだ。風に揺れる白い髪が薄桃に染まった頬を撫でる。どこからか飛んできた小鳥がシオンの肩にとまり、愛らしい声で鳴いた。瑛二にはなんだか、彼がかわいい弟のように思えた。

「ねえシオン、もう一度歌ってくれない?」
「天草の歌で良いのか」
「うん。俺も一緒に歌いたい」

 こくりと頷く。誰より先に小鳥が可憐に音を奏でた。
 シオンが歌い始める。それはやはり知らない曲で、知らない言語だった。追いかけて瑛二もスキャットで声を重ねる。初めて聴くメロディだけど、身体が覚えていたように旋律がぴたりと寄り添った。きっとシオンが合わせてくれていた。

「……なんと、心地の良い波動」

 歌い終えるとシオンが小鳥を指に乗せ、そして宙に飛び立たせる。小鳥は頼りなく羽根を羽ばたかせ飛び去っていった。

「お二人さん」

 明るい声が背後から聴こえた。足音は二人分。シオンが先に振り返った。

「なんやきれいな声がするな~思ったら。シーちゃん、さすがえーちゃんが惚れただけあるなぁ」

 ふわふわの頭を撫で回しながらヴァンが笑う。その半歩後ろで大和はばつが悪いような、気まずそうな表情をしていた。

「ここが天国か思たわ。な、やまちゃん」
「まー……そうかもな」
「ほら、ちゃんと謝りや」
「わかってる」

 ヴァンに促された大和は唇を引き結んだまま、ベンチに座ったシオンに合わせて腰を折った。自分は悪くないと頑なだった大和を動かすなんて、ヴァンはどんな方法を使ったんだろう。大和はじっとシオンと向き合い、数秒沈黙のあと「ん?」と首を傾げた。

「……なんかおまえ、ねむそうだな」
「えっ?」
「ほんまや、半分寝てもーてるやん」
「心地良い音楽の響きが……天草を眠りへと誘う……」
「ここで寝ちゃだめだよシオン、部屋行こう! 立てる?」

 ベンチの背もたれに頭を預け、擦り付けるように首を振る。

「此処で構わぬ……」
「こんな暑い日に外で寝ちゃだめだって。大和、おんぶ!」
「お、おう!」

 シオンの身体が軽々と担ぎ上げられる。大和の背中に身を任せたシオンの表情は子どものように健やかだった。

「軽……っ、おまえ、ちゃんとメシくってんのか?」
「案ずるな」
「あんず……?」
「心配しなくていいってことだよ。でもシオン、お昼食べなかったんでしょ」
「まじかよ。ありえねぇ」
「夜は一緒に食べよなー」
「……おい、もうねてんのか」
「寝ては……おらぬ……」
「まだねんなって」

 大和が身体を縦に揺らす。ゆりかごみたいでより眠たくなりそうな動きだった。瑛二は一、二歩下がってヴァンとその姿を眺める。

「さっきは悪かった。おれの言ったことは正直まちがってねぇと思うけど、こわがらせた。悪かった」
「可愛くない謝罪やなー」
「あやまんのにかわいいもかわいくないもねぇだろ」

 大和が振り向く。

「瑛二、おまえにも迷惑かけた」
「え、ううん。全然平気」
「えーじちゃんはいい子で助かるわ。それに比べて……」
「うるせぇ」
「まだなんも言うてへん」
「ヴァンが言いそうなことくらいわかってんだよ」
「シーちゃん起きてまうから静かにしーや」
「これくらいじゃ起きねぇだろ」

 シオンはびくともせず、すうすう寝息をたてている。穏やかな表情に安堵した。これからもっと互いを許し合える関係になれる。距離を縮められる。『六人』はすぐに『七人』になる。